僕は木村くんを初めて見たとき、見てくれの不潔さと異様な雰囲気が原因で彼を受け入れようとはしなかった。いつもへんてこりんな言葉を使い、だらしない服装で仕事をする。一体この男は何を考えて仕事をしているのだろう、と時には軽蔑すらしたこともある。
しかし考えてみれば、木村くんは結構節目節目で僕を支えてくれたし、仕事でへこんでいる僕を勇気づけ慰めてもくれた。そしてなによりもその明るさに僕は救われていた。そんな木村くんを知っているからこそ彼のまるでドラマのような悲しい生い立ちを初めて聞いたときは、涙が止まらなかった。
ほかはともかく僕は経済的なことで不自由を強いられたことはなかった。言ってみればその点に関しては裕福な家庭で育ってきたわけで、そんな僕が貧乏なんていう状況を想像できる訳もなくて、自分の人生と彼の人生を対比して考えてみたら自然と涙が出てきた。
彼の貧乏に同情して涙したのではなく、そんな環境の中でも人間は明るく生きていけるものなのだと、努力次第では悲しい過去も克服できるものなのだと、彼を見てそう思うと涙が止まらなかった。
木村くんの背中で一人そんなことを考え感傷に浸っていると、バイクは急停車した。
「坂井さん、もう着いたでげすよ。あっしはこれから仕事に入りますから帰りはタクシーで帰ってきておくんなさいね」
と新しいバージョンのへんてこりんな言葉でバイクから降りることを促した。
僕はもう少し彼とのドライブを楽しみたかった。しかしそういうわけにもいかないし、彼の背中に乗る機会はまたあるのだろうと、素直にサンパチくんから降りた。
「ありがとう。あんまり飛ばすなよ」
特に意味があって言ったつもりはなかった。ただ何気に口から出ただけの言葉だったのだが、言ってから何か心に引っかかるものがあった。しかしそんな僕の心配を彼はものともせず
「ガッテンでやんす」
と言ってバイクにまたがる木村くんは僕よりはるか大人に見えた。
病院での診察は眼科と耳鼻科で約三時間もかかった。目は冷やしておけばさほど問題はないと言われ安心したのだが、 耳は鼓膜が破れていたそうだ。若いからまた再生するし、左耳が聞こえないといっても右は聞こえるわけだから、少々不便を感じてもじきに慣れるずだと医者はこともなげに言った。
僕はそんなもんかと妙に納得して薬をもらい、帰りのタクシーに乗り込んだ。診察を終えて寮に帰ってもすることもないし、カルティエの性格を考えると人が足りないからやっぱりお前はホールに出ろ、なんて言われる可能性が高いと踏んだ僕は近くのパチンコ屋に立ち寄ることにした。
今日はカルティエには理由を話して休みをもらった。朝起きた時はかなりのパニック状態に陥っていたが、医者の診断を受けて大事に至らないと知ると急に元気が出てきた。
「主任就任早々休みかよ。いいご身分だよなあ、坂井」
などと嫌味を言われたが、あれで結構心配してくれていたみたいだった。
「明日からまたこき使ってやるから今日はゆっくり休んどけよ」
理不尽な行いが多いカルティエに優しい言葉をかけられるとつい心が緩んでしまう。が僕はコイツの本質を知っているのでこの言葉に対しては軽く会釈をするだけにしておいた。
ぱちんこを打つのは久しぶりだった。ここの店の従業員はおじさんばかり。うちの店よりはるかに古くて建物の外観や 内装もいたるところに損傷が見られた。しかし店内に入ると外から受ける印象とはガラッと雰囲気が違うことに驚いた。古くからの馴染み客で店内はごった返し、場内のマイクパフォーマンスもうちの店と比べ迫力がある。
年季が入っているなというのがすぐにわかる。うちの店は軍艦マーチが主流だが、この店はその他にも映画の『ロッキーのテーマ』やフジテレビのスポーツニュースで流れる『今日のホームラン』のテーマ曲が交互に流れる。
この躍動感、高揚感はうちの店にはない。ぱちんこを打ちながら僕は思った。自分も主任になったんだからもっと競合店も研究して、うちの店の役に立てるようなことを研究しなければ、と。満身創痍の僕はこんな状態でも店のことを考えている自分を褒め称え、一人悦に入っていた。
夕方の七時までうって八千円負けたが今日の負けは悔しくない。自分なりに充分収穫があったので今日は主任らしく早めに帰って遅番の仕事でも手伝おうかと意気揚々と引き上げた。
事務所に入ると案の定カルティエがいた。
「お疲れ様です」
半ば立ち直ったこの俺を見てくれ、と自信満々の体で挨拶をした。
「おお、坂井。お前どこほっつき歩いてたんだ。病院行ったんじゃなかったのか」
「ええ、木村くんに送ってもらってその帰りにパチンコ打ってきたんですけど、なにか」
「なにかじゃねえよ。その木村がまだ帰ってこねえんだよ」
嫌な予感がする。まさか事故でも起こしたのではないだろうか。不安はさらなる不安を呼び込む。
つづく

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