そして刑事(生活安全課)さんと私(店長)でスタッフ(当事者)のヒアリングを行うことになりました。
ヒアリングの中で私が加害者(当事者とは旧知の関係らしい)との関係を当事者に尋ねようとしたところ、刑事さんから「それを聞くと被害者や身内から訴えられるよ」とストップがかかりました。
私は「上長として、当事者が安心して仕事ができる環境を整え、効果的なアドバイスをしたい。また、いざという時の連携強化を図りたい」とそのための事実確認でした。
刑事さんの立場からすると「客観的な状況が固まらない段階でのプライバシーにかかわる質問はプライバシー保護の観点からNG」とのことです。
つまり、私も刑事さんもリスクヘッジ(ここでは防犯)という動機があるのですが その手段に於いて、全く逆の見解になりました。
「状況を正確に把握するための質問であり、店で起きているため私も半ば当事者になってしまっている」と心の中で反論していましたが、捜査のプロである刑事さんの見解を尊重し、加害者との関係は聞かずにおきました。
その場は、当事者からのシグナルがあれば、【店も警察もすぐに連携を図る】ことで一致し、幸いストーカー行為は沈静化しております。
数年前、高校新卒の採用面接を実施するにあたり、ハローワークから面接におけるNGワードの指導を受けたことがあります。
詳細は省略しますが、「最近読んだ本は?」などの質問もNGで、人物を深く知るための質問はほぼNGでした。
担当者は「『読んだ本』」を知ることでややもすると『思想・信条・宗教差別』に繋がる恐れがある」とのことです。
私は「そういう差別はしないことを前提に任意で尋ねてもダメなのか?」と尋ねたところ、
「未成年には任意という話でも誘導になる」とのことで結局はダメということでした。
もちろん、理不尽な差別選考が過去に多くあり、その教訓からルールが定められたことは理解しますが、どうもしっくりしません。
出自にハンデを設けることは当然、いけないのですが、その目的が形骸化し、ルールだけが一人歩き、逆に立身出世のチャンスの目を摘んでしまっているような気がしてなりませんでした。
誤解を恐れず記しますが、警察も職安も役所であり、多くの役所の「リスク分析の先」は「何もするな」に繋がっているような気がしてなりません。
(もちろんそうではないケースもありますので公務員全てが「そうだ」とは思っておりません。そういう傾向が強いということです)
「リスクの強調=慎重であること」と多くの方々が受入れがちですが、その先にあるものは、
1.何もしない
2.今はしない
3.リスクを覚悟した上で、目標にチャレンジする
と大きくは3種類あると思います。
1.で世を渡っていけるほど、グローバルな現代社会は甘くはありませんし、その環境で何もしないリスクほど危険なものはありません。
リスクを語ると同時に「その先にあるもの」も語りたい人でありたいものです。

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。
>1.で世を渡っていけるほど、グローバルな現代社会は・・云々・・
>その環境で何もしないリスクほど危険なものはありません。
エントリーのタイトルは「リスク分析の先にあるもの」ですね。
まずは、「リスク」の日本語訳から、
・危険
・危険度
・結果を予測できる度合い
・予想通りにいかない可能性
、となっています。
次に、個人的にに、ちょっと気になる言葉。
「リスク アセスメント」から概観してみましょうか・・。
【Wikipediaより一部抜粋】
リスク アセスメントとは、リスクを「評価」し、リスク許容の是非を見定める
全体的なプロセスのことである。
具体的には、《リスク分析》で明確化した《リスク因子》に基づき、
①組織の財務基盤にどのような悪影響を及ぼしうるかの「評価」
②どのリスク因子を優先的に対処していくかの優先順位決定
③リスク対処のコストパフォーマンスを、財務基盤への影響度も絡め分析評価し再検討
などと云った事を手順に沿って行う。
日本では、リスク(Risk)マネジメントとクライシス(Crisis)マネジメントの2つが、
『危機管理』として同様に(一本化されて)扱われる傾向にありますね。
そして、本来的に、両者の「意味合い」は、多少、相違点が・・(一般論として)。
それは、
◆リスク マネジメント
危機事態の発生を予防するための《リスクの分析》方法等が概念の中心。
◆クライシス マネジメント
危機事態の発生後の《対処対応》に関する方法等が概念の中心。
、と云うニュアンスの違いです。
原発事故でよく耳にし、流行語?と言いたくなる「想定外の・・・」。
結果、それに伴う困惑や混乱、混迷・・・。
厳しい言い方をすれば《無能ぶり》の露呈。
「想定外」、正に、今の日本の政府や政治を象徴している言葉ですね。
リスク → 予想(想定)可能な弊害、
クライシス → 予想不可能な危機と再定義すれば、
今の日本、日本人、そして若者は《クライシス》に弱い、と言えるようにも・・・??
>1.何もしない
>2.今はしない
>3.リスクを覚悟した上で、目標にチャレンジする
チャレンジには《クライシス》は付きものでしょう。
どんなに《リスク分析》をし備えても、突然、《クライシス》は襲って来ます。
そして、『人生(生き方/生活)』においても同じことが言えるように思えます。
>1.何もしない
そこには、本質的に『安泰・安寧』も、そして、現状維持すら無いことを、
あらためて意識すべきだと感じます。
良いエントリーだったですねっ。
ヤンキーパンダさん!!
ピンバック: 蜻蛉の親爺
寄稿者にとってしっくりいかなかったとしても
特定の問題に関しては寄稿者よりもはるかに
多くの事例を見てきた上での見解では
どっちが正しいかはなんともいえないが
ピンバック: ・・・・・
ん~どうでしょう、警察に通報されるまで知りえなかったことの方が問題ではないでしょうか?
ピンバック: ・・・・
今回の投稿では3,リスクを覚悟した上で目標にチャレンジ
ですが、
事例に上がっている例で果たしてそれができるでしょうか?
最近読んだ本を聞いたとして、その人の性格が予想出来たとき、
そしてそれが自社にとって合わないと判断したとき、
それをわかった上で採用できるでしょうか?
リスクがあるから採用しないとなったら結果1を自ら選択するためにいろいろ聞きたかったことになるんでは?
さらに聞いて場合で、思想や出自が判明したとき、別の理由での不採用がリスクとなりますが、
どうするのでしょうか?
何かをすることが結局一番リスクを回避する選択であることも考慮しないとダメだと思います。
ピンバック: メーカー担当者
店舗における加害者の具体的態様が明らかではないので、通報までわからなかったからといって問題とは必ずしもいえないでしょうね。
ピンバック: え?