パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第6話 木村くん ④

職業に貴賎あり

その頃警察署ではカルティエが木村くんの身柄引き受けに関する書類に記入をしていた。木村くんは僕を病院に送った後、店に帰るべく元来た道を鼻歌交じりでオートバイを軽やかに、そして颯爽と飛ばしていた。と、ふいに警邏中のパトカーがいきなり彼の行く手を阻んだ。

「前のバイク、止まりなさい。この道は一方通行ですよ」

陽気に走っていた木村くんはパトカーの警告に即座に反応した。警察にかかわるのはごめんだ。しかも一方通行区域逆走で捕まったとなればこってり絞られるし、自分の名前はブラックリストにも挙がっているから簡単には返してくれるはずもないだろう。

ここは逃げるが勝ちを決め込んだほうが得策だと考え、すぐ先の四つ角を右に曲がった。現行犯でもその罪を認め、その場でおとなしく謝り切符を切られていればこれほど大事にはならなかったはずである。逃げたのは暴走族に入っていた時の習性なのだろうか、彼はバイクのエンジンを思いきりふかし、細い道を蛇行しながら走っていく。閑静な住宅街ではけたたましいエンジン音とパラリラパラリラというホーンの甲高い音が交錯する。それに加えてのパトカーのサイレン。

「止まれー!止まりなさい」

警告マイクと合わせた四十奏はそう簡単には終わらない。

「止まれー!こら、止まれったら止まらんか!」

パトカーとの鬼ごっこは三十分以上も続いたが、その終わりは意外とあっけなく幕を閉じた。木村くんは逃げる道を一本間違えて行き止まりの路地に入りこんでしまった。しまったと思った時はすでに壁にバイクごとぶつかっていた。

パトカーから降りてきた警官二人は木村くんを 取り押さえ、本人いわく殴る蹴るの暴行を行ったらしい。そしてその暴行は取調べを受けてる最中にもしばしばあったという。心身ともに疲労困憊の彼は何度も失神しそうになったという。

驚くべき事実ではあるが、カルティエが木村くんを引き取りに行った時に彼は満足に椅子から立ち上がることもできず、ほほから唇が悲惨なほどにはれ上がり、おでこに頭から流れ落ちて固まった血が付いていた。カルティエは唖然とした。そして怒りが込み上げてきた。

「こいつは一体何をやらかしたんですか。何をやってこんなざまになったんですか」

と怒りを隠さず木村くんの横にふんぞり返った体の警察官に尋ねた。しかしその警官はあんたは誰だと一言だけ言葉を発し、無礼極まりない横柄さでカルティエの問いを黙殺した。

そしてその目線でカルティエを威圧する。自分はこの人間が所属しているぱちんこ店の店長だと伝えると担当官は鼻で笑った。

「木村翔太。年齢二十歳。住所不定。ぱちんこ店勤務。前科二犯。間違いありませんな。今回はオートバイの無免許運転に加え、一方通行道路逆進入、公務執行妨害に加え器物破損。普通ならばこのままじゃ返せないんですがねえ。ま、本人も反省しているみたいだし、こうして店長さんが迎えに来てることもあって、返してもよろしいと上からの指示はもらってますけどね。どうしますか、店長さん」

「おい、おまわりさんよ。ちょっと聞きてえんだけどなんでこいつはこんなに痛めつけられてるんですかい。あんた、こいつがぱちんこ屋の店員だからってこんな仕打ちはなかろうよ」

「何言ってるんだね君は。この傷は本人がブロック塀にぶつかって負った傷ですよ。警察があんたの言うようなことをするわけがないでしょ。被害妄想だな。それにぱちんこ屋だって立派な職業なんだろ? そんなことをあんたが言っちゃあ逆にダメじゃないの」

カルティエの文句に応じる形の担当官の言葉には明らかに悪意があった。しかし彼は反論できない自分が悔しかった。担当官はにやにや笑っている。

「何の証拠もないからこれ以上は何も言わねえけどよ、お宅ら一般人と俺らぱちんこ屋で働く人間を差別してるわけじゃねえよな。なあお巡りさんよ、巷じゃやくざとぱちんこ屋の従業員が事故にあって死んでもニュースじゃ名前も呼ばれねえ。いいとこぱちんこ店店員としか言わねえもんな。そこんとこどうなんだよ警察ではよ」
 
明らかに言いがかりであり、何の筋も通っていない発言だった。しかしそれは全くの嘘でもない。正論ではこの老獪な担当官の理屈にかなわない。だからせめてもの腹いせにと放った言葉である。ただ言わずにはいられなかった。自分の部下がこんな姿になっているのを黙って見過ごすことがカルティエにはどうしてもできなかった。二人のやり取りを黙って聞いていた、さらに年配の巡査がカルティエに歩み寄る。

「まあまあ、そう興奮しないで。今回罪を犯したのはこいつなんだから。それにこいつが不利な状況であることには変わらないということをよくわかった上でさ、店長さんも怒りの矛先を収めなよ。俺もたまにぱちんこすることもあるしね、うん、嫌いじゃないよ。だから、さ。ね、今日のところは大人しく帰ったほうがいいよ、ね」

口調こそ穏やかではあったが、やはり上からものを言っているのは間違いなかった。カルティエの悔しさはさらに増すものの、どうみても今の状況は木村くんにとって不利であることを悟り、これ以上悪態付くのをやめた。そして「おう、じゃあこいつは返してもらうぞ」と凄みの効いた返事をしてから木村くんの腕を自分の肩に回し、警察署を後にした。

帰路の途中、カルティエが運転する車の中で木村くんは大声で泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けた。

「店長、俺たちぱちんこ屋の店員は人間じゃあねえんですかい」

と何度も繰り返した。カルティエはその問いに答えることができなかった。彼は無言のまま片手でハンドルを握り、もう一方の手で木村くんの肩をさすってあげた。

それしか今はできることがなかった。自分もつらい、だからもう泣くな、と言おうとしたが思いとどまった。それを言えば自分も泣けてくるのをカルティエ自身は知っていたからなのだろうか。

つづく


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第6話 木村くん ③

サムちゃん

木村くんが僕を病院まで送り届けてくれて彼を見送る時何か嫌な予感がしたのは事実だった。しかしその感覚はその一瞬だけにとどまりあとはすっかり忘れていた。店に帰ってカルティエからそんな風に言われるとその嫌な予感がまたぞろその鎌首をもたげだす。

「でも店長、木村君は今日は仕事だからって僕を病院で降ろしてすぐに帰っていきましたよ。おかしいですね」

「だからそのなんだ、おかしいからお前に聞いているんだろうが」

二人は同時に事務所を時計を見やる。そんな時唐突に事務所の電話が鳴り響く。僕はカルティエに促されるまま受話器を取り、聞こえる方の耳にあてがった。

「○○警察、交通課の者ですが、パチンコローマさんですね。お宅に木村翔太という従業員が働いているというのは事実ですか」

警察と聞いただけで気が動転してしまった僕は、受話器を投げるようにしてカルティエに渡した。面食らった表情のカルティエは続きの話を冷静に聞いている素振りだ。彼は「わかりました」とだけ答えると受話器を乱暴においた。険しい表情だ。

無言のまま背広を肩にかけると
「木村を迎えに行ってくる。ちょっと待ってろ」
と短く言い残し事務所を出て行った。
 
一体何があったのだろうか。警察に身柄を拘束された木村くんをカルティエが迎えに行った。その事実をにわかには信じることができなかった。しかしこの時間まで店に戻ってこないというのはなにか尋常ではないものを感じる。この場所でじっとしているだけの僕には何もできることがない。

事故でも起こしたのか、怪我はしてないだろうか、もしや人身事故ではないだろうか、と不安ばかりが増幅する。命に別状はないよな。たとえ事故を起こして怪我をしても大事には至らないよな。急に木村くんのあの屈託のない笑顔が浮かんでは消える。

三十分も事務所で立ったり座ったりの連続だった。時間が過ぎるのが遅すぎる。不意にグウゥーとお腹がなった。考えてみれば今日は朝から何も食べていない。それまで忘れていた空腹感はその卑しい音と共に増していく。こんな時に腹をすかしている俺は拙僧のない奴だと一度は思いとどまったものの、二度目に腹がなったときはもう事務所を出て店の隣にある掘っ建て小屋へ足を向けていた。
 
ここには僕より2つ年上のサムちゃんという人がうどん屋を経営している。なんと二十五歳で経営者なのである。社長といっても従業員がひとりもいない単なる立ち食いそば屋なのだが、それでも社長は社長なのである。僕と大して年が変わらないのに独立して自分で生計をたてていることそのものが尊敬に値する。だからだろうか、サムちゃんはかなりの貫禄を持っている。

「お、坂井主任いらっしゃい。こんな時間に珍しいね」

いつもどおりの元気な声でのお迎えだった。こんばんはと挨拶をした僕はその笑顔が一瞬にして曇る。

「坂井くん、今日はいつもの元気がないじゃあねえか。どうしたんだい」

カウンターの端っこに子ガメが座ってビールを飲んでいた。こいつは僕が自分のことを嫌っていることを知っていてわざとこういう口の利き方をする。全く嫌味なやつだ。そんなときは思い切って「べつに」と平気を装って切り返せばいいのに、僕はどうしても子ガメに対して卑屈になってしまう。幼少の頃近所の悪ガキに媚びへつらう自分の姿と重なりどうしても自己嫌悪に陥る。

「いや、別になんにもないっす」

僕は消え入るような声で答えた。

「何もないわけ無いでしょう。天下の主任様の勢いはとどまるところを知らないって巷ではもっぱらの噂ですよ。何かあったんでしょお兄さん、僕に言ってごらん」

ヘラヘラと嫌味笑いを浮かべながらこちらの方に向き直る。そのまま回れ右をして店を出て行けば何事もおきないのだろうがそういうわけにも行かず、僕は自虐的な愛想笑いを浮かべ子ガメの死角になるテーブル席に腰を下ろした。なぜか鼓動が激しく波打つ。

「すいません、天玉うどんとおいなりさんふたつお願いします」

「はいよ。ちょっと待っててね。坂井主任のだから特別に美味しく作ってあげるからさ」

この人のあだ名が何故サムちゃんなのかは知らない。しかし彼が僕にとってとびきり良い人であることは間違いない。何より笑った顔がほっとさせてくれる。

「ちょっとサムちゃん、主任だからってそれは差別じゃん。俺にも何かサービスしてよ」

また子ガメが会話に割り込んできた。

「子ガメは根性悪いからダメ」

にべもなく言い切ったサムちゃんの言葉に耳を疑った。確かに子ガメというあだ名は本人も知っているのだろうが、それを本人に向かって言った人間を僕は今まで見たことがない。

「サムちゃんも意地が悪いよな。ま、根性腐りきってるのはこの俺がよく知ってるけどさ」

僕はさらに驚く。あの子ガメがなんでこんなにも従順なんだ、と。僕の驚きとは裏腹にサムちゃんはニヤニヤ笑いながらうどんをゆがいている。なんなのだ、この存在感の大きさは。

「なんかこれ以上ここにいると何言われっかわかったもんじゃねえから帰るわ。それにしても坂井くん、今日は全然玉出てねえよ。店長に出さなくてもいいからもう少し遊べるように釘調整しとけって言っといてくれよな」

子ガメはコップに残ったビールをぐいっと飲み干すとごっそさんと付け加えて店を出ていった。僕は優しい口調の子ガメに当惑していた。

つづく

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第6話 木村くん ②

つかの間  

僕は木村くんを初めて見たとき、見てくれの不潔さと異様な雰囲気が原因で彼を受け入れようとはしなかった。いつもへんてこりんな言葉を使い、だらしない服装で仕事をする。一体この男は何を考えて仕事をしているのだろう、と時には軽蔑すらしたこともある。

しかし考えてみれば、木村くんは結構節目節目で僕を支えてくれたし、仕事でへこんでいる僕を勇気づけ慰めてもくれた。そしてなによりもその明るさに僕は救われていた。そんな木村くんを知っているからこそ彼のまるでドラマのような悲しい生い立ちを初めて聞いたときは、涙が止まらなかった。

ほかはともかく僕は経済的なことで不自由を強いられたことはなかった。言ってみればその点に関しては裕福な家庭で育ってきたわけで、そんな僕が貧乏なんていう状況を想像できる訳もなくて、自分の人生と彼の人生を対比して考えてみたら自然と涙が出てきた。

彼の貧乏に同情して涙したのではなく、そんな環境の中でも人間は明るく生きていけるものなのだと、努力次第では悲しい過去も克服できるものなのだと、彼を見てそう思うと涙が止まらなかった。
 
木村くんの背中で一人そんなことを考え感傷に浸っていると、バイクは急停車した。

「坂井さん、もう着いたでげすよ。あっしはこれから仕事に入りますから帰りはタクシーで帰ってきておくんなさいね」
と新しいバージョンのへんてこりんな言葉でバイクから降りることを促した。

僕はもう少し彼とのドライブを楽しみたかった。しかしそういうわけにもいかないし、彼の背中に乗る機会はまたあるのだろうと、素直にサンパチくんから降りた。

「ありがとう。あんまり飛ばすなよ」

特に意味があって言ったつもりはなかった。ただ何気に口から出ただけの言葉だったのだが、言ってから何か心に引っかかるものがあった。しかしそんな僕の心配を彼はものともせず

「ガッテンでやんす」
と言ってバイクにまたがる木村くんは僕よりはるか大人に見えた。
 
病院での診察は眼科と耳鼻科で約三時間もかかった。目は冷やしておけばさほど問題はないと言われ安心したのだが、 耳は鼓膜が破れていたそうだ。若いからまた再生するし、左耳が聞こえないといっても右は聞こえるわけだから、少々不便を感じてもじきに慣れるずだと医者はこともなげに言った。

僕はそんなもんかと妙に納得して薬をもらい、帰りのタクシーに乗り込んだ。診察を終えて寮に帰ってもすることもないし、カルティエの性格を考えると人が足りないからやっぱりお前はホールに出ろ、なんて言われる可能性が高いと踏んだ僕は近くのパチンコ屋に立ち寄ることにした。

今日はカルティエには理由を話して休みをもらった。朝起きた時はかなりのパニック状態に陥っていたが、医者の診断を受けて大事に至らないと知ると急に元気が出てきた。

「主任就任早々休みかよ。いいご身分だよなあ、坂井」
などと嫌味を言われたが、あれで結構心配してくれていたみたいだった。

「明日からまたこき使ってやるから今日はゆっくり休んどけよ」

理不尽な行いが多いカルティエに優しい言葉をかけられるとつい心が緩んでしまう。が僕はコイツの本質を知っているのでこの言葉に対しては軽く会釈をするだけにしておいた。
 
ぱちんこを打つのは久しぶりだった。ここの店の従業員はおじさんばかり。うちの店よりはるかに古くて建物の外観や 内装もいたるところに損傷が見られた。しかし店内に入ると外から受ける印象とはガラッと雰囲気が違うことに驚いた。古くからの馴染み客で店内はごった返し、場内のマイクパフォーマンスもうちの店と比べ迫力がある。
 
年季が入っているなというのがすぐにわかる。うちの店は軍艦マーチが主流だが、この店はその他にも映画の『ロッキーのテーマ』やフジテレビのスポーツニュースで流れる『今日のホームラン』のテーマ曲が交互に流れる。

この躍動感、高揚感はうちの店にはない。ぱちんこを打ちながら僕は思った。自分も主任になったんだからもっと競合店も研究して、うちの店の役に立てるようなことを研究しなければ、と。満身創痍の僕はこんな状態でも店のことを考えている自分を褒め称え、一人悦に入っていた。

夕方の七時までうって八千円負けたが今日の負けは悔しくない。自分なりに充分収穫があったので今日は主任らしく早めに帰って遅番の仕事でも手伝おうかと意気揚々と引き上げた。

事務所に入ると案の定カルティエがいた。

「お疲れ様です」

半ば立ち直ったこの俺を見てくれ、と自信満々の体で挨拶をした。

「おお、坂井。お前どこほっつき歩いてたんだ。病院行ったんじゃなかったのか」

「ええ、木村くんに送ってもらってその帰りにパチンコ打ってきたんですけど、なにか」

「なにかじゃねえよ。その木村がまだ帰ってこねえんだよ」

嫌な予感がする。まさか事故でも起こしたのではないだろうか。不安はさらなる不安を呼び込む。

つづく


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第6話 木村くん ①



「こらああ!坂井、今何時だと思ってんだ。お前主任のくせに何たるざまだ」

「ひいっ!」
 
いつもより1オクターブも高い声を発して僕は目覚めた。瞬間、周りの状況を飲み込むことができなかった。まだ心臓がドキドキしている。あたりをゆっくりと見わたす。ここは自分の部屋である。そしてまだ夜が明けてないのだろう。

安物のカーテンからはまだ朝の光は入ってきていない。枕元の時計に目をやると、ぼんやりとではあるが時計の針が午前四時を指しているのがわかる。何だ、夢か。しかし夢にしてはかなり現実的な夢だった。

ストーリーは思い出せないが登場してきたのは間違いなくカルティエだった。リアルな怒鳴り声だけはしっかりと今も記憶に残っている。状況の把握ができて少しは安心したもののまだ何か釈然としなかった。
 
半分も目覚めていない脳を無理やり起こし、中古家具屋で買った安物の卓袱台にあるであろう、ショートホープの箱とBIGのライターをそろそろとまさぐる。自分の目はほとんど開いていない。手探りの手が宙をさまよっているところに煙草より先に触れたものがあった。

その瞬間まずいと思った、が時すでに遅し。昨日つり銭トラブルの加藤さんからもらったべルミーの缶コーヒーを倒してしまったのだ。半分以上中身が残っていた缶が倒れたら大変だ、とばかりに咄嗟にその缶をすくおうとしたのが状況をさらに悪化させた。甘ったるいコーヒーはそのほとんどが布団の上にこぼれてしまった。
 
何をやってるんだ、と独りごちてふと違和感を感じた。体の感覚がいつもと違う。言いようのない不安に駆られて寝ていたカラダを起こそうとした。そろそろと 起き上がるつもりで中腰になったとき、体が右斜め前によろめいた。さらに不安が募る。

体のネジが2~3本抜けているような感じと言ったらいいのか、目もよく見えないし耳に入ってくる音も何か変だ。僕はハイハイをしながらやっとのおもいで部屋の入り口にたどり着く。そしてぱちんこの景品でとった「たれパンダ」の絵が書いてあるスリッパに足をつっかけ、廊下の共同洗面所へよたよたと歩いていく。

「あ、ああああああ!」

 鏡に映った自分の顔を見て僕は驚愕の悲鳴を上げた。昨日子ガメに殴られた右目がどす黒く変色し、目が開かぬ程に腫れ上がっているではないか。僕の叫び声に驚いたのであろう。間髪を入れずに木村くんと関口さんがそれぞれの部屋から慌てて廊下に飛び出す。

「どうしたんでげすか、坂井さん」

「なんだ、何があったんだ」

二人は僕に近づくと同時にああっと声を上げる。僕の左側に立っていた関口さんがなにやら話しかけてくる。

「ん?」

間違いなく彼は僕に何かを話しかけている。しかし口がパクパクしているのが見えるだけで、その声は僕の耳には入ってこない。一瞬その事実を認めたくなかった。嘘ではなく左の耳が聞こえないのである。自分で喋った「耳が聞こえない」の音もどこか不自然に感じで脳に伝わる。

更なるパニック。目も耳も半分しか機能しない。そんな僕はこれから一体どうなってしまうんだ。一瞬にして地獄に突き落とされた気分になった。

「坂井さん、今はまだ病院やってねえですから後で病院行きやしょうよ。あっしが連れてってあげるでやんすから」

右の耳から入ってきた木村くんの響きはとても優しかった。興奮状態だった僕は彼の一言でやっと平静を取り戻すことができた。僕は木村くんとの待ち合わせ時間きっかりに店裏の駐車場へよろよろと足を運んだ。木村くんは既に待機していた。

「あっしの新車に乗せてあげるでげす」と一言言うと傍らに停まっているバイクのエンジンをかけた。それは贔屓目に見ても到底新車と呼べる代物ではなかった。木村くんの言う新車とは最近買った、という意味なのだろうと解釈した僕はそれ以上の追求をしなかった。

「これなんていうバイク」

オートバイには疎い僕は一応礼儀上の質問をしてみる。

「おや、知らないんですかい。これを知らないんじゃぱちんこ屋の主任は務まりませんぜ。この単車はスズキのジーティーサンパチですよ。年代ものですけど、こんな名車はそんじょそこらにゃころがってませんぜ」

得意顔の彼は長々とGTサンパチの薀蓄を語り続ける。僕はその殆どを聞き流した。それよりバイクとぱちんこ屋の主任の仕事とどんな関係があるのか、そっちのほうが気がかりだったがそれも深く追求しなかった。これもどうでも良く僕は早く病院へ連れて行ってもらいたかった。

やっとのことで後部シートへ乗せてもらうことができた。乗り心地が悪くやたら排気音が大きいくせにスピードのでないサンパチくんはそれでも裏道を器用にクネクネと走っていく。木村くんの太い腹に手を回して振り落とされないよう必死にしがみつきながら行く二人のドライブはその乗り心地に反して、決して不愉快なものではなかった。バイクにまたがって感じる風が心地よかった。

「ヘルメット越しでも風を感じるでがしょ?坂井さんバイクはいいですよ。風と一体になれますから」

僕は笑った。わけもなく笑った。そして木村くんの言葉や僕を思う気持ちが嬉しかった。 たしかに見た目の印象というのは社会において大切なのかもしれないが、人間は決して見てくれだけで判断してはいけないな、と彼を見ているとそう思える。

暴走族が良いとか悪いとかはあまり考えたことはなかったが、少年たちは彼らなりのストレスをこのバイクにまたがって発散していたのかもしれない。僕も大人たちが解りえないところで生きることに対するストレスを感じていた自分があった。最もその当時にそれがストレスであるという自覚はなかったが。

つづく

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第5話 新世界 ⑥

安堵

「お前はしばらく壁に向かって反省でもせい」

カルティエは吐き捨てるように言うと自分の机に向かって仕事を始めた。僕はその冷たい仕草を横目にやりながら朝からのことを思い起こしてみる。確かに今日は朝から変なテンションだった。主任という響きになんだか引きずり回されていたというか、異様に気負っていたのは間違いない。

役職の重さと仕事に対する不安がない交ぜになり、僕はすっかり浮き足立っていたのだ。店はいつもと何も変わっていない。でも僕だけが少し変だった。すっかりしょげかえってしまった僕はこの場所にいることすら気まずかった。仕方なしにホールに出ようとして、半分椅子から腰を浮かしかけたときカルティエがこちらを見ずに声を発した。

「それで、加藤さんはどうなったんだ」

「あ、木村くんが関口さんを呼びに行ったところまでは知ってますけど」

「なあにぃ?お前は本当にボンクラだなあ。主任がそのザマでどうするんだ。今ここで泣いてる場合じゃねえだろがよ。関口呼んでこんかい!」

再び殴られてはたまらじ、と僕は急いで扉を開け走り出す。背後からはカルティエの罵声がやまない。

「ばかやろう!くそやろう!この唐変木!」

このままでは後ろから延髄げりでも飛んできそうな剣幕だったので、ホールに出るやいなや関口さんの姿を見つけ、彼の手を半ば強引に引っ張り再び事務所へと戻ってきたのであった。

「おう、関口。加藤さんの件はどうなった?まだもめてるのか?」

「いや、それがですねえ。どうやら一万円を両替機に入れたっていうのは加藤さんの勘違いだったみたいで、後で確認したら千円しか入れてなかったことに気づいたらしいんですよ。ま、よくあることですけどね。それで本人は自分が原因で坂井くんが殴られたのを見て申し訳なく思って、今でもカウンターの前で待ってますけど。どうしますか」

カルティエの瞳孔が一瞬開きっぱなしになった。血色の良い顔からは血の気が引いていくのが肉眼で見ていてもよくわかる。反対に僕の胸は俄然張り出し始める。どうだ、と言わんばかりの僕の態度を見て一瞬たじろいだカルティエはコホンと一つ咳払いをする。

「やっぱりそうか。加藤さんもいい加減にしてほしいよな。あのお客さんはそういうことがしょっちゅうあるんだよ。関口、お前も結構そういう場面に直面したことがあったろう」

「いえ、あんまりないすけど」

関口さんは事も無げに一言でスパっと切り返すと、僕の方を見てにやっと笑った。立場は逆転して今度はカルティエがあたふたし始める。

「まあそう言うなよ。しかしだな、坂井。お前も主任初日からついてないよな。もっとも雨降って地固まるとも言うしな。 お前にとって今日は良い教訓になっただろう。これからは何事も謙虚が一番だぞ、謙虚がな。まあ気を落とさずに主任の仕事を全うしなさい。頑張るんだぞ、坂井。おっと、もうこんな時間か。銀行に行かなくちゃな、銀行、銀行っと」

言うが早いかカルティエは逃げるようにして事務所を後にした。どす黒い怒りがまたぞろこみ上げてきた。

僕は関口さんの「気にするな」の一言でなんとか救われたような気がした。そして何より加藤さんの金銭トラブルが何事もなく単なる勘違いだったことが良かった。
 
関口さんに促されカウンターに行くとバツ悪そうにした加藤さんが立っていた。彼女は僕の手をとってベルミーの甘ったるいミルク缶コーヒーを握らせるとひたすらに謝り続けた。先ほど僕に投げかけた罵倒の数々を思い出すと再び腹が立ってくるのだが、僕はそんな気持ちをなんとか抑えて愛想笑いでごまかした。そう、この人は悪気があって難癖つけたわけじゃないのだから。
 
僕はこの日スタッフのすすめによって一日休みをもらうことにした。心も傷ついたがそれよりも今は体が軋むように痛い。この痛みには覚えがある。中学校の頃煙草を吸っているのを父親に見つかって、しこたま殴られた。父の顔はまさに鬼の形相だった。必死にこらえるも五発、六発と執拗に繰り出される父親の鉄拳は容赦がなかった。

その当時はなんでここまで殴られなければならないのか、と反発もしたが今となってはほろ苦い思い出で父に恨みもつらみもない。殴られた痛みは現実的には覚えていなくてもその感覚は残る。しでかした失敗やその時の出来事はあまり良く覚えていなくても、事の重大さは心に刻みつく。殴ることに対しては賛否両論あるだろうが、僕はカルティエのビンタに父親のそれを重ねていた。そしてある部分で肯定もしていた。
 
主任としての職責や立場。正直言うとそれがなんなのかはよくわからない。だがカルティエの言わんとしていることをあんな状況でも心のどこかで必死になって分かろうとしていた。それは僕自身が『今日の僕は傲慢であった』ことを密かに自覚していたからに他ならない。僕は部屋に戻り万年床に横になり、制服も脱がずそのまま深い眠りについた。何も考えず、何も求めず、ただひたすらに眠りたかった。

つづく

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