パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

パチンコ屋さん その2

私がホール周りをしていた時のお話です。

大阪から流れてきたと自己紹介をしたおじさんがうちの店に入ってきました。
その人はマイクパフォーマンスが独特でとても印象的でした。

中でも「パチンコはこの世のうさの捨て所。日頃のストレスを…」という言い回しにとても興味を抱いたのです。

そこでそれはどういう意味なのかを聞いてみたところ、

「わしも先輩から聞かされたんやけどな、日本が戦争に負けてからはどの家も貧乏暮らしやったわけや。家に帰れば女房子供が、『腹へった、何か食わせ』ゆうてうるさくてかなわん。せやから旦那は銭も持たんと夜の街を徘徊するわけや。いくら敗戦国やゆうても銭はあるところにはある。キャバレーやら赤提灯やら客がおるんやからな。パチンコかて一緒や。ちんじゃらちんじゃら音たてて、軍艦マーチや流行の演歌が流れとる。せやけどパチンコ打ってる奴らの顔見たかて金持ってそうなやつなんか一人もおらん。みんなクスブリや。床に落ちてるシケモク拾うたり、パチンコ玉拾うて弾いてみたり。そんなんばっかりや。けどな、家にいるよりマシなんやろうな。わしもクスブリと一緒や。客も従業員もここでうさ晴らしとるんや」

先週の記事でも書きましたが、満たされない何かを人間は持っていると思うのです。決してそれは不満ではなく、満たされないものとして心のどこかにあるのではないでしょうか。それを自分できちんと処理をして「私は満たされている」と堂々とされている方は偉いと思うのです。

しかし人間はさほど強くもない、というのが私の持論です。弱さがあって当然だと思うのです。

近頃の社会は良いことと悪いことをマスコミが国民の代弁者よろしく騒ぎ立てますが、白黒はっきり区分けできるほど人間社会は明快ではないはずです。日報さんのコメントの中にもいろいろな意見があるように善と悪が混在しているのが現実ではないでしょうか。

私はパチンコをバッシングする人の意見をしっかり読みます。そこから自分は何を感じるのか? そしてどんな気持ちになるのかを素直に認めます。暗い気持ちになることもあります。

でも、嫌いじゃないのでしょう。この場そのものがパチンコ屋さんと同じく混沌としているから自分はなんとなく居心地が良いのだと思います。

パチンコ屋さんの存在の意味や是非を語ることは無意味ではありません。毒を吐くことによってうさが晴れるのならそれも良いのではないかと思います。ただ私はだからこそパチンコ屋さんがあって良いのではないかと思うのです。その役割を果たせなくなるようなパチンコ屋さんなら世の中から消えてしまってもそれは仕方のないことではないでしょうか。



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パチンコ屋さん その1

島根県に出張の際、列車の待ち合わせがうまくいかず、一時間ほど駅前の喫茶店で時間を潰していた時のことです。

古びた喫茶店には先客がいて、お婆さん三人が世間話をしていたのですが、如何せん狭い店内のこと。聞くつもりはなくても全ての話が聞こえてしまうのです。

「あんた最近パチンコ行っとるの?」

「行っとるよ。家におってもすることないし、あれが一番やね。嫌なことも忘れられるし」

「そうだねぇ。でやっぱりイチパチだろ?」

「4円なんか打ってたらあんた、あっという間にコジキになっちまう」

「私もスナックやってた時はさ、気狂いみたいに毎日大工の源さん打ってたけどね、今は1円」

「そうそう、パチンコなんかに命かけてらんないよ。ま、いつ死んでもいいけどさ」

「あははは」

私は彼女たちの会話をほのぼのとした気持ちで聞いていました。それでいいんですよ、と心の中で相槌を打ちながらまだパチンコは死んでいないんだなと思ったものです。

人はどうしてパチンコをするのだろう、ということをよく考えます。
仕事が充実していて家庭が円満で、経済にも余裕があって、という具合に順調な日々を送れている人はパチンコをするのだろうか。

私は満たされている時にはパチンコなんかしないのではないかと思うのです。
逆を言えば何かストレスを抱えていたり、満たされないものが心の中にあったりする人達がパチンコ屋さんに足を運ぶのではないでしょうか。

件のお婆さんの一人がこんなことを言っていました。

「あれやってるとさ、嫌なことも全部忘れられるんよね。ほら、家にいて見ないテレビつけっぱなしにしてさ、一人でおるから話もせんし、出てくるのは独り言やろ。誰もおらんのになぁ。でもあそこ行けば、顔見知りがおって挨拶でもすればそれだけでも気休めになるしなぁ」

振り返ってみれば私自身もパチンコに狂っていた時は何か満たされないものがありました。特にこれが、というものではないのですが何か生活がつまらなかった時期でした。もちろん自分がそうだからと言ってパチンコ屋さんにくる方々全員がそうだという話ではないのですが、そういった方々もいらっしゃるのではないかと思うのです。

ホールで仕事をされるスタッフの方々もたまには何故このお客さんはうちの店に来るのだろうか。何故毎日負けているにもかかわらずまた来るのだろうか。という視点で思いを巡らせてみることがあって良いのではないでしょうか。

つづく


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違和感しか感じない

珍しく夜の研修でした。現場で釘の効能を知るために実機を使用し、数々の実験を行った時のことです。どうしても台ガラスが邪魔になって、その都度全面のガラスを扉ごと外すのですが、これが面倒くさいことこの上ないのです。おまけにかなりの重量で非力な主任は扉を外すたびによろけては耐え、よろけては耐えの連続でした。

この時の台はエヴァンゲリオン15でした。これは35kg〜40kgほどもあり、ちなみに今一番重い機械はG A R Oの50kgだそうです。比較的シンプルな海物語でさえ30kgあると言われていますからこれは狂気沙汰としか言いようがありません。

「全くメーカーは何も考えとらんな。いらんやろ、こんなエヴァの顔とか。邪魔やな」

私は諦め顔でボソッと呟くとそばで見ていたエリアマネージャーが「なんかMIRAIで機械が重いって会議にかけているらしいですよ」と物知り顔で私に伝えた。

「なんじゃそのMIRAIって」

「ホールとかメーカーとかの有志が集まって業界の未来について・・・」

私は、言葉は悪いが途中でアホ臭くなってほとんど聞いていなかった。

そもそもホール経営者の外交、ロビー政策というものがわからなさすぎるのです。

何度も言いましたが「未来」などと意味不明な言葉のもとに集まり、自分の店を放ったらかしにしている経営者にビジョンはあるのだろうか、と。未来はいまがあっての未来なのであり、無い物ねだりではないはずです。夢?子供が将来の夢を語るのは見ていて微笑ましい。

だが、今の状況に四苦八苦している大人が語る夢や未来とは一体何を指すのだろうか。
違和感しか感じない。

思えば名前は忘れたが「アメリカのチェーンストア理論を勉強しよう!」と信じられない言葉を有名企業の社長が号令をかけたらホール経営者や部長クラスが集まる、集まる。

勉強会と称して何を勉強しているのかは知らないが、勉強より先に機械の重量をなんとかして欲しいものだ。

そもそもチェーンストア理論を実行したから当時飛ぶ鳥を落とす勢いのスーパーダイエーが潰れたのではないのか。アメリカより国土面積が遥かに狭い日本でチャーンストア理論が有効だとするというその意図が全くわからないし、これもまた違和感しか感じない。

だから近頃パチンコ屋は潰れて欲しいというお願いの言葉が横行するのではないだろうか。

今回は書いている途中で感情を使ってしまい、文章が荒れてしまいましたことをお詫びいたします。が、あえてこのまま投稿します。いつもありがとうございます。


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私ごとで恐縮です

先日あるホールの夜間作業にお邪魔をした時のことです。どうしてもマイナス差玉が止まらない台があるので見て欲しいとのことでした。

私は気軽に了承の意を告げて一緒に困っているという海物語地中海の台まで行ってみました。

私はコンプライアンスの件もあるのだから釘を左右に振る整備はあってはならないときつく言い伝えています。その店の副店長もそこらへんはよく理解をしていて見た目には、まっすぐな釘でした。が、よく見てみると上段の上下角にかなりの開きがあるのです。

「これ、3度から6度くらいに開きがあるように見えるけど」

「はい、かなりいじってます」

「これじゃワープにはなかなか入らないという意図が見えすぎているよね」

「そうなんです。実はこの台に毎日座るお客さんがいて、ほぼ単発打ちでワープ狙いなんですよ。それがまた上手くてですね、正直どうしたらいいのか困っている状態です」

「君たちはそのお客さんには何も言ってないの?」

「1円でもありますし、それでお客さんが楽しんでくれているのなら仕方ないかな、と」

それまで黙っていた店長が一言横から

「この顧客さん、貯玉が99万発あるんですよ」

「4円ならお願いしたかもしれませんが1円だから目をつぶっている状態です」

私は99万発の数字に驚きもしましたが、この二人の顧客に対する取り組みになんとなく、親しみを感じながらその後も話を聞き続けました。

とにかくその客は毎日来ては少しの投資金額で少しづつ貯玉をして帰っていくそうで、その話をしている二人は困っている
というよりも何だか楽しげにも見えました。

私は、コンサルティングはしないからその解決策については何も語らず、ただ釘の基本的なメカニズムをもう一度よく思い出して、その客と勝負をしてごらんとだけ言いました。

釘は勝負です。お店と顧客を繋ぐ唯一の勝負どころ、なのです。久しく現場に足を運ぶ機会がなかった私はやはり現場は生きているんだな、などと一人感傷にふけっていました。

くどいようですが、企業オーナーがどうであれ、業界の未来がどうであっても、現実に今釘を叩いている人間がいて、内心ほくそ笑みながらその台を打つ客がいる。

これがパチンコ本来の姿だったのではないのか、と思いました。

だから私はこの仕事を辞めることができないのだと再認識した次第です。


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失敗して成功する

世の中には絶対的な方程式があって、「成功の次は間違いなく失敗になる」という言葉に出会いました。その言葉を自分の人生に照らし合わせて後ろを振り向けば、その言葉通りでした。人間の生きる様というものは「上がっては下がる」の繰り返しなのですね。

研修中にただ釘の技術だけを教えていれば良いものを私は若い世代の人たちにこのようなお話をよくします。皆さんは何度失敗しても良いのだと伝えても、何故か上手くやろうと頑張ります。

しかし彼らはその過程において釘を一本叩いては上から横から斜めから、とじっと見ている。釘は叩くものであって見るものではないと何度言い聞かせても彼らは釘に見入ってしまい手が動かなくなるのです。

見かねた私は大声で「汚くてもいいから時間内に仕上げろ!いい大人が図画工作なんかやるな!」と言ったかと思えば出来上がったゲージを見て、

「今度はここが曲がっている、上下角度がバラバラだ、姿勢が悪いからこうなる」などと文句のオンパレードよろしく塾生たちにハッパをかけるのです。

ところが暫くして失敗作を幾度となく作るうちに塾生達はある瞬間に素晴らしいものを作り上げるのです。これが先週の記事にも書いた「取りに行く」ということなのです。

分かりやすく言えば自らの意思を持って行動するということです。上手く行った時の笑顔は格別です。何せ自分の努力によって良いものができたのですから嬉しくないはずがありません。

喜びは自分の手で掴む。それが実感できたときに人は成長するものです。

失敗という「結果の数」は痛ましい分、その人を豊かさの領域へと導きます。

失敗しない人は己の中の己にとどまってしまい、適当な言い分を取り繕って己の中だけで満足してしまうのです。そしてその姿勢は周囲の人達のために何も生み出さないのです。

パチンコ企業は一度成功した後、稼いだお金を手放したくなくなり、失敗を恐れ今日に至ります。だから何に対して努力していいのかわからないのだと思います。

経営者が己の心に籠城していても限度があります。それが今の状況なのでしょう。でも私は思うのです。今からでも遅くはない、と。正しい方向に向かい企業が努力をするならば、失敗しても努力をし続けるなら必ずその成果は現れるであろうと。

最後に失敗して成功するという方程式は釘も経営もその真理に違いはありません。


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