パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

パチンコ産業革命②

現状の困窮を真摯に受け止めその原因をつぶさに認知する。「今」という時間は過去の積み重ねからくるものです。良い結果にはラッキーがありますが、悪い結果にアンラッキーはなく、必ず悪い原因があるのです。

残念なことに悪い原因を是正して市場が回復するような段階は既に過ぎ去っているのがパチンコ業界の「今」です。であるならば今後どうしたら良いのか。ここにフォーカスすべきではないでしょうか。

パチンコをオンライン化するとか公営ギャンブルとして認めさせるなどといった滑稽なやり方は何の解決にもなりません。

ましてやスマスロやスマパチといった愚策はかえって市場を混乱させ、業界の衰退を加速化させるでしょう。なぜならそれらは顧客の立場というものを一切考慮していないからです。もちろん一時的にはある程度の活況を見せることはあるでしょう。しかしその結果は火を見るより明らかなるものなのです。

ロマンを実現するためには少なくも直近5年程度の経営戦略を策定し、それに向けた行動を余儀なくされます。そこで戦略とは何かを理解する必要があるでしょう。今や戦略という言葉は当たり前のように使われていますが、言葉だけが先行しその意味合いや重要性を理解されている方々は意外に少ないのではないでしょうか。

5年後の姿をまず思い浮かべてみてください。

① パチンコ人口はどのように推移しているのか→年齢や性別など市場の状況を把握する
② 同時に自社の規模を定める→店舗数・売上高・経常利益・社員数等
③ 行動の指針を固める→顧客から支持され続けるための企業としての行動を決めておく


このあと延々と続く戦略の定義なのですが、ここに挙げられた項目の数々は昔から言われていることであり、もはや古さを感じます。つまり当たり前のことなのです。戦略とは全くの新しい発想からなるものです。

蒸気機関車から始まる鉄道の歴史は、動力エネルギーを蒸気から電気に変えることが戦略であり、やがては磁力を使用するリニアモーターカーへと続くのですが、ここでその戦略の要は何なのかを理解しなければなりません。それは利用客の移動時間を限りなく短くするというロマン、つまり『志』ありきであったということです。

パチンコ産業がこの世にあり続けるために顧客のためになることとは何か。そしてそれを実現するために何が足りないかではなく、自分達の労力を厭わず何ができるか、ではないでしょうか。

前回も書きましたが、自分達の何かを捨てない限り顧客の支持信頼を得ることはできません。
産業の存続の為に放し難きを放ち『志』に熱情を傾ける経営者さんは必ずいると信じます。


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パチンコ産業革命①

商いにおいてお客さんの声を聞きすぎてもどうかと思いますが、お客さんのための商いだという思想は貫くべきです。お客さんは何を求め、何に興味を持ち、どのような事柄に不満を感じているか。今までよりもっとお客さんの内面に関心を持つべきだと思うのです。

例えばあり方として「顧客の信頼回復無くして産業の存続はない」という思想を心に念じてそれに伴う行動を取り続ける仕組みを模索する。以前にも申し上げましたが顧客のための思想が欠落していては商いの程を成しません。商いの程とはこれからの道筋を指します。

今後20年我が産業は、我が社はどうありたいか。それを必死に描いてみる必要があります。
「20年後のあるべき姿=ロマンの模索」とでも言いましょうか。

ロマンを慣れ親しんだ日本語でわかりやすい表現を使うとするなら『志』と言い換えることができます。『志』とは当たり前のことですが、真剣なものです。そして物事の根底をひっくり返すものとなるのです。誰からも「そうだ!それがいい」などと共感を得られるようなものは得てして志にはなりません。

それは現実を改善していくという程度のものであって、根本を見直すことにはならないからです。むしろ「そんなことは無理に決まっている」「今を見ろ!そんなことできるわけがない」などと否定的な意見が大勢を占め、皆から笑われるものが志となりうるのです。

・例えば20年後にはホールサイドとメーカーサイドとの機械開発会議が週単位で行われている

・例えば20年後には風営法からの脱却を図るべくパチンコ産業の誰かが経団連に名を連ねる

・例えば20年後には新卒の就職活動において人気企業ベスト10にパチンコが名を連ねる


例を挙げればキリがありませんが、いかがですか? 笑ってしまうでしょう。しかし私はパチンコ産業が20年後こんなふうになっていたらどんなに嬉しいことか。今働いているスタッフたちも浮かばれるのではないだろうか。これで親や子供たち、社会からも認知される。素晴らしいことではないだろうか。などと考えてしまうのです。もっともこれらの姿は顧客からの圧倒的支持が成り立っているのが前提であり、ホールサイドの自慰的行為を指しているのではなりません。

社会に名を連ねるということは自発的な行動も必要ですが、周囲から認められて、推されていくものが産業として長きにわたり活躍できるのではないでしょうか。

だから『志』を表明する者は皆から笑われ、「きれいごとだ」と揶揄されるのです。
それらの大勢を覆すほどの信念と必死さがあるからこそ『志』と言えるのではないでしょうか。



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パチンコ屋さん その5

田舎にあるパチンコ屋さんに訪問しました。顔見知りの主任とは久しぶりに会います。

元気かと尋ねると開口一番「先生、もう大変すぎて死にそうです」とのことでした。

何が大変なのかと問うとアルツハイマーと疑わしきご老人がいらっしゃってその対応に、四苦八苦しているとのことでした。

あるお婆さんはお金をサンドに入れたのに何も出てこない、と訴える。

本当にお金入れたの?と聞くと間違いなく一万円札を入れたと自分の財布を開けて見せる。
その財布の中にはお金で買った遊技カードが入っていた。

ちゃんと買っていましたね。良かったですね、とお婆さんと笑ってその場を収める。
それが1週間のうちに何度もあるのだという。

あるおじいさんはパチンコをしながらお漏らしをしてしまうそうで、おじいちゃんおしっこ漏らしたでしょ?と聞くとしていない、の一点張り。その問答を二、三度繰り返しじゃあ立ってみてと言うと椅子にはしっかり粗相の跡がある。

おじいちゃん今日は体調が悪いからもう帰ろうね。おじいさんは素直に席を立ち帰る。それから一時間ほどするといつの間にかまたパチンコをしている。

そして二度目のお粗相。そこで聞いてみる。おじいちゃんそれでもパチンコしたいの?と。

自分はパチンコが好きでたまらないのだと言う。それならば今度来るときはオムツを履いてきてみたらどう?とやんわり進めてみる。そしてその翌る日。そのおじいさんにオムツをはいてきた?聞いてみるとズボンを下げてはいてきたことをアピールしたのだという。

もう大変だというその主任の表情には意外と困った色はない。むしろそれを楽しんでいるくらいの勢いで苦労話を私に告げる。予想外の行動をしてしまうご老人。その対応に追われる若者。その現実は理想論や誹謗中傷など通用せず、ただ現実の出来事として存在する。

ひとしきり主任の話を聞いた後思い浮かんだ顔がある。皮肉にも私が知っているメーカーの人間であったり、ある特定のパチンコ屋さんのオーナーたちの顔だったりする。

解決策はないのですか。現場での出来事を聞いたことがありますか。
あなたたちは今何を考えているのですか。
これからも今まで同じことを繰り返すのですか。

彼の店を後にした私の感情は決して穏やかなものではありませんでした。


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パチンコ屋さん その4

負け組さんがおっしゃっていた「変わる努力」とは一体何を指すのでしょうか。
私なりに考えてみました。

個人の器は福を貯められる量が決まっていると言われます。それは企業も同じこと。
パチンコ屋さんはその点において福を沢山頂いたのにもかかわらず、その福を何らかの形で、他者に分けるということをしてこなかったのでしょうか。

だとすればその器から福がただ漏れていただけのことという解釈ができます。

「自分が何か新しきものを欲するのであれば何かを捨てなければそれは叶わない」という言葉を知り、自分の人生に照らし合わせてみると、とても腑に落ちる言葉でした。

件の予め定まっている器の容積が満タンな状態でさらに新しい何かを得ようと欲するなら、物理的に考えても何かを吐き出さなければならないという理屈に繋がります。

分かりやすく言えば、パチンコ屋さんはより多くのお金を手に入れるためにお客さんの人気・支持・信頼という最も大切なものを失いました。意図した、しないは別として、です。

ではこれからパチンコ屋さんが過去を振り返り、存続を目掛けてその商行為を続けるならば、何を捨てれば良いのでしょうか。これを自分に照らし合わせて考えてみると恐ろしいほど至難なことであるという結論に至りました。

「パチンコ企業の存続」を手にしたいのであれば、「規模の縮小」と引き換えなければないと仮定します。それは企業経営において財務と密接な関係にあります。規模を縮小しお客様に遊んでいただくために自らの収入を減らす。もし私がパチンコ屋さんを経営していたらかなり難しい事と思います。誰だって自分の収入を減らすのは嫌ですから。

それでは一体どのようにしたら顧客の支持を取り付けることができて、自己の経済事情を満たすことができるのでしょうか。これからの経営者の方々はそれを目から血が出るほど考えるべきだと思うのです。それが企業努力であり、経営者の宿命ではないでしょうか。

企業努力といえばもう一つあります。100%純粋な気持ちでメーカーさんと機械台のあり方を徹底的に議論することです。

昔と今ではパチンコ屋さんの置かれている環境が違います。

自らの経済状況をはじめに考えるのではなく、お客さんの支持や信頼を生むために何ができるか。何をするべきか。これからの未来を担う3代目の社長さんに切に願う次第です。


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パチンコ屋さん その3

もう15年ほども前の話です。上野でお酒を飲んでいた時のことです。
その席には警察O Bの方もいらっしゃいました。
その方のお話が興味深かったので今でも記憶しています。

彼がまだ警察官になってまだ間もない頃、1960年代のお話です。
日本はアメリカとの安保協定を結ぶ、結ばないで国内は騒然としていました。
大学では毎日のようにデモが行われ会社員ですら「安保反対!給料上げろ!」のシュプレッヒコールを声高に叫び治安が収まらない状況だったと言います。

そんな中、その方の上司が

「本当に国内情勢はこのままではまずい。国民の真意はどこにあるのか」

ここからがその上司のユニークな発想です。

「お前らパチンコ屋に行って様子を見てこい。国民全員が安保反対なのか見届けろ」

何が何だかわからない新人警官たちは散り散りになって町のパチンコ屋の様子を覗ってみたところ、そこには安保反対の風など吹くはずもなく、軍艦マーチと煙草の煙、そして庶民たちがパチンコをしていたそうです。

その報告を聞いた上司は

「これで大丈夫だ。庶民には庶民の生活がある。国内情勢の問題が大いに懸念されているが、必ずしも日本国民の焦点がそこにあるわけではないことがわかった」と至極ご満悦の様子だったとその方は懐かしげにお話をされていました。

パチンコは庶民の娯楽だ。いや、そうあるべきだと思います。

それがさまざまな理由によって娯楽でなくなりつつあります。

娯楽の博打化はメーカー、ホール、そしてプレイヤーの心の中に潜んでいる感情が要因の一つだと私は思います。一時は博打感覚が楽しかった。勝っても負けてもパチンコは楽しかった。

それが今では楽しいという感覚が見えてこないのです。昔は2万負ければ怒りを露わにして店を罵り、2万勝てば恵比寿顔で勝ったと言う自慢話を得意げにしていたものです。

それが今では10万勝っても店内で喜ぶお客さんを見ることがありません。10万負けて店にくだを巻くお客さんもだいぶ少なくなりました。

感情の起伏が乏しくなり、ただ台に向かってうち続けるその様は、娯楽からはほど遠く感じられることもあります。

それでも自分のペースに合わせてパチンコを楽しむお客さんはまだいるのです。
今の流れをもう止めることはできないのでしょうか。


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