3月3日はそれ以外にも「耳の日」というのがある。3が耳の形に似ていることから、「み(3)み(3)」の語呂合わせから日本耳鼻咽喉科学会が記念日に制定している。
耳と言えば、何を想像する?
この日を「メガネ記念日」と、あるホールオーナーが決めたのは今から40年ほど前だった。1984年(昭和59年)が、どんな年だったかと言えば、フィーバー登場から4年後のパチンコ業界は新店ラッシュに沸くと共に、フィーバーは15秒規制になった年でもあった。
翌年はフィーバーの10カウント規制でパチンコ業界は終わった、と言われたがそんなことは杞憂だったことを歴史が証明している。
で、話しをメガネ記念日に戻すと、1984年はたまたまうるう年だった。オーナーは、うるう年の3月3日をメガネ記念日に制定すると共に、社員・アルバトの家族を含めて全員にメガネをプレゼントすることにした。
なぜ、そんなことをしているのか、とオーナーの親せきがメガネチェーンを経営していて、支援する意味合いもあった。
視力検査は機器を持ち込んでホールへ出張した。検眼した後、1カ月以内にメガネ屋へ出向き自分の好きなフレームを選んでメガネを新調した。
うるう年のメガネ記念日は、ホールの一大イベントでもあった。
これは福利厚生の一環だった。忘年会や新年会行事をやらない分、そちらに費用を回した。メガネが必要ない人には5万円が支給された。
過去、最高で350本のメガネを新調したこともあったが、4年前は80本まで減少していた。いうまでもなく、店舗の減少に伴い、従業員数が減ったからだ。
オーナーは今年のメガネ記念日が最後になると、従業員や親せきのメガネチェーンにも伝えた。業績が悪化したことが理由であることは言うまでもない。
最後ということもあって、500人余りが検査すると思われたが、最終的には324本のメガネを作った。その中に、小学校に上がる前の子供が参加した。
視力調整用にレンズを組み合わせる時のまんまるメガネの自分の姿を見て「こんなの嫌だ!」と大泣きしたことはご愛敬。
昔のメガネは高かったが、今や5000~6000円でメガネが作れる時代とはいえ、ホールの一大イベントが終焉するということは、寂しい限りだ。従業員のモチベーションにも影響しないことを祈る。

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泣けてきます
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