さまざまな批判を受けながらも未だ日本に存在するパチンコとはとても不思議なものだ。
全遊協は1966年に通産省から正式に認可を受けた。遡ること36年つまり1930年に風俗営業第一号店が名古屋で認可された。とWikipediaには書いてあった。
私は、パチンコはグレーゾーンの中で生きてきたのだと思う。ここ30年ほどはグレーから脱却を図りホワイトゾーンへなんとかイメージを変えようとさまざまな努力をしてこられた。しかしそれは今の段階で有効的な結果を残してはいない。むしろイメージはダウンする傾向にある。と言えば、皆さんはそうだそうだと相槌を打たれることでしょう。
それはパチンコに対する評価基準をどこに置くかで変わってくるのではないでしょうか。批判の多くは善、もしくは正しいもの、道徳的なものを基準としているわけですから当然パチンコに対する評価は良いものであるはずがありません。そこでパチンコはグレーでもホワイトでもなく、ブラックだと(イメージの話です)評価の基準を変更するとどうなるのでしょうか。
そもそも賭け事はどこの国にもあり、賭け事は余程強い法律で縛ったとしても隠れて存在するものではないでしょうか。そしてその事実をほとんどの大人たちは知っています。知っていても賭け事をしない人たちはたくさんいます。その人たちは賭け事の是非を口にすることはほとんどありません。なぜなら興味がないし、そもそもその賭け事の内容をよく知らないからです。
そこでパチンコです。私は、パチンコはとどのつまり賭け事だと思っています。だからパチンコは世の中の主流になることはなく、国が援助しなければならない産業にはなり得ないのです。つまり市場(国民)がパチンコに興味を持てば人気が高まるし、市場がそっぽを向けば衰退の一途を辿る。ただそれだけの話ではないでしょうか。
パチンコは賭け事だ。自らがそう言って事業を継続するならば開かれる道もあると思うのです。随分前に身の程を弁え、分際を知ることが大切だと私は記事を書きました。周囲の評価や批判を聞くことも時には大切です。
しかしそれよりもパチンコ産業そのものがどこに位置しているのかを自らが認め公言しなくてはならないような気がするのです。ホワイトなのか、グレーなのか、それともブラックなのかを、です。
現実に射幸性の高い機械を多数設置して入れ替えを頻繁に行うお店にはお客さんが多く集まる傾向にあります。反対に低玉や比較的穏やかな機種を設置しているお店は稼働が低いのです。それこそが自らの立場を立証していることになるのではないでしょうか。

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現状では『真っ黒黒助』。
去る10月19日に、都遊協に於いて遊技場経営者研修会が実施され、警視庁生活部担当官の講話で業界側の違反行為について注意喚起があった模様。
ピンバック: 通りすがりの風来坊
人によって見方が変わりますので、
七色に光る虹の様なものでしょうか。
注意喚起とは、悪意のある書き方です。
例えば交通安全教室を開いたら、参加した警察官が、「道路では車に注意しましょう」と講話をすることがありますが、
遊技場経営者研修会でも同様に
変更時の申請手続や広告ルールや景品管理の講話です。
他にも大学教授が講演したり
元厚労省副大臣が業界に協力したいと参加したそうです。
ピンバック: 徳名人
それなら、業界誌に苦情を言って下さい。ソース出ています。
しっかりと『注意喚起を促した』って掲載されてますよ。
いつまでも解釈を自分達に都合がよくなるように捉えて『一に脱法、ニに脱法、三四が無くて五に脱法』こんな事ばっかり考えてるから果て無きイタチごっこになってるのです。
ピンバック: 通りすがりの風来坊
またコメントからの寄稿採用にチャレンジしてみたら?
前回は見事に無視されましたね。
是非挑戦してください。
ためになるお話をお願いします!!
ピンバック: あなたの見方はなんぞや
真っ黒黒助に思わず笑ってしまいました。そう捉えている方は決して少なくないと私も思います。コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
ピンバック: ベン
本当にグレーの頃は楽しかったです。お陰で私も随分とハマりました(笑)
今はパチンコに限らず白黒社会ですから生活に面白みが減りました。コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
私がお伝えしたかった事柄そのものをコメントしてくださいました。「小さくても生き残る道はある」この言葉に共感を覚えます。コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
ホワイトに変えたければ、換金やめればいいだけ。
何色にするかは、自分達で決められる。
日陰者と自覚して、小さく生き残る道はあると思います。
ピンバック: 日陰者
ま、その1台のアウト玉、セーフ玉を公表していないのも謎。最低出玉率で営業しているのではないかと思うほど出していないし。
アウト、セーフを公表してしまうとホールがどれだけ粗利益を取っていることが分かるから公表しないんだろうね。この業界は、全く言っていいほど透明性がないから。
ピンバック: 匿名希望
そうですね。昔に比べれば情報開示の量はかなり増えたとは言え、それでもユーザ様から見ればまだまだその量は足りないと思います。故にカラーリングの位置付けは大切なのではないかと思います。コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
今は、賭け事ではない、ゲームに近い。
今の台は、高設定こそが出玉を得る唯一の手段といってよく、
それを掴めたものが勝ちを得る構図になっています。掴めなかったものは、勝ちを得ることができない。
かつての四号機・五号機初期は、例え高設定をつかめずとも、勝てる要素があった。
強力な天井機能、強い一撃フラグ、運良く引けた子役による爆裂モード。
低設定でも勝てる望みがあった。この低設定でも勝てる要素こそが、パチを賭け事という分類にしていたと思います。運さえよければ低設定でも勝てる。
だからこそ、正月や盆といった回収時期にも関わらず、人々はパチ屋に
訪れることができた。「運試し」と称してね。
ですが、今は高設定を掴むことのみが勝利する唯一の手段であり、運が絡む要素はほとんどない。
例え僅かな運でコインを得たとしても、昨今の台は出玉速度を
重視しており、あっという間に終わる。低設定はもともと出玉が「出ない」仕様なのですから伸びもない。
ドル箱に収まるのがやっとの出玉を、
わずか数分程度、暇つぶしにもならない。
打ち手としては物足りないの一言でしょう。そこで帰れば勝ちにもかかわらず、
手持ちコインでひと勝負し、二匹目のドジョウを得られず死亡。
低設定は余りにも夢がない。パチ屋は商売ですから、高設定ばかり設置することは
できません。そんなことは誰しもわかることです。しかし、その高設定を掴むしか手がないのに、掴めるのは限られた、状況的に有利な人たちのみ。
高設定は運が絡むと逆に出玉にムラが出て下ブレするので、高設定を
掴む人たちにしてみれば、運要素というのは邪魔でしかない。
運要素で出ることこそが、賭け事、ギャンブルの真髄だと思います。今は、その運要素が極端に低い。
だから、今のパチは賭け事、ギャンブルとは言い難い。
富を掴むのが一部の人間になりやすいから、低設定しか打てない時間も金も限られた人たちの不満は溜まる一方です。
ギャンブル性とは、勝ち金が高額であることではない。運があれば店の想定外の
出玉を得られる要素だと自分は考えます。
その要素をもう一度取り込めれば、低設定でも人は打ってくれるでしょう。一縷の望みを託して。
ピンバック: 一般ゆーざー
読み初めは少し理解がしづらかったのですが、徐々に腑に落ちてきました。
私は凱旋で随分と賭け事を楽しみました(笑)コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
今はメーカーは白ですね。
法律でガッチガチですから。
ホールは分からない。
ピンバック: 業界人
それは間違いないですね。
上場会社がクロであってはいけません(笑)コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
すみませんとは負け組さんらしくありませんね(笑)いつも通りそこはガンガン攻めてください。コメントありがとうございます。
ピンバック: 山田塾
ピンバック: 負け組
ギャーギャーと行政を批判している人がいました(いや今もいますねw)が、これに対しその根拠を含めて詳細な説明を求めても返答がない。営業する側の都合だけでものを言っているようでしたので、いざ法目的絡めて説明を求めたらトンズラ。情けない。
また、数年前の交野市の裁判では、うろ覚えではありますが客の態様も原告から主張がされていたように記憶しております。
ここで風営法第1条に戻りましょう。
かつてこの法律で、第1条の目的で規制されていたダンス業界はどうなりましたか?
これに比べてパチンコ業界はどうでしょうか?
今回身の程なる言葉が出てきました。
己の現在の能力を知って、業界の邪魔になりかねない発言を控えることも、「各個人の」身の程を知った弁えた行動とも思えました。その都度適切に説明し反論をしている姿が認められればこのような感想にはならなかったとは思いますが。
ピンバック: ヒステリックまりのん
「今時、ダンスなどは、売春買春とは結びつかずいかがわしくはない。規制することは、もはや時代錯誤手である」と、
民意を得たから外されたのでしょう。
見習いたいものです。
ピンバック: 徳名人