パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第2話 失意 ⑥

木村くん

「坂井さ~ん、そこにいるのはわかってるんでげすよ」
木村君の誘いは執拗だった。

「みんな待ってますからぁ、みんな心配してますからぁ」
ドンドンドンドン!

「坂井さ~ん」
 
木村くん。その年は19歳。僕より年下なのだが、パチンコの経験は僕なんかより断然豊富である。背は中くらいで、太っている。いわゆる肥満体型である。面体といえば、結構優しそうでどちらかといえば可愛い顔をしている。

しかし本人は東映のヤクザ映画にどっぷりとはまっていてそのスタイルから仕草までヤクザ屋さんをかなり意識している。そして何故かヘアースタイルだけがホテルオークラばりの七三分け。アンバランスかつ、アンビリーバボーな容姿だ。

木村くんと入社したての僕との出会いは鮮烈的であった。彼は正面からのっしのっしと肩で風を切って僕の前に登場してきた。

「坂井さんですかい?あっしは木村と申しやす。ぱちんこは初めてですかい?」

僕はいきなり面食らう。いまどきこんな言葉遣いは六十過ぎの爺さんでも使わないだろう。彼は僕の怪訝そうな顔を見ても顔色ひとつ変えず

「これからこの店のことで何かわからないことがあればアッシに言って下さい。店長にはそう言い使ったもんですから、へい」

僕はとうとう吹き出してしまった。いくらなんでも「へい」はなかろう。しかも「アッシ」ってなんだ?彼は今度は僕の胸の内を見透かしたかのように

「おかしいですかい?ま、これから仲良くやりましょうや」と言ってその場で踵を返した。

おそらく彼にとってはこれ以上ないニヒルさでの自己紹介だったのであろう。得意満面の笑顔であった。それで終わりかな、と思っていると二~三歩進んだ彼はくるっと体を回し

「言い忘れましたが、みんなはあっしのことを・・・仁義なき肥満と呼んでおりやす」

僕は彼の言葉をやり過ごすように懸命に努力したが、それは到底無理だった。いろんな人間がいるもんだ、と感心する一方でどことなく彼に親しみを感じていた。以来、彼とはまずまず仲が良かった。そして彼から教わったぱちんこの知識も結構役に立ったものだ。
 
さて、どうしたものか。ほかの従業員の誘いなら迷うことなく寝たふりを決め込むところであるが、相手が木村くんとなるとそうもいかない。僕は観念してそおっとドアを開けた。

「ほらあ、やっぱりいたでげす」
またしてもや例の口調に僕は笑わずにはいられなかった。

「ささ、坂井さんがいないと張り合いがなくていけませんや。早く一緒に食堂に行きましょうや」

僕はちょっと待ってと伝えると部屋に戻りジャージを取り出した。
 
この店では新装開店の初日には、全ての作業が終わると従業員たちを集めて店長カルティエがお酒と少しばかりのつまみを用意するらしい。従業員たちの労をねぎらうとか言っていたが、僕には全く興味がない。しかもあの下品でデリカシーの欠片もないカルティエの能書きをこれからまた聞かなくてはならないことを想うと急に心がしぼんでいく。
 
さっき今月でこの店をやめようって決めたじゃないか。だのに今更付き合いなんか意味ないよな。だいたいこのぱちんこっていうものが不可解だ。

またぞろ嫌な記憶が蘇る。従業員どうしの足の引っ張り合い、そして嘘。ガラの悪い客、拘束時間の長さ。休みがない。どれをとってみてもこの仕事に魅力なんか感じられない。それどころかこんなところに一生いたら必ず心が壊れてしまう。優柔不断な僕はジャージの上着に片袖を通したままそんなことを考えていた。そしてやっぱり断ろうと後ろを振り向くと、

「お、ピューマのジャージですかい。ピューマはよがんすよね」

ピューマじゃない、これはプーマだ。僕の顔は笑っていた。この店に来て初めて笑った。二人で食堂に足を運ぶ短い時間の中、僕は彼に感謝した。

つづく

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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. この時代は店長、マネージャー「釘師」と主任~兵隊まで3人くらいがセットで移る事も多く、⚪⚪さんは前の店長が連れて来た人だから云々…派閥がありました。温厚な人同士とか馬が合う人が仲良くなりました。18時開店の後は町内の焼肉屋で打ち上げとかの店は多かったです。
    猫オヤジ  »このコメントに返信
  2. ピンバック: 猫オヤジ

    • 平成初期頃迄ははオーナーから乞われて契約金みたいな物まで貰った上で営業全般を任され店長・主任・兵隊のワンセットにて店を渡り歩く方達が確かに居ましたね。
      私の仕えていたオーナーは嫌っておりまして、下からの叩き上げしか信用しない方(日本人)でしたが他オーナーからの需要は結構有ったみたいですね。
      私も最初で最後だけ対決する機会が有りましたよ。
      まだCR時代前の現金機の新用件に移行したばかりの頃ですね。
      私は当たり前に知りませんでしたが業界では結構知られた方だったらしく”ひげ”と言うアダ名て呼ばれて居た方でしたね。
      手法は保留連の有る回しずらい機種は導入せずに小TYの兄弟機種をメインに換金率を2円23銭に落としで当時まだ珍しい無制限営業にて集客をすると言う物でした。
      結果は閑古鳥が鳴きまくっていた店を確かに見た目は建て直してましたね。
      勿論返り討ちにしてやりましたが詳細を書くと長くなりますので省略(*´ω`*)
      しかしながら良い経験と勉強をさせて頂きましたよ(^-^)
      これって今の低貸し営業が最後は何ゆえに行き詰まってしまうのか?と共通していると思いますね・・・
      出戻ってくれた常連様に話を伺うと共通するのが「確かに遊べるけど遊べるだけetc。」みたいな感想でしたね。

      言い方は適切で無いかも知れませんが賭場と云うのは、より多くの金を集める事が出来る所が最後はお客さんの支持を得るのだと思いますね。
      私は公営はボートレースユーザーでありボートだけを愛して止みませんが愛するボートレースでは有りますが残念ながら中央競馬を越える事は絶対に無いと思いますね(-_-)
      もと役員  »このコメントに返信
    • ピンバック: もと役員

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