先日、綿棒1本でジャグラーの稼働をアップさせた話を書いた。実はこの話は、業界では誰も書いていない話で、私の十八番の話でもある。
この「綿棒1本」の秘策は、「『1杯のかけそば』より感動した(笑)」とは伝授したオーナーや店長の感想。
★この話こそがホール管理職だけではなく、どの業界の管理職にも必要な「気付き」の話でもある。
その前に、北電子の「サーカス」の話から始めなければならない。

私よりも人生の先輩で、私の100倍の釘経験を持つトミナガ氏と酒抜きでパチンコ談議したことは以前書いたことがある。
東京の喫茶店で5時間以上話しても、話し切れないお互いのホール運営談議だった。
それほど釘や機械調整、店舗運営は奥が深い。
今の機械はスタートの開け閉めやTY調整がメインだが、昔の機械の調整は複雑だった。
権利物や一発台など、梃子摺る機械が多かった。
一発台は、平行釘の技術の有無で大きく成績が変わった。
クルーンのあるタイプなら、役物のTSの個体差を研究したり、お客様が興奮するクルーンのまわり方を研究して、ベスト傾斜角度を探した。
当時の店長たちは、毎日こんな調整をしたものだ。
こんな調整方法をどうやって覚えたか聞いた事があるだろうか?
このブログを読んでいる若い店長さんは、当時の話を先輩から聞いた事はあるだろうか?
当時の機械調整は教わるものではなく、自分自身で体感する時代だった。
繁盛チェーンでは、そこまで深く調整を追求しなくても、充分店長としてやっていける現状がある。
しかし、昔は店長自身が調整方法を追求しなければ、誰も教えてくれなかった。
★稼働を上げる方法について、私が一貫してパチンコ日報で述べているのは「合わせ技で稼働を上げる」こと。
この合わせ技の意味は、昔からの読者なら理解できるだろう。
最近の読者は、何の事か分からないと思うので、次回、簡単に説明したい。
綿棒の話は、引っ張って後日書くが、もったいぶっているのではなく、より理解を深めてもらうため。ご了承ください。
初代ジャグラーは別名「赤ジャグラー」とも呼ばれた。
その赤ジャグラーの前に、完全告知機として設置されていたのが、1996年1月に発売された「サーカス」だ。
有効ライン表示の①②③の下に描かれているピエロの顔が光ればボーナス確定。
当時は多くのホールが、このピエロのランプの電球を外していた。
完全告知機なのに、その機能を殺していた。
だから多くのサーカスファンは、完全告知機だと気づかなかったのが現状だった。
では、どうして殺していたのか?
理由はいくつかある。
一つはモーニングである。
それと、当時のスロットのファンの中には、完全告知機は「恥ずかしい」と思うファンが少なくなかった。
理由は他にもある。
スロットのファン層は今よりも、若者がダントツに多く、高齢者は少なかった。
また、モーニングを入れてないホールでも、ピエロのランプを切っていたホールも存在する。
そんな時代だった。
ジャグラーが誕生したのは1996年12月。
初代ジャグラー(赤ジャグラー)は、世間の期待を受けずに販売された(笑)。
つづく

>>役物のTSの個体差を研究したり
たぬ吉くんの役物のTSが、それぞれ微妙に差があって苦労した事を思い出しました。
ピンバック: 店長歴23年
高尾?コスモって一発台、当時コンビの後継機として期待して大量導入
思いっきりズッコケまして夜な夜な役物の裏に厚紙入れて角度変えたり
役物を固定するビスの裏にワッシャー咬ましたり…
今考えれば無茶苦茶ですが。結局セイヤのアウトには追い付けなかった苦い思い出(笑)
ピンバック: 別スレの13
確か初代クリエーターも告知電球を切ってましたね。
あの頃モーニング全盛でした。懐かしい。
ピンバック: スロファン
別スレの13さん
懐かしいですね→夜な夜な役物の裏に厚紙入れて角度変えたり、役物を固定するビスの裏にワッシャー咬ましたり…
そんな時代もあったw
またそれが楽しくもあったですなw
傾斜でTSが変わる台は、お客様との戦いでもありましたね。お客様と対戦するのではなく、お客様が喜んでくれるかどうかの戦い。
ピンバック: 傾斜
別スレの13さんも傾斜さんも、私と同年代ですかね。
たぬ吉君は、役物内のスタート穴までの距離が4cmくらい?あったので、傾斜が影響する事もありましたね。
役物の右だけにワッシャーを入れたり苦労しました。
それに比べて簡単だったのがお竜さん。あの役物の笑い声が懐かしいですw
ピンバック: みかん
自分のまわりでは、「ピンジャグ」と呼んでいましたよ。自分が業界に足を突っ込んでしまったのが97年で、その頃、ジャグラーの納品と言えば、モーニングの為の打ち込みが開店3日位までの当然の仕事でした。全台ビッグでヨロシクというホールや、ビッグ、バケ半々で等様々な注文をされ、打ち込みが終わると、GOGOランプのウェッジ球を少しずらしてランプが点かない様にセットして作業完了。そして開店の時に1台ずつ台を開けてウェッジ球を点けて行く時のお客さんのリアクションが好きでした。最近では、入れ替えで営業マンが台鍵持って走りまわるなんて経験を知らない人の方が多くなってしまいましたねぇ。駄文、長文で申し訳ありませんでした。
ピンバック: 山口の販社マン
山口の販社マンさんのコメント、懐かしい昔を思い出しました。
販社営業がホールを回るなんて、今のホール関係で知る人は、みんな40歳以上でしょうね。
ピンバック: 販社営業経由ホール店長
CIRCUS3、CIRCUSDX、ジャグラー、クリエーター、クリエーター7 程良いB物が多かった。M機も営業マンのいい小遣いネタだった。店によっては告知ランプを殺して接点一発でパトライトを回していました。所轄単位でそんな事も出来た良い時代。
ピンバック: 近未来豪遊
いい時代を思い出しましたよ
ピンバック: 長瀬
北電子もスロ業界の横綱に育つとは、当時思ってなかったでしょうね。
ピンバック: 南