沼
「まあ、仕方がないか。西田もいなくなったことだしな。実はな、うちの店の金勘定っておかしいと思わないか。普通営業前に両替機に入れておくつり銭は金種別に何をいくら準備するかって決まってるだろ」
「え、そうだったんですか」
そこらへんの仕組みに全く疎い僕は思わず聞き返した。
「坂井さんはぱちんこのこと本当に何も知らねえですねえ。それは基本でげすよ」
「そうだな。いいか、坂井よく聞けよ。考えても見ろ。コンピューターではじかれた売上の数字と実際の現金の金額とが合わなかったらおかしいだろ。それを確かめるのには営業終了後に現金を全部数えてから朝用意していたつり銭を引き算すれば純粋な売上金額が出てくるよな。そしてその金額とコンピューターの数字がピタリと合えばその日はめでたしってことで事務処理は終わりよ」
言われてみればもっともな理屈である。
「ところが、だ。うちの崔社長は『ヒャクエンタマイレルノハ、タイタイデイイカラネエ。オカネイレルトコロニポクガマジックデカイタセンマデイレテネエ。タクサンイレルトオモイカラネエ。オチュリガナクナッタラトチュウデマタイレテネエ。ドーモー、ヨロシクネエ』って言いながら札束だけ自分で両替機から抜き取ると、その現金とコンピューターの数字を照らし合わせながら『タイタイコレクライタネエ。イイカンジ。ハイ、オスカレサマア、ドーモー』って帰るだろ。だから正確な今日の売上の金額って誰も知らないわけさ。おかしいと思わねえか」
関口さんの社長のモノマネがあまりにも似ていたのでさっきまで泣いていた木村くんと僕は大笑いしてしまった。今日の関口さんはいつになくよくしゃべる。何よりも滑舌がいい。と思っていたら
「関口さん、歯どうしたんでげすか」
と木村くんが関口さんの口元に向けて指を差す。
今の今まで気づかなかった。歯抜け状態で喋るとヒューヒューと音を立てながら喋っていた関口さんの今日は歯はひとつして欠けている部分がなく、綺麗な歯並びをしていた。
「まぁな、結構これだけするのにお金がいるってわけでさ」
「え?それと今の社長の話と何の関係があるんですか」
「坂井、全部言わせるなよ。だからあ、その現金回収の甘さに目をつけてちょっと借りたわけよ。勿論すぐに返すつもりでいたんだけどな。ほら、社長がいない時は店長が釘打つし、両替機の金は俺が回収してただろ。そんときにちょっとさ。いや、なんか最初は一万、二万くらいだったんだけどそのうち金額も大きくなってさ、それに毎日馬車馬みたいにこき使われてこんな安月給で働くのもバカみたいじゃん」
「それでお店のお金に手をつけたってわけですかい」
木村くんは自分のことを棚に上げて関口さんを責めた。
「まあそう言うなよ木村。でも俺なんかまだいいほうだぜ。ある日いつもするように両替機の金をくすねていたところを西田の奴にめっかっちゃってな、半分よこせときたもんだ。あいつは本当にワルだぜ」
僕は気分が悪くなってきた。どんな理由があれ店の金に手を付けるなんてありえない、と憤りを感じるのである。
「で結局今までいくらやってんでげすか」
「半年で二百万、くらいかな」
「えーーーー!」
驚いた。驚いて僕は再び椅子から転げ落ち、木村くんは自分の七千円と二百万という金額の違いにショックを受けて悔しさのあまり自分の頭を食卓にゴンゴンぶつけていた。
結局みんなが何らかの形で西田に弱みを握られていた、という事実が白日の下にさらされた。僕も決してその例外ではなかったが、今この場で二人に打ち明ける気にはなれなかった。僕はずるい人間だ。それより店長のことが気になる。カルティエが本当に今回の事件に関わっていたかどうかはまだ解明されていない。
奥さんの件で西田に脅迫されていたのは事実であろうが、本当に金庫からお金を盗んだのだろうか。僕には到底信じられない。しかし今の段階ではそれを知るすべもなく、僕自身もうどうでもいいと思い始めていた。
一ヶ月に一度あるかないかの個人公休日が瞬く間に終わろうとしてい る。みんな一癖も二癖もある人たちだけど決して嫌いではない。でも今日の出来事は僕にとってまさに驚天動地、青天の霹靂だった。正常な思考はなりを潜め、心は黒くその色を変え、ざわめきだけがまるで生き物のように動き出す。
無味乾燥な国道の風景にオレンジの夕日が色をなす。真っ黒いディーゼルエンジンの煙を無遠慮に吐き出しながらものすごい勢いで駆け抜けていくトラックたち。「不毛だ」と独りごちた。いったい誰を信じて何を信じればいいのか。世の中ってこんなものなのか。僕は黒く深い沼に落ちていった。
つづく
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歯がボロボロ&放置の方が多かったですね(^^;
私の居た所も皆キチンと会社から健康保険証を
受け取っていたにも関わらず当時はボロボロの
方が多く少し引いた記憶が有りました(^^;
登場人物の関口さん、金の素性はさておいて
金を手に入れた瞬間にキチンと歯を治す所が
なんか面白いですねw
これを読んでいると(あと猫オヤジ様のレス)
なんか本当に色々な事を思い出しますよw
続きが本当に気になる(*´ω`*)
ピンバック: もと役員
こんにちは。確かに当時は歯がボロボロ、まだ4~50代なのに総入れ歯の方は私の勤務先にも居ました。
この頃から社会保険完備、完全二部制、個室寮完備!などのスポーツ紙「三行広告」がチラホラだった記憶です。
しかし舞台のお店はここまで丼勘定だと笑っちいます(ゝω・)
ピンバック: 猫オヤジ
私は法人指定にて業界入りをしたので、
スポーツ紙なんかの求人欄は業界入りを
してからチェックする習慣が付きました。
タバコ&飲み物支給とか有りましたねw
私が世話になった法人も経歴一切不問、
例え怪しい身なり&風体で有っても、基本
即採用で一応の衣食住は保証されるetc.
今考えると究極のセーフティネットであり
間違い無く治安維持なんかにも一役買って
いたんだと思います。
中学デビュー&犯罪者直前の境遇から努力して
1000万プレーヤーwになった方逹なんか実際
ざらに居ましたね。
なんか今の業界は夢も希望も全く無い様にしか
感じられませんね(^^;
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