パチンコ日報

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第8話 悲しい話 ④

カギっ子

カルティエ。本名は田中秀樹。実物と名前の響きにはかなりの隔たりがある。名は体を表すと言うがそうでない場合もあるらしい。とは言え子どもの頃からずんぐりむっくりで金縁の眼鏡をかけていたわけではない。
 
中堅会社に勤める会社員を父親に持ち、たった二人きりの生活を十八年間過ごした。秀樹の母親が子宮癌で亡くなったのは彼が三歳の頃であるから正確に言えば 父親との二人暮らしは十五年くらいになる。今では一人っ子は当たり前のようにこの世に存在するが、当時とすればそれは結構珍しくもあった。

秀樹は自分に母親がいないことに関してそれほど引け目を感じてはいなかった。いや感じないようにしていた、と言ったほうが良いかもしれない。母親がいない 自分の息子を不憫に思う父親の姿が彼をそうさせていたのだ。だから母を慕うという素振りを父親の前で見せてはいけないと子供心に固く禁じていた。
 
秀樹は母親がいないことより父が残業で夜遅くなるまで帰ってこないことのほうが寂しかった。「僕に弟か妹がいればなあ」と六畳一間のアパートで何度独りごちたことか。毎日毎晩父親が帰ってくる足音だけを頼りに布団の中でまんじりともせずに待っていたのである。しかし父親の帰りをこの目で実際に見届けることは数えるほどであった。
 
母親がいないのだから当然のことながら学校が終われば自分の手で家の鍵を開けて入る。秀樹は誰もいないのを知りつつも大きな声で「ただいま」を言って部屋に入る。誰かに強要されたわけでも教わったわけでもない。ただそうしないと自分がとても寂しく思えたから。しかしある日から秀樹はそれをしなくなった。
 
小学校五年生の頃。無くさないようにと首に掛けたゴム紐の先にはアパートの鍵がぶら下がっている。それをクラスのいたずらっ子が発見し、教室のみんなに聞えよがしに大きな声で秀樹をひやかし始めたのだ。いわゆるカギっ子の象徴であるそのゴム紐を秀樹の首からひったくると

「わーい、カギっ子だあ。田中秀樹はカギっ子だぞお」

「きったねえゴム紐。まっくろじゃん」

「カギっ子は仲間に入れねえよ」
と教室の男子が口々に囃したてた。

「返してくれよ。なんだよ、おまえやめろよ、返せよ」
秀樹が向きになればなるほど男子たちは余計に面白がった。この時秀樹は集団の威力の恐ろしさを嫌というほど知らされたのである。
 
もともと心根の優しい秀樹にとってこの事件はとてもショックな出来事であった。以来彼の口数は極端に少なくなり、まわりの人の顔色を窺うようになった。普段は優しくしてくれている担任の先生や近所のおばさん達も本当は自分のことをカギっ子だと冷ややかな目で見ているのではないか、そう思うとなんだか急に恐ろしくなった。
 
こんな時にこそ母親がそばにいれば子供の変化に気付き、何らかの心のケア―を施したのであろうが、秀樹にはその肝心な母親がいないのである。そして毎日が残業続きの父親は生活を維持するのに手いっぱいでそんな秀樹の変化に気づく様子もない。
 
一体人生とはこんな些細なことでその様を大きく生えてしまうほど脆いものなのか。秀樹にとって一人で家にいる時間より学校で友達と遊んでいる時間そのものが何よりも大切であった。その宝石のように輝く、唯一の心のよりどころを一瞬にして奪われてしまったのである。

子供の軽口に罪を着せることはできないが、秀樹の人生を大きく左右してしまったことは紛れもない事実なのである。その後の秀樹は中学、高校と父親の言うとおりに進学したのだが、小学校五年の鍵っ子騒動はいつまでたっても彼の心に大きな影を落とし続けた。

誰かがひと言でも優しい言葉を彼にかけてあげたならばここまで寂しい思いをしなくてもすんだのかもしれない。しかし秀樹の学生時代に救世主は現れることはなかった。
 
心が荒んだ状態の秀樹は学校の行き帰りにほぼ毎日といっていいほど喧嘩を繰り返した。それが唯一のストレス発散の材料であったのだろう。

「強いものは絶対だ」と言うその哲学のみで毎日を過ごした。明るく朗らかな少年が傲慢で陰湿な性格の持ち主に豹変した理由、その理由に秀樹は気付いていない。彼にとってそれがそもそもの悲劇だった。
 
学年を増すごとに悪事に手を染めケンカに明け暮れる秀樹は仲間からも恐れられていた。秀樹はそんな悪循環にもだえ苦しんだ。しかし苦しめば苦しむほど彼の行動はそれとは裏腹にエスカレートしていく。喧嘩や万引きは当たり前のことであり、やがては婦女暴行の罪までも犯すことになる。
 
ここまでくると優しかった彼の父親にももうなす術がなかった。息子の悪事が原因で会社をクビになり、日雇労働者の仲間入りをするところまでに至った。秀樹はそんな最悪の状況を把握できないほど馬鹿ではなかったが、悲しいことに彼にはそれを改善したり取り繕ったりする能力が備わっていなかったのである。
 
会社をクビになった自分の父親を見て秀樹は心を痛めた。そしてこれは自分のせいだと自己嫌悪に陥る。「誰か俺を止めてくれ」幾度となく心の中で叫んだ。しかしその言葉に応えてくれる人はだれ一人として彼の周りにはいなかった。

つづく


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