パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第2話 失意 ⑤



新装開店の初日は玉をたくさん出したという理由で閉店時刻をいつもより1時間ほど早く閉めることになったらしい。しかし、疲労困憊で思考能力のほとんどを失っていた僕にとって、そんなことはどうでもよかった。早く終業作業を終えて2階の社員寮に戻りたかった。

終礼を終えたあとに僕は錆びれた鉄製の外階段を急ぎ足で登る。怒りにも似た感情を代弁するかのように足音がやけにガンガン響いた。僕はそんなことに構いもしない。誰とも話なんかしたくない。早く一人になりたい。それしか考えなかった。

部屋に入ってユニフォームを乱雑に脱ぎ捨て、敷きっぱなしのカビ臭いせんべい布団にその身を潜らせる。そしてふっ、とため息をつきながら今日起きたことをまたいちいち思い出す。腹立たしさだけがこみ上げる。このぱちんこ屋も人間もすべてが気に入らない。

そして店の周りには何もなくて、真夜中にすることもない。そんな環境に身をおいている自分にも腹が立ってきた。本当にすることがなく、仕方なしに会社から支給された14インチの古いテレビのスイッチを入れる。

閉店時刻はいつもより早かったもののその後の作業に手間取った関係上、部屋に上がってきたのは午前1時を少し回っていた。いつもならギリギリ間に合う深夜放送の「イレブンPM」も今日はすでに終わっている。別に頭の悪そうな女性の水着姿が見たくているわけではないが、それでも見ないと少し損した気にもなる。

映りの悪いテレビだけが唯一の慰めとは誠に悲しい限りだ。僕はため息をつきほとんどまんじりともせず、この部屋をじっと見渡してみる。西日で焼けたレースのない、ねずみ色した古いカーテン。擦り切れた畳にはいくつものタバコの焦げ跡がある。

何かの霊でも移り出てきそうな壁のシミたち。部屋の隅でたむろする綿ぼこり。そして中古屋で買ってきたセンスの欠片もない家具。三段がさねの緑色したカラーボックスに足の短い、いかにも安物の匂いがするテーブル。これなんか乳児一人が食事をするのに丁度いい大きさだろう。それから数少ない洋服をかけておくのに必要だと思って買ったビニール製のファンシーケース。キリンの絵がこれでもか、っていうくらい全面に描かれている。全くどれもこれも僕の人生同様、さえないものたちの集りだ。
 
僕は小さなテーブルの上に置いてあるショートホープを一本取り出し、溜息と一緒に苦い煙を力なく吐き出す。買った当時は綺麗な赤色をしていたラークのロゴが入った灰皿も既にヤニでどす黒く変色している。そこに山のように積もった吸殻を事も無げに見つめていると部屋の外から僕を呼ぶ声がした。

「坂井さん、今から食堂で一杯やりやせんか?みんな集まってるでげすよ」

木村君の声だ。僕はダンマリを決め込んだ。本当に誰とも会いたくないし、話もしたくない。今まで寂しい憶いは結構してきたけれど、今回のそれは寂しいのではなく辛いのである。世の中のことなんか何もわからない。

親も友達もいないこの片田舎に来て楽しいことなんかなかった。考えてみればこの店に来て僕は腹の底から笑ったことがない。頼る人もいないし、それにみんな何を考えて生きているのかわからない。大学の時はあれほど楽しかったのに。僕はこの店に来て初めて涙が出た。そしてこの店の従業員たちやお客がやけに幸せそうに思えた。



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第2話 失意 ④

トラブル

トラブルの現場に駆けつけてみると、でかい体の木村くんがその身体の半分以上を『島』の中に押し込んでいた。こちらから見えるのはその大きく醜いお尻だけ。

「あった、ありました」と言って取り出したのはねじ曲がった五寸釘である。おそらく新しい台を設置する際に、古い機械から抜け落ちたものであろう。木村くんが真っ赤な顔をしてゼエゼエしていると、『島』の中に詰まっていた膨大な量の玉が勢いよく吸い込まれていく。

これでもう大丈夫と思った。しかしこれでトラブルは終わらなかった。「おーい、玉が出ねえぞ」「こっちも出ないわよ」何人かのお客さんが大きな声をはりあげる。僕はその客さんの台まで行ってはみるものの、対処の仕方がさっぱりわからない。

そこで件の木村くんが再登場。全身汗まみれになって、機械台を開ける。台の裏側には上部に一定量の玉をストックしている箇所があるのだが、そこに玉は一切なかった。隣の台も、そのまた隣の台にも玉はストックされていない。
 
ここで少々ぱちんこ屋さんにおける玉の循環システムについて説明を要する。この店のぱちんこ玉は、お客さんが打ったすべての玉が『島』の一箇所に集中して地下へと流れる。地下には大きな鉄製の箱があり(人の背丈もあるほど)そこに全ての『島』から流れてきた玉がストックされる。さらにその玉は大きなリフトによって天井裏へと導かれ、天井から『島』にトヨを伝わって分配される仕組みになっている。

『島』にたどり着いた玉は更に内部にあるトヨを伝って各台へと導かれるのである。このような仕組みを専門用語で『全環』という。ちなみにこの『全環』システムは現在使用されていない。今回のトラブルが発覚したのは『島』内部のトヨに玉がなかったところから始まった。

「店長、玉の補給が下りてきてません」
「なに!木村、お前玉場行ってこい!坂井、お前もだ」

僕と木村くんはホールのほぼ中央にある、床の蓋を持ち上げ地下へ降りた。蓋を開けただけでゴー!という凄まじい音が聞こえてくる。僕たちは玉場に降りてみて唖然とした。本来ならば大きな箱から玉が溢れるなんていう事はないのに、今は、玉が溢れて地面に玉が散乱しているのである。上からカルティエのダミ声がする。

「どうだあ」
「店長ぉ~、玉が溢れちゃって大変っす。どうしましょおお」

その大きな体からは想像できない女みたいな声で木村くんが伝える。
「リフトは動いてるのか」
「はい。あー!リフト止まってます」
「リフトの電源は!ONになってるか?」
「ひえ~、オフ、オフです」
「ばかやろう!ひえ~じゃねえ!早いとこ電源入れろ!」

そういえば今日は新装開店だというのに、玉場担当の向井さんが無断欠勤していた。それで誰も玉場に入らなかったのだ。木村くんがリフトの電源を入れる。するとどうでしょう!リフトは正常に動き出し、大きな箱に溜まった玉たちは次々とリフトに乗っかって天井裏へと姿を消していくのです。

ホッとするのも束の間、またもやカルティエのダミ声。
「おい、坂井。こぼれた玉、全部拾ってタンクの中に入れとけよ」
これをひとりでするのか。僕は途方に暮れる。
 
ホタルノヒカリが流れて閉店を合図しても僕はまだ玉場にいた。「キーン」という音が断続的に鼓膜を容赦なく襲う。腰はパンパンに張って、その痛みさえ麻痺している。鼻の穴は埃で真っ黒。最後の玉をタンクに入れ、床を掃く。

思考がほとんど停止状態の僕はやっとの思いで地上に這い上がった。トイレで顔と手を洗う。鏡を見ると情けない顔をした僕がいた。

やっぱりやめようかな、この仕事。わからないことばかりで、何のための作業なのかも教えてくれない。ただ言われたことをはい、はいとバカみたいにこなすだけ。言いようのないやり切れなさでいっぱいになる。

とぼとぼとうなだれながらホールに戻ると
「ほら、ヤクルトタフマン。これ飲むと元気が出るぞお」
「ニン!」
「がはははは」
カルティはそれだけ言うと下品な笑いを響かせながら事務所に入っていった。

僕はそれにまた腹がたった。タフマンは飲みもせずそのままゴミ箱に捨てた。なにが「ニン!」だ。この状況で伊東四朗モノマネなんかしやがって。考えれば考えるほどカルティエがだんだん憎たらしくなってくる。

「本日も当ホール、ローマへご指名ご来店いただきまして誠にありがとうございました。本日はあと10分少々をもちまして閉店とさせていただきます。お帰りの際はお忘れ物、落し物などございませぬよう・・・」

開店前には客から冷やかされ、営業中はずっと激しい騒音と埃の中で過ごした僕の存在ってなんだろう。単なる小間使いじゃないか。ゴミだらけのホールの清掃をすべく言われるままにホウキを取り出し、家路につくお客さんたちを横目で見送る。

「何がありがとうございます、だ」僕は独りごちた。

つづく

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第2話 失意 ③

虚ろ

「さあ!本日もパチンコローマへご贔屓ご来店いただきまして、まっことにありがとうございます、ありがとうございます。大変長らくお待たせいたしました。噂の平和からはブラボーコーナー、ご存知サンキョーからはフィーバーコーナー、加えて羽根物も忘れておりません!こちらのコースも絶好調!最高潮!大好評!キングスターにギャラクシー!権利物は京楽からの名作コスモアルファーといずれもよそにない新機種をいち早く、多数取り揃えましてのお迎えでございますれば本日も出ます、出します、取らせますっと三拍子も四拍子も準備いたしましてのお迎えでございます!」

相も変わらず、カルティエ店長の名調子が続く。ホールは俄然活気づき、あちらこちらでチンジャララ、チンジャララと早くも玉が出てくる音がする。さらにカルティエは吠えまくる。

「はーい、一番乗り出てまいりましたぁ!165番台にお座りのお父さん!早速のフィーバースタートォ!おめでとうございます、ありがとうございます!さあ、お客様当店では本日玉の出し惜しみは一切しておりません!さ、1番台はもとより2番3番5番台と続きまして、ラストナンバー528番台に至りますまで、はい!機械調整から釘調整、さらにはバネ調整と全て万全の態勢で執り行っております!全機優秀台!お手に合いますれば出てまいります!左サイドから右サイド、それからセンターとございます、お好みのコースを弾いてくださいませ。パチンコ必勝法は一に頑張り、二に粘り、三・四がなくて五に根性!本日も当店のルールとマナーにのっとりまして、どちら様もジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリっとお取りお出しくださいませ!さあさ、おとうさんもおかあさんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、おにいちゃんもおねえちゃんも、はい!どうぞこちらへおこしくださいませ!ささ、どうぞ奥へ中へ、中へ奥へとぐっとお進みください!本日もいたるところにラッキー台が、いたるところにご幸運がお客様に甘い甘い吐息を投げかけてのお迎えでございまするぅ!」

よく聞いてみると結構変な節回しもあるのだが、その真剣な面持ちから発せられる姿はなかなかの迫力だ。カルティエは満面の笑みでホールをのっしのっしと歩きながら、一言一句噛み締めながら、そしてお客さんの顔色を見ながら、延々と語り続ける。

しかし今の僕にはそんな姿も、何故か虚ろに見える。入場の時の凄まじさがまだ頭から消え去らないでいるからか。ぱちんこやは多少のトラブルがあっても平然として居丈高に客を飲み込む。何かの粗相があってもお客さんに対しては毅然としている。

「すいません」なんて言葉を発しようものならそこをお客さんは突いてくる。だから店側は悪びれる様子もなく、淡々と事を進める。不思議なことだが、それをあえて咎めるお客さんもいない。

そんなものなのか。そんなものなのかもしれない。お客さんは自分が玉を出して儲けようという行為に夢中になり、店側は客を遊ばせてやってる、という感覚なのか。そしてその上がりをしっかりとガッチリと会社の利益として計上する。

ここにはここだけに通用する常識がある。僕にはその生理がよくわからない。ここにいる人たちの気持ちがよくわからない。なんでお客さんたちは毎日ぱちんこをしに来るのか。なんでカルティエはあんなにムキになってマイクを握っているのか。なんで従業員たちは汗ダクダクになってホールを走り回っているのか。

こんなことばかりを毎日繰り返して何が面白いのか。答えが見つからない疑問がとめどなく湧きでる。僕はこんなことを一生続けなければいけないのだろうか。そしてその終りには一体何が待ち受けているのだろうか。世の中はこんなものなのか。社会人ていうのはこれでいいのか。僕が学生の時に描いていた社会人とは全くかけ離れているではないか。

「こらあ!坂井!おまえなにボサっと突っ立ってやがんだ!三番島のドブが詰まってるから早くこっち来て手伝え」

カルティエの怒鳴り声に僕は我に返った。促されるままにその現場に行ってみると、膨大な量の玉が機械を設置してある『島』の内側にびっしりと詰まっていた。

つづく



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第2話 失意 ②

恐るべき戦士たち

十五分たったのだろう、店長の合図で正面入口のシャッターがやっと開き始めた。その頃には先ほど恥ずかしめを受けた僕は店内にいた。そしてこれから恐ろしい光景を目にするのである。シャッターが三分の一ほど上がりかけた時である。なんと先頭の集団が我先にと,まだ開ききっていないシャッターをくぐり始めた。

少しでも早く、誰よりも先に、と群衆は一斉に身を丸くし、匍匐(ほふく)前進でこちらに突進してくる。地べたを這って第一障害物のシャッターを抜けると、先頭の戦士が第2の障害物であるスイッチが入っていない自動ドアを全身の筋肉を駆使してこじ開ける。

さっと視界が広がる。しかしここでも戦士たちは立ち止まらない。事前情報で新台の設置場所は頭の中にインプットされているから迷わず、一目散にそちらめがけて走り出す。足がもつれる。倒れそうになる。右手を地面についた。

しかし倒れない。目の前の角を左に曲がればお目当ての新台が待っている。直角に曲がるのにはテクニックがいる。戦士たちは既にそれを本能で知っているのか。左腕の振りは小さく、右腕のふりを大きくふる。そうすることによって減速は最小限に抑えられる。

「走らないでください!順番ですよ!」

そんな注意に耳を傾ける人なんかいるわけない。ここは戦場だ。彼らは鉄条網をくぐり抜け、次々と侵入を試みるソルジャーのごとく、潔く店内へとなだれ込む。そう、敵地において少しでも有利な体制を確保するために。店内にいち早く入り込んだものは負傷が少ない。

しかし正面入口付近の混乱は一層激しさを増す。シャッターはやっと全開したが、ガラス製の自動ドアは半開きのまま。50~60名くらいの人が店内に入ったとき事件は起きた。後ろからの圧力で挟まれた数名の人が悲鳴を上げる。

「きゃぁ!」
「押すな、押すな!」
「ぐぇ~!」
「やめろ、やめてくれぇ」
「ちょっと、どこさわってんのよ!」

阿鼻叫喚とはこのことを言うのか知らん。着物の帯を引っ張られ、あれ~と言いながらくるくる回る時代劇の被害者的奥方様のように、その場で何回転もしているおじいさん。後ろからの圧力でガラスドアにへばりついたまま抜け出せないおばさん。その顔は水槽にへばりついたアワビのようにも見える。

紙コップに入ったアツアツのコーヒーが手にこぼれて「あちちち」と何故か苦笑いをしているおじさん。それらは本当に一瞬の出来事であった。初めての新装開店を経験する私は、全く気が動転していた。

「あっ!」と声を上げたのが先か後かは覚えていない。

ドア付近で女性客が転んで後ろからなだれ込んでくる人たちに踏みつけられた。彼女は起き上がることができない。僕はそれでも次々となだれ込む人々をやり過ごし、じっと見ていることしかできない。ほぼ全員が入場したあとも女性は臥せっていた。

店の外には無数の紙コップと空き缶。そして膨大な量のタバコの吸い柄。チンドン屋は我関せずを決め込み、クラリネットや太鼓をどこ吹く風で涼しげに演奏している。おそらく彼らはこんな光景を何度となく見てきたのであろう。入口の内側では片方だけ放り出されたサンダルやつっかけ、そして靴の群れ。僕ひとりだけが呆然としてたっている。と、いきなり開店を合図する軍艦マーチが鳴り始める。
 
なんてひどい有様だろう。そのさまを見ているうちにだんだん怒りにも似た感情がこみ上げる。我に返った僕は倒れた女性にそっと近づく。僕はウンウンうなっている小太りのおばさんが必死に起き上がろうとするのを手伝おうとし、「大丈夫ですか」と声をかけたその刹那、

「痛いに決まってるじゃないのよ、ばか!まったくもう!」というが早いか、むっくと立ち上がり、左肩をさすり、びっこを引きながら、そして脱げた片方のつっかけを探しもせず、新台めがけて走っていった。

右足だけのピンクのつっかけの上に白い靴下を三段折にして履いている姿がやけにまぶたに焼き付いた。彼女も間違いなくれっきとした戦士のひとりであるのだろう。彼女をここまで駆り立てるパチンコとは一体なんなのだろうか。新装開店とはここまでして開催するものなのだろうか。気がつけば店内はいつもにもまして活気にあふれている。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日当ホールは新装開店初日と相成りまして、お客様をお迎えでございます」カルティエ眼鏡のマイク放送が始まった。

つづく


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第2話 失意 ①

おおがめ、こがめ

林事件が発覚したあともいつも通りに店のシャッターは上がる。ただいつもと違うのは開店時刻が朝の10時ではなく、夕方の6時であるということ。そう、今日は1年に2回ほどある新台入替。ぱちんこやさんにとっては、250台もある機械の大半を入れ替えるまさに一大イベント。新装開店である。

新聞の折込チラシも入り、チンドン屋が数時間にわたって賑やかな音色を奏でながら近所をねり歩く。二階の社員食堂から見下ろすとお店の外は長蛇の列。ざっと200人くらいはいるだろうか。競馬新聞を読みふける人。スポーツ新聞のいやらしい記事を読みふける人。近所のお仲間で新台の話題に花を咲かせるおじちゃんやおばちゃん達。タバコを吸う人、缶コーヒを飲む人等々実にたくさんの人が思い思いの格好で新装開店を今か今かと心待ちにしている。と、誰かが大声で怒鳴る声がした。

「早く店開けろ!もう6時間も待ってるんだぞぉ!」

嘘である。そんな時間には誰も並んでなんかいなかった。しかしその声に呼応して他のお客もここぞとばかりにはやし立てる。

「そうだ、そうだ。早く開けろ!」

カルティエ眼鏡の店長がイライラした表情で僕に指示を出す。

「おい、坂井。お前、表にいって客を静かにさせて来い。全くあいつらは開店となるといつもこうだ。早く行ってこい!」
 
静かにさせろと言われても、新装開店の経験がない僕にとって何をどうしたらよいのかわからないではないか。なんという理不尽な言葉だろう。と思ってはみても店長に歯向かう勇気もないのでそのまま僕は重たい足取りで店の外へ出た。

うつむきながら行列の前に立ち、勇気を振り絞って「静かにしてください」と言うつもりだった。が、機先を制せられた。僕の前に厄介な奴が立ちはだかる。パンチパーマに一見シルク調のシャツを着て、そのボタンは上から数えて三つまで外れている。そしてその胸元から覗く地肌には紺色の模様が描かれている。(それは筋彫りだと誰かが言ってたっけ。情報によるとこのての刺青は模様に色をつけ、完成させるまでには相当の時間とお金が必要らしい)

黒いズボンに白いエナメルのベルト。そのベルトのバックルには稲穂のマークが浮き出ている。どこかの組のトレードマークだとこれまた誰かが言っていた。遠めに見てもすぐにわかるこのおっちゃんの名前を僕は知らない。が、あだ名だけは知っている。

通称『おおがめ』。全体的に丸いシルエットの体型に不自然なくらい短い首。顎のすぐ下に鎖骨があって、耳のすぐ下に肩がある。肩の筋肉が異常に発達していてその先についている腕は極端に短い。眉毛は剃っているわけではないのにほとんど無いに等しい。その下にはその風体からは全く釣り合わない長く流麗なまつげが天を向いている。鋭い眼光を一生懸命に光らせてもその眉毛のおかげで威圧感はない。

「このスミ(刺青のこと)はなあ、今から30年前、俺が16歳の時にいれたんだ」
と『おおがめ』は言う。僕はそこに多少の疑問を感じる。

その話を要約すると
「私はお金がなくて30年間、色を入れることができなかったんです」
ということではないのか。どうやらこの人は頭があまりよくないらしい。問題はこの『おおがめ』の後ろを腰巾着のようにつきまとっている『こがめ』だ。

現に今も『おおがめ』の後ろからその狡猾そうな顔を突き出している。このふたりはいつもセットで行動をしている。そしてこの店では10年来の常連客だそうだ。僕が苦手としているのは『おおがめ』ではなく『こがめ』のほうだ。初めて制服を着てホールに出たとき声をかけてきたのは『こがめ』だった。

「おい、しんまい。お前なんていう名前だ」

亀のあだ名がついているのにキツネ目をした『こがめ』が僕にいきなり凄んできた。

「坂井です」と答えると、
「そうか。おい、坂井。ぱちんこやの従業員はお客様がクビにするんだからな。お前もクビになりたくなかったら俺たちの言うことをよ~く聞けよ」
「はい」と答えた。本当は蹴っ飛ばしてやりたかったのだが、僕にはそう答えるしか他に術はなかった。この日も『こがめ』は僕に難癖をつけてきた。

「あと15分ほどで入場となりますのでもう少し待っていてください」
やっとの思いでそれだけを言うと
「あと15分ほどで入場となりますって、坂井お前はオカマか!男ならもっと堂々としろ!」

間髪を入れずに『こがめ』が僕の声色を真似てキッと睨みつける。

「いいから早く入れろって店長に言ってこい!言うこと聞かねえとお前のズボン脱がすぞ!」
周りからどっと笑いが起こる。何もこんなことでズボンまで脱がさなくてもいいじゃないか、と僕は怒りと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。

でも新米の僕には何もできることがなくただその場に立ち尽くすしかなかった。「こんな仕事、今日にでもやめたい」僕は何度も心の中でつぶやいた。

つづく


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