今日では、無名匿名問わず例えコメントでも書き込みをするメリットは少ないと言う方も増えました。
特に匿名では相互間での実の有るやり取りが潜め、言い捨てや攻撃が増えた分、面倒やストレスになるだけだと。
数年前の元店長さんの最後の寄稿を思い出します。
あれだけの貢献が有り、様々な視点で寄稿を何百本も続けた方が、コメントでブチ切れてしまい寄稿を止めてしまった。
あれから日報の記事もさびしくなりました。
コメントでカッカすることも有りますが、書いて良かったと勇気づけられる事も勿論有ります。
その上で、行間と言うか意図を読み取っていただきたいなと思います。
すべてを書けない・書かないのは勿体付けている訳でも無いし、文字数の問題でも有りません。
ましてや不特定多数の様々な立場・考えの方が読んでいます。
当然すべて同じ見解になる筈も無く、伝える側は、すべてに伝わらなくとも、気付く方に気付いて貰えたらと言う気持ちや、読み手のレベルや意識の高さに、望外な解釈をいただいて勉強させていただく事も有るのです。
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さて、今回は各項目について考察を進めたいと思います。
〇パチンコに変わる余暇の多種多様化
スマホゲームやYouTubeを始めとする動画サイトも広義で言えば競合しているかも知れませんが、公営ギャンブルに絞ります。
少し前になりますが産経新聞NETからの引用です。
かつて業界で働く方のうち少なくない数は、糧を得ると同時にユーザーでもあった。そんな方たちは競馬を始めとする公営ギャンブルに行ってしまったのは周知のとおり。「勝てない」「面白くない」「当たるとデカい」「少ない小遣いでも楽しめる」‥そしてコロナが拍車をかけた訳だ。
中央競馬だけでなく、地方競馬・競艇・競輪・オート・TOTOなども好調である。
ひと昔前には、中央競馬以外はダメだと多くの地方公営ギャンブルの「場」が閉鎖された経過も有ったが、コロナ渦を境に比較的低迷していたオートや競輪も急上昇を見せている。

パチンコ業界が、これらの公営ギャンブルと同じ土俵なのか?と言った声も有るだろうが、いずれカジノも出てくる訳だから無駄にはならないだろう。
これらの売上回復の大きな要因はネット・電話投票が可能であるという事とそれ故に「場」の営業は時間以外の投票が可能で、期間中の常時投票が可能だ。
パチンコ業界では、どうしようもない部分でのアドバンテージは多い公営ギャンブルだが、その一方でパチンコ業界と同じく低迷しているのは宝くじである。
低迷する宝くじ・パチンコと公営ギャンブルの違いは思いつく限りでいくつも出てくるでしょう。そこに透けて見える事は無いのだろうか。その分析を行うことをおススメする。
一つ例に挙げると、宝くじ売り場で販売する宝くじは、どれも同じ確率でありながら、売り場によって販売量が大きく異なる。それなのに年末ジャンボでは、西銀座チャンスセンターや大阪駅前第四ビルの売り場の行列は、年末の風物詩でもある。
夢を売る宝くじとよく言われるが、シミュレーターで何度チャレンジしても当選しない気の遠くなる確率にもかかわらずだ。
何がその差を生むのか?
単純化するといつも当たりが出る売り場と当たりの出ない売り場=つまり期待感の差なのだ。期待感は確率論を超えると言える減少だが、宝くじの購入客は、そもそも生業として買っている者は殆どいない。
他の公営ギャンブルもレース中のユーザー視点に限って少し取り上げよう。
競馬
最後の直線に入るまでのポジションも大きいが脚質や戦略に寄り、勝負の行方は、ラスト数百メートル〜ゴールまで分からない。 レース後半に熱くなる。競争馬だけではなく騎手や生産者・馬主・などの予想ファクターが多様で、多種多様な予想方法がある。
ボートレース
スタートと位置取りから1マークで大勢は決する。 そこを過ぎると逆転の目はそんなに多い訳ではなく勝負が早い。 他の公営ギャンブルと比較して唯一当たり舟券を持つ者は、ゴールまで当たった幸福感・安心感が他競技に比べレース中では長く続く。
競輪
レース周回でポジション争いとけん制が続くが打鐘後の残り1~2周からが勝負。最後の直線まで分からないレースも多く、地域や人間の繋がり(チーム戦)の中、徐々に熱くなる展開でゴール前まで分からないケースが多い。
オート
スタートからハンデ(距離)があるため、強い選手はレースを進むにつれ徐々に進出し上位に近づくため、徐々に熱くなる展開。
各公営ギャンブルの違いの後は、イベントについて触れてみよう。多くの「場」では様々なターゲットに応じたイベントが開催される。パチンコと違って子供をターゲットにした「仮面ライダー」「プリキュア」のショーが開催されると、家族連れが相当数来客する。
イメージキャラとして契約された有名芸能人が表彰式に来るイベントやG1競争では、前日昼間から泊まり込むお客様も見られるなど盛況な光景も見られる。
子供のうちから固定客を作るという見方で言うと、マクドナルドのハッピーセットなんかは上手いなと感心するが、公営ギャンブルの施策はちょっとしたテーマパークや随分消えていった遊園地の代替えでもあり、手軽な遊び場の側面が有る。
未成年の遊技どころか入場さえ厳しくするホールでは、万が一が有れば厳しい行政処分に繋がるため、夢みたいな話でもある。
違法な事を推奨する分けでなはいし今すぐどうという事でも無いかもしれないが、あえて飛躍してみる。
例えばホールの内部は客室や売場と分かれている。ここに第三の区分け(例えば遊技と関係ない待機スペースや他社の飲食スペース等)が敷地内で線引き可能となれば、何かしら変わってこないか?
それに近いチャレンジは無いわけではない。
ちょっと思い付きのような事を連ねましたが、今後のホールの生き残りのカギは一人〇役という事だと思う。
前回挙げたように遊技人口減は大きな問題であるが、同じように顧客の単一化に向かう現況が良くないと見ています。
多様性が希薄になる弊害って案外大きいと考えているからです。
この一人〇役といったマルチな業態は、生き方・働き方として個人レベルで見ると様々な所で進んでいます。出玉や新台や話題機種だけではなく、ホールの役割(ポジション)を増やすこと。
そこに規制緩和や他業種との連携などをミックスした新たな形態を、私が生きているうちに見られたらなと思いますね。
そして終いになりますが、受取り方次第と言っただけでは共感は得られませんので、少し丁寧に補足を。
公営ギャンブルの比較(どのポイントが熱いのか)についてフォーカスしたのですが、パチンコ台やスロット台に置き換えると…
どのタイミングが熱いか?
熱いタイミングはどの程度の時間なのか?
付け加えると、熱いタイミングの前と後はどのような事が考えられる(必要とされる)のか?
これらについて余地は有るのでは無いか?と思います。
同様にホールに於いても、熱くなるポイントについて考えて見られては如何でしょう。何も文面通りポイントとは点だけでは無く、線でも有り、面に繋がって行く事かも知れません。
優秀な読み手様には、蛇足かも知れませんが、「熱い」は他の何の言葉に置き換えられますか?
つづく

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お客の考え方1つで決まるのでしょうか。
これはパチンコの面白いところですね。
○宝くじタイプ
1レースが1玉、1回転とする考え方。
1玉打出して、それが大当りになるのかどうか、
または1回転回って、それが大当たりになるかどうか。
なかなか当たらないのが難点か。
○競馬タイプ
1レースが千円や一万円などとする考え方。
千円とか一万円などの定額使って、当たればラッキー、当たらなければ残念。
競馬がゴール近くで結果が決まってくる様に
定額までの金額が近づくと、当たらずに終わる可能性が増える反面、
とこからでも一発逆転はありえるのが競馬よりパチンコの優れたところ。
○ヘビーユーザータイプ
当たるまでが1レースとする考え方。
必ず最低1回は当たると思い込み、当たるまで財布の中身を無制限に金を使い、
当たれば、使った金と出玉で勝ち負けを決める。
確率論が好きな人が多い印象がある。
もっとも正規分布や標準偏差などはしらずに、平均値程度の中学生程度の確率論で止まっている例が多い印象です。
故に、当たるまでの金額が多すぎたり、出玉が極端に少ないと、怒り出す。
さらには、不運にも当たらずに財布の中身が空になると、騙されたと錯覚します。
この不運が連日続くと、猜疑心は心を蝕み
日報のコメントなどで罵詈雑言を書き迷惑至極な輩もいるとかいないとか。
ピンバック: いやはや
パチの一発逆転とやらは時間がかかりすぎる。
ピンバック: カジノ即時解禁希望
競馬の万馬券やカジノスロットJPに比べて、
パチンコは払出にかかる時間が長く、嬉しい時間が長い事も、パチンコが優れた点と言えるでしょう。
ピンバック: いやはや
あなた方はお金をパチの引き換え券とみなしており、
大金には興味ないらしいですね。
1京円が支払われてもパチるでしょう。
いや1パチより低貸みたいになるから嫌になり、
9999兆9900万円(-贈与税)を遊技業界に寄付して残り100万円で普通にパチ屋に行くかも。
勝ったり負けたり繰り返すだけで全然プラスにならず借金苦になるイメージしかないのでスマホゲームのほうがまだマシな気はしますが、
遊技業界への愛とやらで視界がぼやけているのでダメかも。
その愛は夢洲カジノへの客流れ ないし北朝鮮が韓国に吸収合併することで大きく揺らぐでしょう。
あくまでも僕の偏見ですが。
ピンバック: カジノ即時解禁希望
ご自身の事ですか?
あなたの過去のコメント
大体、豚が狭いとか餌がマズイとか
養豚業者にいいますか?
養豚業者は我儘な豚のために養豚場を広くして、餌を高級品に変えますか?
変えないだろうが!
ここは養豚場業者の集いの場だ。
豚は場違いと知れ。
あんたたちみたいなクレーマー1人来なくなっても客はいっぱい来てくれるんだ。
嫌なら来るな!
ピンバック: キリギリス
もう、公営ギャンブルに例えるなら、1レース単勝で全通りベットしても全て外れ。何故なら、全台毎日設定1と渋釘の台しかなく、当たりそのものがないから。辛うじて、その1台の生涯稼働に対して100%を超える出玉率が当たりだろうがその台が一つもないから。
ピンバック: この業界は
この時点でお前の認識は完全に間違えていて、全く理解していない知ったかというのが解る。
正しくはどんな状況、下馬評でも1枠1番の単勝を毎回買うことしか出来ない、という事。
よって出玉率は100%を超えなくても勝てる人間はいるし。たとえ超えていたとしても負けている人間も居る。
これを正しく認識していないから何を言っても響かない。
ピンバック: くだらん
時代によって時間消費型の娯楽としてのパチンコはお手軽ではないものとなってしまいました
しかし裏を返せばそれがメリットにもなり得るはずです
実店舗ですから外に出た際には気軽に立ち寄って遊ぶことができますしトイレで用を足すためだけに入店される方もいるでしょう
そして勝負の際には朝から並んで抽選を受け、機械の前に座り開店を待つ儀式めいた独特の空気感は期待感と相まり他では得難いものがあると思います
ホールの業態も様々あるのを見てきました
愛知県では映画館や温浴施設、ネットカフェ等を併設して総合アミューズメント施設として運営されているホールが盛況でした
だいぶ昔ではありますが新潟県のホールでは託児所が併設されているところもありました
最近ではコインランドリーやスポーツジムを併設しているところもあります
本業であるパチンコをより快適に、より便利に利用していただきたいという思いからのサービスでしょう
つまり業態としてのパチンコは実店舗の娯楽としてまだ需要があり可能性があると思っています
問題は本文中にもある顧客の単一化、それはホール営業の単一化であり機械の単一化とイコールです
ムダをどんどん削ぎ落してスマート化させていった結果です
機械で遊ばせる時間がムダだからベースを下げて高単価化
高単価機しか売れないからそれしか開発しない
人件費はムダだから各台計数機を導入
挙げればまだまだ出てきますがムダを省いていった結果が現在の姿です
同じような機械で同じような営業をして同じような客が打つ
上記にムダと挙げたこれらすべてが私はムダではないと思っています
かけるべきコストなんじゃないかなと思っています
庶民の娯楽として遊ばせる、地域の人の雇用や地域企業との取引を通じて社会に存在を理解され認めてもらうことが必要です
虚業ではない実業であり規模は小さいとは言えギャンブルなのですから人の気持ちを考えた営業をするべきだと思っています
ホール営業の高コスト体質がそれを許さないというなら衰退は免れ得ない未来で、ここが限界なのかなと思います
ピンバック: しょうゆ
お客を店に入れて、台に座らせ、万札を入れさせてしまえばこちらのもの。
紫煙と大音響の中、見渡す限り360度パチンコパチンコで猫も杓子もパチンコに夢中。
他人が当たれば妬ましいし、
自分が当たれば嬉しいし、他人の妬ましい視線も嬉しいし。
こんなパチンコに熱中できる環境はザラにありませんでした。
そんな店舗が駅前、繁華街、通勤通学路と日本全国津々浦々に数多あり、
生活の中でパチンコは習慣になっていました。
身を粉にしてパチンコを通して社会に奉仕をすれば、社会からは相応の功徳を得られました。
「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」
本当にどうしてこうなったのか。
ピンバック: いやはや
ピンバック: 猫オヤジ
パチンコ遊びは期待感を楽しむ遊びです
ヒリヒリと灼けつくようなギャンブルではありません
究極的な大勝ちをしても何十万円、ほとんどは何万円、何千円という遊びです
それでも期待があればアツくなれるということです
期待は様々な場面で段階的に訪れます
ホールへの期待
イベント日には玉を出すかもという期待からはじまり好きな台の狙いを定めて抽選番号への期待
台を取れたらその台の挙動への期待をします
パチンコ台の期待
スタートが何回まわるのかによって「今日は勝てるかも」という期待
リーチや予告など演出による当たりへの期待
当たったあとの連チャンへの期待、引き戻しへの期待
スロット台の期待
設定が良いかもしれないという期待、勝ちへの期待
リーチ目や告知ランプで当たりが見えた瞬間にはその先の展開への期待が膨らみます
ATのゲーム数の上乗せやストックの上乗せ、いわゆる「事故への期待」
万枚やコンプリートなどへの期待
ざっとこういう感じなのかなと思います
リゼロの鬼がかりなんかは上手ですよね
期待感と合わせた遊び方がよく工夫されています
直近では藤商事の緋弾のアリアが楽しませる機能をたくさん搭載しているようです
私はハイビスカスがチカチカするだけでアツくなれるんですよね
期待はしてないはずなのに不思議です
ピンバック: しょうゆ
まぁコメント数が寂しかったわけです。
で、数日前にふとこう思いました。
そろそろ『いやはや』が登場するのではないか?と。
予想通りでした。
コメント数稼ぎなのは確実でしょうね。
二桁ですよ。あっさりと。
意図してるものか利用してるものかどうかは置いておいても、役割は完全に日報のサクラという立ち位置。
そりゃ、反日内容や客やアンチを馬鹿にする内容だって承認されますよね。
食いつかれやすいですから。承認なんて素通りかと思うくらいでした。
記事にも出てくるアンチコメントでぶちギレた元店長様。
アンチを目の敵にする牛丼通行人。
勘ぐっちゃいますよね。
まぁさすがにないでしょうけど。
たた、このコメンターのせいで今の寂しい日報になったと思います。
今年のリトンエソウなんてコメント5ですよ5。
数年前なんて20、30当たり前でした。
いや理解はできます、だって日報コメンターのほとんどが興味を失ってしまった表れですから。
連日、コメント欄でアンチといやはやのやりとりでコメント数が伸びるだけ。
二桁に伸びるときはほぼ確実にいやはやの釣り針が垂れてます。
パチンコ業界が少しでも良くなるような記事を期待しております。
ピンバック: 通行人
パチンコとその他ギャンブルの期待感の違いと共通点について個人的な感想なのですが
まず宝くじの感覚です
宝くじって当たりを期待して買う人ってほとんどいない気がするのですがどうでしょうか
どちらかというと「夢を買う」とよく言われるように万が一の事故に対する保険のような感覚なんじゃないでしょうか
期待はしていないけど万が一当たったら人生に大きな影響を与えてくれるもの
売り場によって当たりが出る出ないも気のせいだとわかっていながらジンクスにすがる…
設定1だとわかっていながらもGODを引いてしまえばなんとかなるかもしれない…というような心持ち
つぎは競馬競艇などの公営ギャンブルの感覚について
私は公営ギャンブルをほとんどやったことがなくて勘でちょっと買ってみたことがあるという程度ですのでドハマリしている人の気持ちはわからないのですが予測というか感覚です
パチンコで遊ぶときの感覚で「してやったり」と最高に気持ちのいい場面のひとつに
「自分で設定6が入っていると予測したところに座って打って設定6が入っていることを確信したとき」
というものがありますが競馬競艇などはこれに近いものなんじゃないかなと思いました
もちろんいろいろな展開があるでしょうから1点ではなく何点か候補を立てて自分の感覚を信じる尺度が賭け額に現れる
まとめると「自分勝手に都合よく予測した展開通りにコトが運んで気持ちいい嬉しい」こんな感覚
万が一の保険で賭けていたところが当たって万馬券で嬉しい(保険で選んでいた台に座ったら設定6で嬉しい)
どうでしょうか似ていますか?全然違っていたらすみません
どのギャンブルにも共通するのは期待する心ですね
宝くじは期待したところで「やっぱりね」で済まされます
公営ギャンブルは当たりもハズレも「自分の責任」で済まされます
でもパチンコはホールが客の期待に常に応えていかないといけません
ちゃんとスタートをアケて、高設定を入れていかないと期待に応えることはできません
期待を持たれなくなってしまったら客の足はそのホールに向かいません
ピンバック: しょうゆ
これは、プロは読んでもらってナンボであり、読者層に合わせたものを作らなければ生き残れないからです。
ごくまれに連載打ち切りや失敗の捨て台詞で読者に責任を転嫁する人もいないことはありませんが、そういう人は確実に退場します。
したがって、読者に対して行間を読めとか、読み手のレベルが云々と言い出すのは書き手としてアマチュアだと言っているようなものです。
もちろん、このサイトがパチンコ経営はともかく書き手としてはアマチュアの人物のエントリーも受け付けるというスタンスであれば何の問題もありませんが、アマチュアとして記事を執筆していることは明確にしておいた方がよいでしょう。
また、書き手としてアマチュアなのはコメント側も同じです。
コメントにすべてを書けない・書かないのは当然ですし、コメントの行間や意図を読み取っていただいたら良いと存じます。
ピンバック: 日報読者