パチンコ日報

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激しい市場競争を勝ち抜く挑戦する心 上

16年以上前の2007年、業界で注目されていたホール企業社長の講演録だ。その後を検証する意味で当時を振り返る。そこから見えてくるものは何か。

以下本文

売上高が2000億円を超えたとき、社内風土が官僚主義的、セクト主義的になっていた。この体制で出店してもいい会社にはなれないことを感じ始めていた。そこで着手したのが社員教育の前に、人間教育だった。

社員としての8時間より、人間として生きている24時間を豊かにするために。

自分とは何者か? この仕事を通じて何がやりたいのか? その辺りから見つめなおした。

能力主義よりも共感主義。ガバナンスをしっかりしなければ外からの資本は入ってこない。そこでISOを取得したり、監査法人と監査契約を結び、上場企業という気持ちで経営している。

最終的に重要なことは、経営理念を持つこと。さらに経営の目的を持つことが大事で、それをトップがいい続けることが大事。

2000億円を超えたことで、気づいたことが一杯ある。

売り上げは上がったが、財務内容がよくなかった。得たもの失ったものは何か?

2000億円を超えた第3ステージではパチンコ版ビッグバンが起こる。

財務と人材にダメージを受けた。年間で11店舗も出店したため、人事戦略は滅茶苦茶無理をかけた。そのため、出店した店舗が軌道に乗るまでに倍の時間がかかった。

株主に約束した利益を出すことができなかった。責任を感じた。

組織を立て直し、本部長制をやめてすべてフラットにした。営業は直轄型で私の下に置いた。

社内風土が官僚的になっていた。

非常時にはトップが決断して変えるしかない。決断と責任はトップが取る。

人事の混乱も起きた。

本部長がいらなくなった。エリアマネージャーもなくなった。降格人事と取られて辞める幹部もいた。掲げた目標が理解してもらえなかった。

依存型から自立型に転換中のこの時期しか変えられない、と思った。

5号機問題は1年半前からシミュレーションを重ねた。

今後5年間一切の出店を止めて、売り上げをスロットから40%ダウンさせてやっていけるのか? 最悪のシミュレーションをやった。

そのとき、スロットの売り上げを捨てる決断をした。

それまでは、1台当たり5万円を維持することを目安に、これがお客様の支持だと思っていた。

大型店、多店舗展開、メイン機軸になる機械を入れて、イベントを繰り返し、客単価を上げる。

客数を増やしたのではなく、客単価を上げての5万円だった。

この勝ちパターンが通用しなくなった。やったことといえば、1人当たりの客単価を上げただけだった。

台売り5万円がわれわれの存在価値だと思っていたが、これを捨てて低玉貸しにシフトした。そうしなければ生きていけないから。

1円貸しに対してエリアマネージャーは「無理」「できない」「粗利が取れない」と反対した。

どんどんマーケットは変わっている。

そこで昨年4月23日に踏み切った。1460台を低玉貸しに移行して売り上げを捨てた。

できない常識が簡単に変わった。非常識が簡単に常識に変わった。

われわれがやっている常識は正しいのか?

松下幸之助は「執念ある者は可能性から発想するが、執念無き者は困難から発想する」という言葉を遺している。

反対するものは1円パチンコができないと困難から発想していた。

今まで大切にしてきた価値観を捨てることはトップが決断しなければならない。

そこで売り上げという目標を捨てた。

つづく



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