3月11日、午後2時46分。非常に強い大きな揺れが9階の会議室を襲った。ケータイで地震情報を確認した一人が「Aさん!宮城県沖地震だよ」と叫んだ。すぐに会社に連絡を入れた。会社はもちろん、誰のケータイにもつながらない。現地が大変なことになっていることだけは想像できた。揺れが収まったところで、会議を抜け出し、鞄を掴むと一緒に来ていた理事長、事務局長の3人で9階から非常階段を駆け下りた。
東京駅八重洲口周辺は人でごった返していた。とにかく仙台に帰ろうとしたが、新幹線は止まって動かない。駅のテレビで現地の状況が刻一刻と伝えられる。津波で車や家が流される映像に胸が締めつけられた。津波映像を見て石巻市に住む親戚の顔が浮かんだ。
いてもたっていられない状況だが、鉄道や道路も寸断され、仙台まで帰る手段がないことがやっと分かる。気がつけば3時間余り八重洲口を彷徨っていた。
新聞紙を敷いて野宿を覚悟した時、組合事務所のことを思い出す。事務所へ引き返すと幸い事務所に人が残っていた。コンビニで食糧を調達しようとしたが棚から品物が消えていた。当日は組合事務所で一夜を明かす。
翌日は何とか銀座のホテルを確保することができた。それでも帰る交通手段がない。その時A社長のケータイへ1本の電話が入る。仙台でパチンコ業界誌を発行するTさんからだった。組合会議で東京へ来ていることは知っていたので、帰る手段がないことを心配して電話をかけてきた。命拾いする思いだった。高崎駅まで行けばTさんの車で仙台に帰れることになった。
3日目の夜は高崎駅のビジネスホテル一泊。翌朝、Tさんと合流する。車はワンボックスカーだったので、ダンボール3箱分の水や食糧を買い込む。帰る手段は確保できたものの問題はガソリンだった。
新潟ならガソリンを満タンにできるという情報を得て、新潟~山形~仙台という変則ルートで仙台に戻ったのは地震発生から4日後だった。
若林区にある事務所は広瀬川の堤防からも近い。川を逆流する津波の影響はなかったものの、ショールームの巨大なシャンデリアが天井から落ちて、事務所内は足の踏み場もないほどモノで散乱していた。自宅は半壊状態だった。
幸い家族や社員にけが人はいなかった。しかし、奥さんの実家である石巻市は津波被害が甚大だった。実家は600年以上の歴史がある神社だった。高台にあったが、30メートルの津波がすべてを飲み込んだ。未だに発見されていない親族もいる。
震災直後はガソリン不足で遠くから車通勤していた社員は、出社することさえも困難だった。出社できる者だけが出社して事務所の片づけから始まった。移動手段として自転車を買った。
「あるメーカーの社長に『助けて欲しい』とお願いしたところ、九州、広島、大阪、東京から4トン車一杯の救援物資が届けられました。缶詰やカップラーメンのほか、灯油がドラム缶で届けられました。今回の震災で一番重要だったのが水。救援物資が行き渡った後半もやはり水が一番ありがたかった。しかし、こんな経験だけは二度としたくない」と被災生活を振り返る。
東日本大震災後、パチンコ業界は何かにつけバッシングの対象になった。東北6県は5月まで新台入れ替えも自粛した。津波被害がなかった仙台市内では、電気、ガス、水道のインフラが普及すると早々と店を開けるホールも出てきた。
「この非常時にパチンコなんかとんでもない」というのがパチンコをやらない人たちの厳しい目だった。しかし、ホール側としてはケータイの充電やトイレを自由に使って欲しい、という願いも込めて店を開けた。
「被災者の方の中には家も仕事もすべて失い、何もすることがない人もいらっしゃいます。仮設に入っていると鬱になる人も少なくありません。賛否両論はありますが、パチンコが気晴らしになって救われている、という人もたくさんいらっしゃいます」
得意先で被災したホールが少なくない。津波で店を失った沿岸部では再開発のメドも立たないために、再開を諦めるホールもある。
「『全部店が流されたわけではない。被害がなかった店があるのだから、おじいちゃんの代からはじめたパチンコをわれわれの代で潰すことはできない』と息子さんの声に励まされて、やる気になった社長もいます。福島は再開できないけど、仙台に店があったので助かった、というオーナーさんもいます。東北が復興していく過程で、パチンコなどの娯楽は必ず必要になってきます。本当にパチンコ業界が愛されるためには、機械のレパートリーを増やして、もっと安価に提供しなければなりません」と語気を強める。
割数計算も遊技機の修理の仕方も分からないままに入った業界だったが、社員に恵まれ35年間続けてこられた。これからは「業界へ恩返し」のための人生を捧げる覚悟だ。

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また、東京で計画停電で自宅の電気が遮断され、
冷蔵庫の中のものは解けてしまい、真っ暗な自宅で過ごした人には、
その日の計画停電地区外で煌々と電飾を輝かせて営業する当時のホール企業への場違いな恨みが芽生えました。
ホール企業業界には悪意はなかったにしろ、気が立っている国民に勘違いされそうな行動は慎むべきした。
ピンバック: いやはや
その表現そのものが「有事など知った事か。こちらは影響ないんだから。」って事でしょ。もうね、お里が知れる話だ。
やっぱ「遊技機で遊技を行って得た特殊景品による換金廃止」この法案を成立させないとダメだろ。
ピンバック: 通りすがりの風来坊
馬鹿、というか普通にアレだろ。言葉は濁すけど頭がアレだよ。
お前も似たようなもんだけど。
悪意があった、と言われたほうがある意味納得はできるわ。
周りなんか気にしねぇ、人がどう思おうが関係ねえ、っていうのは大事なことだが、企業がそれやっちゃマズイよなぁ。
後先考えない馬鹿でしかない。
ピンバック: 通りすがりのパチンコファン
お前が阿呆なのは、分かるがお前みたいな人間ばかりだと思われて嫌だと思うパチンコ屋に従事している人間が沢山いるよ。
朝鮮人が嫌われる様な発言は、お前のルーツでお前の人格だから致し方ないけどパチンコ屋を貶める事ばかりしてパチンコ屋で働く人間が可哀想だよ。
まあ、阿呆だから分からないか。
ピンバック: 通りすがりの阿呆探知機所持者
まぁ「悪意は」なかったんだろうね
悪意じゃなく標準機能だもんな半島出身者の日本叩き感情は
津波や火災など、あれだけの衝撃映像が当時どのテレビでもやってたのにもかかわらず「歓喜の大津波」なんて文言を使っちゃうんだからな
ホール企業も大半が朝鮮企業らしいし
古い情報だがホール企業の約90%はそうだというデータもある
サッカーでもあった
「日本の大地震をお祝います」
世界に向けて垂れ幕でこう発信したわけだ
日本人をチョッ〇リだったりサルって呼ぶんだろ?
あんたは豚って呼んでるけどw
日本に何か災害等が起こるとこういう言葉で溢れかえって祭りになるらしいな
こういう感情が念頭にあるから場違いな恨み、気が立っている国民等の言葉がすんなり出てくるんだろう
日本だと生き辛くないか?
そんなに嫌なら帰ればいい、と純粋に思うんだがねぇ
しかし13年前か
時が経つのは早い
ピンバック: はてさて
パチンコ屋がこの程度であれば、パチンコ屋が過去の話となる日も近いですね。
ピンバック: あさはか
それって、突き詰めて言えば不幸になる客の増産ってことになるのかな。
あまり考えないようにしてんだろうけど、業界への恩返しってことは…、まぁそこに行き着くよね。
どんなに綺麗事で着飾っても根本はそうだろうし。
まぁ人それぞれの正義や信念があるだろうけど。
生きていく中で娯楽は必要なんだけど、ここの業界人は災害とか有事の際に被災者を鴨ネギのように認識するでしょ?
東日本大震災しかり北海道大停電しかり。
まっとうな人も中にはいるんだろうけど、いやはやのような自分勝手な人間が足を引っ張って台無しにする。
世間のイメージはそいつらのせいで悪化の一途。
そこだけは同情するわ。
ピンバック: アンラッキートリガー