40年前と言えば、フィーバー機が登場してアタッカーの10カウント規制始まった頃だった。ホール従業員は訳ありの人たちの吹き溜まりだった。
Aさんはホール経験がなく即戦力にならないことなどを理由に、3人中2人が採用に反対したが、オーナーはAさんの「大卒」という学歴に興味を示して採用となった。
Aさんがホールを選んだのはその日から衣食住の心配がいらなかったことだ。Aさんの両親は事業に失敗してすべてを失っていた。その手伝いをしていたAさんも同様だった。
採用後、「両親も同居していいか」という相談をオーナーは快諾した。4畳半に親子3人で暮らした。一宿一飯の恩義ではないが、両親は無償でホールの掃除を自発的に行うようになった。
その働きっぷりを気に入ったオーナーは、2人を月10万円で雇うことにした。
一方のAさんは業界の常識に染まっていなかったので、外部の常識をホールに取り込んだ。
当時はタバコやジュースが支給されていた時代で、勤務中もタバコをふかしながら表周りをすることは当たり前で、勤務中であろうが店内でジュースを飲むことも咎められなかった。
Aさんは勤務中のタバコとジュースを禁止したのを手始めに、あいさつも一から教えた。そんなリーダーシップを発揮しながら、業界の悪い慣例を改革していった。
オーナーが店長にまで引き上げるのに時間はかからなかった。当時の店長と言えば釘も叩けなければならなかったが、当初は外部を使いながら、Aさんも釘を覚えていった。
フィーバーブームで業界は右肩上がりが始まったばかりの時期だったが、Aさんの管理の能力などで店舗は5店舗まで増え、役職は営業本部長になっていた。
後継ぎがいないオーナーはAさんに会社を託す予定だったが、オーナーより先にガンで亡くなっていた。
右腕を失ったオーナーの落胆ぶりは想像に難くない。
生前、オーナーは出入りのメーカー営業マンにAさんのことを引き合いに出しながら「業界を知らない人が革命を起こさなければ、この業界はいつまで経っても変わらない。パチンコのことを全く知らないド素人が作らないと面白い機械も生まれない」と発破をかけていた。
業界に長くいればいるほど既成概念に囚われて、柔軟な発想は生まれない。

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涎を垂らす牛さんのように、ホール業界の常識を知らない人が何かをする事を「程度の低い話」と鼻であしらう様な老害が我が物顔でのさばるようなこの業界じゃ土台無理な話でしょう。
こういう害でしかない人が鬼籍に入られて初めて現実味が出てくる話ではないでしょうか。
ピンバック: 名無し
しかしながらパチンコに愛着や情熱ある訳でも無い様な人ばかりになってしまった結果、今日が有るのではないでしょうかね?
ここで更に「業界の事を知らない人」なんか採用したら更に酷い事になる予感しかしませんね(^^;?
「自社の今の体たらくは全てスタッフが悪いからだetc」みたいな感じで己の立場とかを全く理解して居ない様な、あまり良ろしくない系のオーナーなんかに妙な感銘を与えそうな気もしますね(^^;
ピンバック: もと役員