パチンコ日報

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じいさんと俺の釘 vol.2

俺は釘をナメていた。じいさんの釘は執拗で周到だった。寸分違わず全ての釘の角度を合わせる。こんなことをやらされるのか。正直言ってその場で帰りたくなった。

海のゲージは1台あたり300本近くの釘がある。それを200台叩くのだ。しかも三日で。店がリニューアルの工事で昼間も釘が打てるのが幸いだったが、どうしたって時間が間に合わない。

「藤本さん、これ間に合うんですか。結構ヤバい量ですよ」

「最初から弱音か。間に合わなかったら三日間徹夜でやればええじゃろ」

「え!徹夜すか!」

「当たり前じゃ。銭貰って請け負う仕事で間に合いませんでしたじゃ通らんじゃろ」

一日20時間もセル版と睨めっこをしていたら、やっぱりバカらしくなった。叩いているうちに釘の芯を捉えることができず、ハンマーのヘッドでしゃくりながら適当に誤魔化していたその時にハンマーを取り上げられた。

「ちいとはできるかと思っていたんじゃがな。ここまでとは思わなんだ。後ろで見とけ」

それだけ言うとじいさんは隣の島へと移動して行った。
 
腹がたった。その程度の技術しかないのはわかっていた。しかしあからさまに自分を否定されると無性に腹がたった。と言って反発する言葉を持ち合わせない俺は。じいさんの言葉に従うより他に術がなかった。

ぼうっとしながら何時間もじいさんの背中を見ながら立ち惚けているのはかなりの苦痛だった。別に座るなとは言われていないがなんとなく座ってはならないと勝手に自分で決めていた気がする。
 
傾斜の確認を台ごとにして、上段、中段、下段と打ち分ける。最初の元となるゲージの完成までおよそ二時間。ある程度ゲージ構成を決めたら試し打ち。渡りの一本の角度を一度下げる。試し打ち。ヘソ脇のジャンプを一度上げ。試し打ち。と思ったら天釘の上下角を一度下げる。そしてワープを03から06に広げる。試し打ち。俺はある意味感心した。よくこんな面倒臭いことを飽きもせず続けられるもんだな、と。
 
どうやら元ゲージが決まったようだ。あとはそれと同じゲージを199台分作るだけ。途中下手がやっても差し支えない箇所はやるように命じられた。じいさんがすぐそばにいるもんだから手を抜くことはできない。イヤイヤでも続けてやっていると小難しい箇所も少し上手く打てているような気がしてくるから不思議だ。

そのうち周りの音が聞こえなくなる。一心不乱というのはああいうことなのかもしれないと過ぎてから思った。兎に角俺は
じいさんに置いてきぼりを喰わないようそれなりに頑張った。と、思う。

三日目、最終日。予定より仕事は早く終わった。身体はボロボロだが何か言いようのない清々しさめいたものはあったと記憶している。今回は逃げることはできなかった。ホールに設置されている黒いベンチに腰掛けて煙草を吸いながらそんなことを考えていた。今までは面倒臭いこと、嫌なこと、格好悪いこと全部逃げて生きてきた。

「もうすぐ終わりじゃのお。あんた、先生業やっとるだけあって口が達者じゃ。儂は、釘は上手いが喋りの方はからっきしでのお。人間よくできとるわい」

もう一本吸えと自分の煙草を俺の方に箱ごと渡してきた。そしてじいさんもそのベンチに座った。俺はじいさんの煙草に火をつけた。すまんと手刀を切りながらふうっと息をつく。

「儂は若い頃、たいがい悪さをしよったもんじゃ。借金の切り取りや右翼の真似事とかの。それが歳とってくるとの、死ぬ前に何かほんの少しでもええから人様にありがたがられる行いをしてみたくなるもんよ。お前さんにはまだわかるまいがの」

俺は煙草の煙の行く末を見やりながら黙って聞いていた。

「での、さっきも言うた通り、今の儂にできることは釘を教えることしかできん。じゃが、こっちの方がからっきしでの」
じいさんは自分の口元に手を持っていき親指と四本の指をパタパタさせた。

「そこでじゃ。しばらく儂の口になってくれんかのお。儂の技術は全部お前さんに伝えるからそれをこれからの若い人間たちに伝えてやってくれんか。授業でも、ホールでも」

俺はなんで俺に?と聞こうとしたがそれをしなかった。ただこの年寄りの内側にある何か、あまり馴染みのないものを探っていた。



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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. 山田塾様、お疲れ様です。
    自分も初めて本格的に釘を打ったのが「CR海物語3R」でした。(^^;
    当時、T1Yを削る調整が多い中、自店の店長は寄せる釘調をしていました。
    通常、海のT1Y1800~1850くらいが多い中、自店は1950~2000以内になるように調整、3BOX100台近い海のゲージつくりは本当に大変でした。(^^;
    また寄せているのでBA目標値の90にするのも大変でした。

    当時は300台規制で大型店がなかった状況でしたが、自店は1階、2階の2店舗申請で500台以上の大型店!
    稼働もパチンコ平均48000玉入っていたので営業中も忙しかった記憶しかありません。

    とにかく良き時代でした。
    販促の変人  »このコメントに返信
  2. ピンバック: 販促の変人

    • 販促の変人様
      ゲージにコンセプトをのせて活かす。大切なことですね。3Rは名機でした。その名機もコンセプト次第で業績があからさまに変化しましたね。特にT1Yを削らず、それをウリにする場合スタートの数値はおろかスランプの強弱がとても難しかったですね。でもそれで稼動がのしてくれた時は本当に嬉しかったです。今日もコメントありがとうございます。
      山田塾  »このコメントに返信
    • ピンバック: 山田塾

  3. 3R~M27の頃は数BOXでしたからしっかりピッチ取り調整する人は大変でしたね。私はヘソ上げ5~8度12,25、風車上11.50、これで6.5~7回に調整しろ!などメーカー、販社の担当に任せていました。もちろん傾斜4.5分です。あとは立ち上がりが悪いと困るから全体の10%くらいにハーネスを使いました。

    爺さんは釘帳「ホールコンのレシート赤黒を島別に数日分貼ったオリジナル帳簿」を部下に持たせガラスを開けさせたもんです。ヘソをドンキとか釘をなぶるとか。笑
    でも釘の頭を捉え叩く音が良いんです。今の人は釘の傘を叩くから音が悪い。アクリル板だし…
    猫オヤジ  »このコメントに返信
  4. ピンバック: 猫オヤジ

    • 猫オヤジ様
      >ヘソをドンキとか釘をなぶるとか
      そうです、釘をなぶるんです(爆笑)ジャーナルがホールコンからジーコジーコ音を立てて途中でインクリボンが切れて、部長がキレて(再笑)それもこれもお客さんが来てくれてホールに活気があったからこその笑い話でした。
      面白いコメントありがとうございました。
      山田塾  »このコメントに返信
    • ピンバック: 山田塾

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