8年前から現職の社長を任されているが、業界に入ったのは今から35年前、22歳の時だった。中卒で学歴はない。職を転々とする中でスポーツ新聞の求人広告を見て、そのホールに就職することになった。
当時で給料は手取り20万円。寮費はタダ。3食賄い付き。求人広告の謳い文句のジュース、タバコ支給に惹かれた。
確かに当時の求人はスポーツ新聞が圧倒的に多く、慢性的求人難だったパチンコホールは、他店との差別化のために給料以外にタバコやジュースを支給するホールが少なくなかった。これがスタンダードになると、最後の差別化は3食の賄の美味しさをアピールするホールもあった。
3食の賄は大事で、毎日食べる食事が不味いという理由で辞める従業員もいたことも確か。
Aさんが社長になれたのは、実力もあったからだが、2代目社長となる予定のオーナーの子息の不慮の事故で後継ぎがいなくなり、Aさんに白羽の矢が立った。
最盛期には8店舗を運営していたが、現在は2店舗にまで縮小している。
35年前と現在のホールの給料を比べてみると、35年前の方が厚遇されていたことが分かる。
当時はホールの2階が寮なので、寮費を取ることもなく、光熱費も会社持ち。食事代もかからず、手取り20万は貯めようと思えば、毎月20万円貯めることもできた。
業界が大きくなるにつれ、新卒採用が始めると前時代的なホールの2階の寮はどんどん廃止されていった。寮がないということは3食の賄もなくなっていった。
日本はバブル崩壊後失われた20年間とも言われ、デフレが長く続き、一般社会のサラリーマンの給料も上がっていない。
ホールでも給料は上がっていない。住宅費、光熱費、食費が自己負担となると、手取りはいくらも残らない。
ホールの待遇が一般社会並みになったことで、実質手取りが下がったことは、果たして業界として良かったのか、悪かったのか?
「昔のホール従業員は休みになると、寮で1日過ごすのではなく、必ず他店へパチンコを打ちに行く人が多かった。パチンコ好きが本当に多かった。可処分所得が多かったので、パチンコを打つ余裕があった。スッカラカンになっても生活はできた。パチンコ客に占めるホール従業員客は結構いた。実質手取りが少なくなり、打ちたくても打てなくなった従業員が増えた。そこに持って行って各台計数機が普及して、1店舗当たりのホール従業員が少なくなっているのは、パチンコ人口が減る要因の一つ」とA社長は分析する。
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