ホールを退職したのは、コロナが世界に蔓延する直前の2019年12月のことだった。ホールに入る前は飲食業界で働いていたが、給料の高さに惹かれてホールへ転職した経緯がある。
4号機時代にパチンコ業界が儲かることも体験した。店舗数はそう多くはないホール企業だったためか、機種選定はすべて店長の裁量に任されていた。社長はそろそろ引退して、息子にバトンタッチする矢先でもあった。パチンコに興味が薄い息子が社長になることに一抹の不安もあった。パチンコ店の店長よりも自分でやりたい仕事を見つけてしまった。
知り合いが飲食の移動販売を東京・大手町界隈でやっていた。都内随一のビジネス街で競争も多いが、売れていた。移動販売ビジネスに興味を持ち始めるようになる。
加えて、50歳を目前にした熟年離婚が独立開業を後押しした。

写真と本文は関係ありません。イメージです
弁当の移動販売をスタートさせたのが2020年1月だった。コロナが猛威を振るう直前。600~700円の弁当はすぐには売れなかった。
転機は緊急事態宣言からだった。三密が浸透してくると、昼休みは飲食店で食べるよりも、弁当を買って社内で食べる流れが生まれた。その時流に丁度乗った。
後発組なので、都心の大手町界隈などはすでに場所を抑えられているので、つけ入る余地もなかったので、都心から離れた場所で移動販売を始めた。
これが結果的には良かった。都心のオフィス街はリモートワークが進み、一番売れていた場所がサッパリ売れなくなった。
現在はビルの軒先とスーパーの敷地、個人の敷地の3カ所を1週間で2回回っている。一番売れるのはビルの軒先で11時から3時までに約200個の弁当が売り切れる。一番売れないのが個人の敷地だがそれでも80個は売れる。
ちなみに軒先料は月額1万円~4万円。
最近は個人で場所を探さなくても、軒先を斡旋する業者がいる。軒先斡旋がビジネスになっている。
移動販売もいつも同じ車が来たのでは、お客も飽きてしまうので、数多くの移動販売がローテーションで回る方が目先が変わって楽しい。
で、軒先斡旋会社が新規開拓しようとしているのが、ホールだ。繁華街や駅前などに立地するホールのちょっとした軒先スペースがあれば、移動販売の好立地となる。
問題はコロナが収束した時だ。でも、本当に安くて、美味しいものを提供していたら生き残れるというものだ。

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今後は、どんどん中小のパチンコ店が倒産し、大手だけが生き残るのは明らか。今のメインの客は老人達だが、近隣店舗が消滅して、電車やバスに乗ってまで大手のパチンコ店に行くだろうか?東京では、自宅からの徒歩圏内にパチンコ店があるから通えるというのも大きいと思うから、大手だからといって簡単に集客できるとは限らない。
中小のパチンコ店の店員の方は、まずはオーナーの人間性や熱意を敏感に感じ取って、ダメなオーナーなら、この店長さんのように起業するか早めに転職した方がいいでしょうね。
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こんな先細りの業界にいるべきじゃない。
なので、こういう記事はもっと書くべき。
背中を後押しするために。
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ましてや店長の立場で平時は高待遇を享受しておきながら、いざ鎌倉の事態になったとたん、風向きが怪しいから転職などとは、御恩と奉公もあったものでもなく、恥を知らないかと思われますよ。
「忠臣は二君に仕えず」という言葉もあります。
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なんですが大学時代の息子はキャンパス
で良くお世話になっていたみたいです。
「いつも外では何食べてんだ?」と
聞いてみた時にママwが作ってくれた弁当
、学食では天ぷら蕎麦、移動販売の弁当
と聞いた事が有ります。
ちなみに学食の定食はまず食べた事が
無いそうです。
ちなみにキャンパスが生田の田舎だった
ので本当に重宝したんでしょうねw
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その難しさは方向性が異なるので一概にどちらが難しいとは言い難い面があります。
帝王学として有名な貞観政要にも「創業と守成いずれが難きや」という一文があります。
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