パチンコ日報

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店長の不正監視の役割もあった昔のコンサル

ホール店長を経てコンサルとして独立した。現在還暦を過ぎ、コンサルからは足を洗い、ホール業界の片隅でひっそりと生活している。

パチンコ業界で良いことも悪いことも経験した。

コンサル経験者からの業界回顧録だ。

30代のころは渡り鳥人生だった。店長として12社を渡り歩いた。それからコンサルとして独立する。

コンサルは10年ほど続いた。最後は稼働を上げることができず引退した。それが20年前。ということはコンサルをやっていたのは1990年代ということになる。

現在は時給1000円で1日7時間半。単純作業に従事している。コンサル時代の蓄えがあるので、それで生活することはできる。

コンサル時代の得意分野は釘。それにホール運営を加えた。コンサルというよりも釘師に近い。

最盛期には8店舗を管理していた。それで年収は7600万~8000万円を稼いでいた。コンサル料が月100万円時代の相場と言えば相場だろう。

パチンコ業界も儲かっていたから、それだけのギャラを支払うことができた時代でもある。

8店舗の釘を見ていたら活動するのは夜中だ。夜、飲みに出歩くこともできず、おカネは貯まる一方で通帳はいつしか3億円を超えていた。

月1回は完全OFFの日を作った。休日、日帰りで向かった先はソウルのウォーカーヒルだった。バカラと女におカネを注ぎ込んだ。

韓国カジノに嵌り始めると銀行口座の貯金額がどんどん減って行った。トータルでは2億円ほどすった。

「私は釘がメインでイベントはやらなかったけど、イベントコンサルなんかは月300万円取っていたね。毎日違うイベントを作っていた。1日10万円だね。朝から200~300人は並んだからオーナーも満足していた。まだ、ホールにそれだけおカネがあったからコンサルも稼がせてもらえた」

資金的にホールに余裕があったこと以外にもコンサルを使う理由があった。

「私のように釘を見ているとデータも全部見る。当時のオーナーは店長を信用していなかったので、店長を見張る抑止力として私のような役目が必要だった」

凄く腑に落ちる理由ではある。しかし、店長はオーナーの背中を見て育つもので、オーナーが不正をしているから、店長も同じようなことを勘違いしてやる。

まさに因果応報である。

ま、時代の流れでそういうホールはどんどん淘汰されて行った。



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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. 己の身内(家族とスタッフさん達)しか基本的にまず信用しない
    私としましては”子飼いの店長さん”より”外部のコンサル”の
    方を信用する感覚が全く理解出来ませんね( ´ー`)y-~~
    “食い逃げされるラーメン屋はなぜ人を雇わないのか?”たったか
    みたいな本が昔流行った記憶がありますが月額100万もの出費に
    見合う価値が有るとは私は思えませんな(/´Д`)/
    見守る者  »このコメントに返信
  2. ピンバック: 見守る者

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