パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第5話 新世界 ⑤

恫喝  

結局子ガメの狼藉に終止符を打ったのはオオガメであった。しかし僕の体の痛みと悔しさは収まらない。痛めつけられた姿を客達は面白おかしそうにただ見ているだけだった。そして従業員のみんなも誰も僕を助けなかった。いや助けられなかったと言ったほうが正しいだろう。

店舗の入口にある駐輪場の整頓をしていた木村くんが駆けつけた時にはひと騒動終わった後だったし、カウンターでは連獅子が景品業者の対応に追われていて事件を知る由もない。関口さんやほかのスタッフたちは担当コースの仕事で手一杯だった。

僕は痛む脇腹を抑えながら仕方なしに事務所へ入る。これ以上恥を晒すのも嫌だし、立っていることすら苦痛だった。ドアを閉めると涙がこぼれ落ちた。悔し涙は嗚咽に変わる。子ガメの顔が、あの得意満面のいやらしい顔が何回も頭の中に入ってきては通り過ぎてゆく。

「おう、坂井主任おはようさん。あれ?お前なに泣いてるんだ。実家のお母ちゃんのおっぱいでも恋しくなったか、ん?がははは」

いつものことながらこいつのデリカシー無さとセンスのない冗談には呆れてものが言えない。

「子ガメにやられました」

奥歯をギュッと噛み締めながらそう答えるとまた涙があふれる。カルティエはしばらく僕の尋常でない様子をじっと見ていた。少し経ってから事の顛末をカルティエに伝えた。多少は慰めてくれるのではないかというほのかな期待を寄せながらなるべく哀れな口調で全てを伝えた。 しかし彼の口調は思いのほか冷やかだった。

「そりゃあ殴った子ガメも悪いが、もっと悪いのは坂井、お前だな」

僕は一瞬耳を疑う。怒りで目尻がつり上がるのが自分でも分かった。これじゃあ踏んだり蹴ったりだ。自分の部下が客にボコボコにされたのにかばうどころか被害者である僕をこいつは責めている。僕には到底理解できない。

「何がですか!僕は何も悪いことしてないじゃないですか」

一度失った理性は簡単に元の鞘には戻らない。噛み付かんばかりの剣幕で僕はカルティエに対して詰め寄った。体の痛みも然ることながら心の痛みはさらに増す。いくら上司といえどひどすぎる。

「甘えてんじゃねえ!」

ビターン!という大きな音と共に目の前が真っ暗になった。この感触はさっきも味わったものであるということ以外なにも認識できなかった。カルティエのビンタはさらにもう一発続いた。

「お前今殴られた意味がわかってねえだろう。大方客に殴られた僕を慰めることもしないでなんでまた殴るんだ、ぐらいのことしか頭の中にねえだろうって聞いてんだよ」

「うるせえ!そんなもん知るか!」

「坂井よく聞けっ!お前は今日お客さんに言っちゃあならねえことを言ったんだ。事の真偽がはっきりわかる前に『本当にお金入れたんですか』なんていう馬鹿な奴がいるか、バカヤロ!言われた身にもなってみろってんだよ。お前ならどう思うんだ。立場を変えて考えてみろ。お金を入れた加藤さんはうちでは何年も通ってくれている常連中の常連さんだ。お前も知らねえわけじゃないだろ」

僕にとってそんな理屈はどうでもよかった。ただカルティエに頬を張られたという事実がまだ理解できないでいた。

「だいたいお前は主任という職位の意味を何もわかっちゃいねえ。一般のスタッフじゃ解決できないトラブルを処理していくのが主任の仕事でもあるんだ。両替機のトラブルで呼ばれて、その場でお前が客とトラブル起こしてどうするんだ。お前に主任としての自覚が足りねえからこういう結果になるんだろうが。子ガメはタチの悪いやつだがよっぽどのことがない限り手を出すような奴じゃねえってことはこの俺がよく知っている。チンピラやヤクザもんは自尊心を傷つけられたり、気質の衆の前で恥をかかされたりした時に力にものを言わせる習性を持っている。お前の言い方がまずかったんだろうよ。違うか?そうじゃなけりゃあいつは手を出すような奴じゃねえ。少なくともこの俺がここで店長を張っている以上はな」

カルティエの僕に対する非難は容赦がなかった。情けないことだが僕は彼に反論する言葉を持ち合わせていなかった。そして俯くばかりの僕は放心状態のまま磨り減った床を見ていた。

つづく

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第5話 新世界 ④

苦い初陣

「業務連絡、業務連絡。坂井主任、三番両替機までお願いします」

主任襲名三日目のことである。

「了解」と主任らしいいつもよりか声のトーンを抑えながら、僕は意気揚々と足取りも軽く三番両替機へと向かう。

「ちょっとぉ、まったくいつまで待たせるのよ。早くしてよ」

いきなりの剣幕に押され気味になったが、ここで客に舐められては主任の沽券にかかわる。

「はいはい、わかりました。ちょっと待ってね」

と言いつつわざと緩慢な動作で両替機に鍵を差し扉を開ける。しかし内心は緊張の居地だった。カルティエから一応の説明を受けてはいたが、実際にトラブルを処置するのはこれが初めてである。正直言うとどこをどうしたらいいのかすらわからない。おまけに僕はメカには滅法弱いのである。しかし客の前でそんな素振りは絶対見せられない。そう、僕は主任なのだから。

「で、どうしました」

「お釣りが出てこないのよ!一万円入れて九千円のおつりがで・な・いの!見てわからないの!何が『で、どうしました?』よ。あんたちょっと態度悪いんじゃない」

その女性客はこれでもかと言わんばかりに厚かましく、そして猛烈に抗議する。

「そう言われてもねえ。特に異常はないんですよ。本当に一万円入れたんですか」

状況に窮した僕は言ってはならない事を言ってしまった。しかし吐いた唾を飲みこむことはできない。

「それ、どういうことよ!あたしが嘘でも言っているっていうの?冗談じゃないわよ!毎日毎日ここに来て、一回も勝てないし、先月なんかいったいいくら負けたと思ってるのよ!五十万よ、五十万も負けてるのよ!客の金を搾り取るだけ搾り取っておいてその上こんなやり方でまだ金取るっていうのかさ!だいたいあんたこの両替機直せるのかさ!本当はわからないんじゃないの?店長呼びなさいよ、店長を」

「まあまあ、お客さん落ち着いてよ」

といった僕が全然落ち着けていなかった。

「何がまあまあよ。これが落ち着けって言えるのかさ!人を疑っておいて黙ってられるわけ無いでしょ!」

気がつくと僕たちの周りに何人かの客が集まっていたみんな僕の行動に批判的な眼差しだった。少なくとも僕にはそう見えた。途端に背中から嫌な汗がじわっと流れる。群衆の中に子ガメがこちらをヘラヘラしながら見つめている。嫌な予感は的中する。子ガメは両手で人垣をかき分けこちらに歩いてきた。

「坂井くんよお、お前お客様を泥棒呼ばわりしちゃあまずいだろうよ、ああん?」

ニタニタ笑いながらその怖い顔を僕の顔に近づけてくる。腐い吐息がもあっと臭う。今までの僕なら黙って俯くだけであったが、主任という立場上これではいけない、なめられてはいけない、こんなところで威厳を損なってはいけないと思い、今日は勇気を振り絞って精一杯の去勢を張った。

「誰も泥棒なんて言ってないじゃないですか。それに宮田さんは関係ないじゃないですか。今調べてる最中ですから向こうに行っててくださいよ」

言ってしまった。子ガメの顔がみるみる赤くなるのを見届けて僕は後悔した。しかし時すでに遅し。

「へえ、坂井くん偉くなったんだねえ」

バン!鈍い音と共に一瞬目の前から何も見えなくなった。そして鼻の奥がつーんとする。続けざまにバチン!今度は頬から耳にかけて皮膚が裂けるような痛みがして、キーンという音が左耳から聞こえてくる。

「舐めた口きいてんじゃねえぞ、こらあああ!」

僕は右手で右目を押さえ左手で左の耳を抑えながらその場にうずくまる。

「てめえ主任になったからっていい気になるじゃねえ。あんまり調子こいってとやっちゃうぞこら!」

もう来ないと思っていたのにトドメの一発が来た。バキっという音と共に子ガメの回し蹴りが僕の左脇腹に食い込む。2メートルほども吹き飛ばされただろうか。苦しくて息ができなかった。僕はううっと、うめき声を上げる。

『こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か』なぜゆえに昔少年チャンピオンに連載していた『魔太郎がくる』(藤子不二雄作)の名台詞が頭をよぎったのかは僕にもわからなかった。

つづく

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第5話 新世界 ③

二転三転

カルティエとの話を終えてから部屋に戻り、またひとり考えてみる。ここに居るみんなはそれぞれの過去があって、今という現実がある。今は過去が積み重なって今なのだろうと思う。そしてお偉い人達は出会いに偶然はなく必然である、と唱える。そのような気もするし、そうでない気もする。

僕がここに来て仕事をするということは必然的なことなのだろか。そして今をどう過ごすかによって未来は決まってくる、らしい。ならば僕の未来はどのようなものになるのだろうか。きっと大したものにはならないのだろう。

それは容易に想像できる。何故なら僕はこの三ヶ月のうちに何度もここを辞めようとした。いや、辞める、辞めないは一日のうちに何度もカードの裏表をひっくり返すように簡単に変わる。そんな今を過ごす僕に明るい未来が開けているとは到底思えない。
 
だいたい僕は過去をいい加減に過ごしてきた。だからぱちんこ屋なんかに勤めているのだろう。腹違いの兄弟やこれまで育ててくれた両親の顔色を伺いながら家庭での殆どを過ごしてきた。僕がおもしろおかしいことを言うと「お前は馬鹿だねえ」「まったくお前は面白いねえ」 とみんな笑ってくれる。

笑ってくれるのか笑われているのかは僕にとってどうでもいいことであった。僕は内向的な性格の弟と妹にこの家の家族たちが向ける冷たい避難の視線から外すため、懸命にピエロを演じた。その度に僕は嫌悪感に陥る。そして言いようのない虚脱感に苛まされる。

自分が周りの人間を意識しながら自分を偽り、ほかの自分を演じることは、中学高校六年を通じて自然と板についた。今では苦痛すら感じない。僕は家庭で得ることのできない愛情なるものを外に出て、友達や目上の人たちに求めるようになった。だが愛情なるものは求めれば求めるほどこの手には収まらないようにできているらしい。

こちらから自分の魅力を最大限にアピールしても誰も僕を振り返ってくれない。だから僕は寡黙になる。そして孤独が怖くてまたピエロを演じる。
 
仕事は一生懸命にやったつもりだ。経験が浅く物事の良し悪しもまだわからないが、自分なりに正面から仕事に取り組んできたつもりだ。しかしそれは仕事が面白くてではなく、周りの人達から認めてもらいたいというものが根底にあったからだ。

習性というものは恐ろしいもので、僕は社会人になっても周囲の目を気にしている。絶えず嫌われたらどうしよう、認めてくれなかったらどうしようという強迫観念に駆られながら毎日を過ごしている。そんな中でのカルティエの話だった。僕は彼の傍若無人さに腹を立てながらも一方では嬉しかった。そして主任に昇格という響きも決して悪くないな、と思っている。給料のベースアップ率は不満だがそれは二の次にして、仕事をする際にある程度自分の考えを反映させることができるというのは魅力的なことである。
 
この店の改善点はひとつやふたつどころではない。もしそれを自分の考えを織り交ぜてより良い店にすることができるのならばこんなに素晴らしいことはないだろう。何よりもあれこれ指図できる立場というのは、気持ちがいい。

小学校で学級委員長をやっていた頃はみんな僕の言うことを聞き入れてくれた。僕にはまだその時の快感が残っている。社会に出てリーダーシップを取れるのであればそれも悪くはないのではないか。ついさっきまでの会社を辞めるという選択は徐々に薄れていった。

この部屋の綿埃が畳の上をコロコロと音を立てて部屋の隅へと転がっていく。元来飽きっぽく心変わりをするのが早いのが僕の特性である。そしてよく言えば順応性に富んでいる。悪く言えば主体性に大いに欠ける。器用貧乏の典型的パターンであること自覚しているつもりだ。

「主任かぁ」ぼそっとつぶやく。

やってみようという思いが徐々に強くなってきた。人生色々だしせっかく何かの縁でこの店に入ったわけだからもう少しここにいてみようかな、と思うと急に心が晴れやかになって来た。

遠い彼方から一筋の光明が差す、と同時に黒く重たい雲はまばゆい光によって霧消し始める。心は積極的に踊り、すべてが肯定的に思えてきた。カルティエの期待に応えるべくここで頑張ってみようと決心した。しかし登り始めた太陽の向こうにさらなる重たい雲が雷を伴いこちらに向かってきているのを僕の目は捉えていなかった。

つづく


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第5話 新世界 ②

根っこ

僕は部屋に戻った。整然と片付けをされた部屋は妙に殺風景だった。その部屋は懐かしもあり、寂しくもあった。

カルティエの言葉が反芻される。恐らくその言葉がなかったら主任の話なんて聞く余地もなく、「ふざけるな」と言って事務所を出て行ったことであろう。

「坂井よ、今回のことではだいぶ気をもんだだろう。お前は優しいからな。それにまだまだこの業界の全てを知ってるわけじゃねえしな」

僕が事務所で怒り心頭の表情を隠さないでいるとカルティエはそう言って声のトーンを落とした。そしてふうっ、と深いため息をつき、ひと呼吸おいてから「すまん」と僕に詫びた。

「お前はどう思っているか知らないが、俺は弱い人間だ。俺の事情は関口から聞いて知っての通りだ。西田に弱みを握られ金庫の金が紛失した罪を、やってもいない罪をかぶった。俺には守らなきゃならねえもんがある。わかってくれるか。うちのかみさんだけは手放したくないんだよ」

カルティエにいつもの豪胆さは見られない。それでも凛とした姿勢は崩していない。

「関口や松本、木村のことは全部知ってる。坂井、お前が西田とやったこともな。本来ならみんなクビだ。やってはいけないことをやっちまったんだからな。でも俺にはそれができなかった。それというのもあの西田に振り回されてのことだろ。俺にお前らをクビにする資格なんて あるわきゃねえわな」
 
カルティエは西田を雇い入れた自分の責任だと言い張り僕らに罪はないといった。そして奴を止めることができなかった自分を詰った。金庫の金は西田が持ち逃げしたものでカルティエの奥さんの居所を突き止められたくなかったらお前がやったことにしておけと言われたのが事の顛末らしい。

カルティエは僕に何度も頭を下げた。哀れに見えた。そして僕は彼をずるいと思った。普段は何食わぬ顔をして、平気を装って僕らと接していたくせに、いくら自分の奥さんが大切だからってこういう時だけ自分の都合を持ち出すのはずるいと思う。

でも僕はカルティエを責める気にならなかった。過ちは過ちとして厳然たるもの。罪の大小もあるだろうが人間の心を罰する権利は誰にもないと思う。この会社が一体どんな構造になっているのかは知らないが、一連の不祥事に対して社長が店長を引き続き雇用し、彼にこの店を任せるのであれば、そのことに対して云々する余地は僕にはない。

ただ僕にはそんな現実の話より僕に頭を下げるカルティエが哀れでならなかった。女ひとりのために男はここまで卑屈になれるのか。僕には理解できない。自分の人生を棒に振ってまで庇う女性と一緒にいたいという気持ちも分からぬではないが実感が伴わない。

世の中の大人はみんなそうなのだろうか。人に言えない隠し事を持ちながら、辛い過去を持ちながら平静を装って生きている。まるで何事もなかったかのように笑顔を振舞って、周囲の人々と折り合いをつけながらそれなりの人生を送るのが普通なのだろうか。それが全く理解できないほど僕は子供ではない。

しかし隠されている物語が、みんなが背負っている過去があまりにも重たすぎて僕はそのことを思うと泣き出しそうになる。ローマに勤めている人たちは悲しすぎる。

僕は五人兄弟の次男である。厳密に言えば三人兄弟の長男なのだが、僕が中学一年生の時に母親が僕ら三人を置いて何処かへいなくなってしまってから次男になった。

僕には腹違いの兄と弟がいる。それは小さい頃から知っていた。幸か不幸かそれが当たり前だと思って生きてきた。僕に何の疑問も抱かせなかったのは父親の教育のおかげと言って良いのかは知らぬが、とにかくあっちの家にはもうひとりのお母さんと二人の兄弟がいるという事実を子供ながらに受け止めていた。

僕の過去なんてたかだかそんなものである。欲を言えばきりがない。青春時代に辛い思いもした。あっちの兄弟との差別も受けた。高校までは自分は悲劇の主人公だと思い込んでいたが、韓国に留学して友達の話を聞いてみたら、そんな話はそこらへんにたくさん転がっていて、僕なんかはまだましな方だった。

以来、僕は物事を肯定的に考えることにした。なぜならそのほうが楽だからである。事実今のお母さんに育てられなかったら僕という人間はこうして生きていなかったと思う。

礼儀も礼節も知らず生みの母親同様自分勝手で人の迷惑も顧みずデリカシーのない人間になっていたのだろう。僕は今の母親に感謝している。そして僕たち三人がある日突然やってきて、平和な家庭を壊してしまったことに対して心から申し訳ないと思う。

今まで懸命に隠し続けてきた悲しみがカルティエの話を聞いてとうとう堰を切ってしまった。僕に過去を思い出させたカルティエが憎かった。憎悪ではなく、ただ憎かった。ずるいと思った。

せっかくこの店をやめて新しい道を歩もうと心に決めたのに、あなたが僕の前であんなに頭を下げたら僕はこの店を出て行くことができないじゃないですか。店長、あなたはずるい。


つづく


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第5話 新世界 ①

辞令  

何もかも捨ててこの店とおさらばできることを考えたら、妙に気持ちが軽くなった。カルティエの前に立つと何も言えなかった僕であったが、もうそんなことを気にすることもない。今まで悩み、苦しんできた自分がバカらしい。多少の緊張はあったが退職の意を告げるべく揚々と部屋を出ようとした、その刹那。

「坂井さん、いますか。店長が呼んでるでがんす」

木村君の声がドアの外から聞こえる。店長と言われて条件反射で一瞬緊張が走るが、今日の僕には余裕がある。もうカルティエに媚びる必要もないしへつらう理由もない。

「坂井さん、なんか大事な話があるからすぐに降りてこいって言ってやすよ。一体何でしょうかねえ」

げんなりした。僕が辞めることを知らないからそれはそれで仕方がないが、その前に今は勤務時間外である。人の都合も個人の自由時間もないのか。自分勝手に物事を決めるカルティエの無神経さに呆れてものが言えない。しかしここで彼のペースに乗ってはいけない。

「ちょうど良かった。僕も話があって今降りようと思ってたんだ」

僕は余裕綽々の体で木村くんの顔を見た。

「え?そうなんですかい」

木村くんがやけに冷静な視線で僕の頭のてっぺんから足元までじっとりとした目で僕を見る。

「坂井さん、まさかやめようとしてる?あっしの勘は鋭いでげすよ」

「な、なんでそんなことがわかる。俺はまだ何も言ってないじゃないか」

「そんなことはですね、言われなくてもわかるんでげすよ。ほら、ちゃんと顔に書いてありやすから。今まで辞めていった奴らの特徴とでも言いましょうかね。みんな暗い顔してるでやんす。今日の坂井さんみたくね」

そんなに暗い顔をしているのかと思わず自分の頬を撫でて慌てて手を引っ込めた。木村くんは業務連絡で呼び出しがかかっていると言うが早いか、会話を一方的に打ち切り、怒涛のごとく階下へと駆け下りていった。なんとなく取り残された感の僕は仕方なしにのそのそと事務所へ向かった。
 
「失礼します」

ふてくされ気味に事務所に入る。カルティエが嫌いなわけではないのだが、何故か彼の前に出ると素直になれない。特に西田事件のあとはその症状が顕著になった。 

カルティエはおう、と生返事をしたまま事務仕事の手を休めない。人を呼んでおいてなんていう失礼なやつだ。今更ながらに腹が立つ。

「なんか用ですか」

思った以上に自分の発した語気が強かったため僕は逆に自分の言葉にビビった。

「なんだ坂井、今日は荒れているのか」

「いえ、べつに、なんでもないす」

部屋にいた時の強気な自分は既にどこかに行ってしまい、借りてきた猫のように何も言えなかった。どうしてこうもカルティエの前に出ると下手に出てしまうのだろうか。

「そうか、まあいいや。ちょっとこっち来て座ってみな」

カルティエの顔が心なしか柔和に見えた。こんな時は必ず裏がある。嫌な予感がしてきた。

「実はな、坂井。昨日社長とも話をしたんだけどよ。お前を来月、つまり明日から主任に格上げしようと思ってな。まあ、西田の件もあって、今ホールがざわついているだろ。まとまりがねえんだよな。ギスギスしてるしよ。このままじゃあ、あまり具合が良くねえからお前にそのまとめ役をお願いしようと思ってよ、この俺が社長に推薦してやったんだ。どうだ、坂井。引き受けてくれるよな。それから給料だけど、今までの十八万から 二十一万にあげてやっからよ」

一応僕の意向を聞いている素振りは見せてはいるが、これは既に決定事項であり、『お前わかってるだろうな』と脅しているのである。しかも恩着せがましく。僕は絶句した。なんで僕なのか。関口さんだっているし、僕より経験が長い人がその役を担うべきであって、これはあまりにも現実離れした納得のいかない処遇だと思う。

「まず主任の役目だけどな、ほかの奴より高い給料とるわけだからよ、当然のことながら同じような仕事っぷりじゃあうまかねえよな。だから明日からお前は誰よりも早くホールに出て仕事せんといかんぞ。それから今まで関口がやっていた釣銭を両替気に詰める作業もお前の仕事だ。金を扱うわけだから今まで以上に真剣に取り組めよ」
 
なんという理不尽な話であろうか。たかだか給料3万円上げて、何でもかんでもやらせてしまおうと
いう魂胆が見え見えなのである。だんだん腹が立ってきた。

「昼の休憩を回すのもお前の仕事だ。だからってお前が最初に飯食うんじゃあねえぞ。お前は一番最後に飯食え。一服休憩も一緒だ。とにかく全てにおいてお前は犠牲的精神を充分に発揮して、みんなの尊敬を集められるような立派な主任になるんだぞ。これを率先垂範という。わかるか?まあお前にはわかんねえか。がははははは」

品のない笑い声に僕のハラワタは更に煮えくり返る。カルティエ、そういうお前は率先垂範やっているのか。みんなの尊敬を集めて店長として仕事を全うしているのか。僕の心に渦巻く激しい感情がピークに達しようとしている。

「なんだ、ん?お前あんまり嬉しくなそうだな。いいか坂井。これはお前にとってチャンスなんだぞ。ぱちんこ屋で主任として認められるということは大変なことなんだ。主任の経験をしっかり積んで苦労を重ねて、それからやっと店長職にありつけるわけだからな。まあ、お前がいくら頑張ってもこの店に俺がいる限りは店長になることはねえがな。この俺様も店長になるまで足掛け8年経ってのことだからよ。お前なんかもっともっと苦労しなくちゃあな。がはははは。頑張れよ、坂井しゅに~ん。がはははは」

怒りの三段活用は既にその限界を超えてしまった。僕はこれまでこんなに人を憎んだことがなかった。出来ることならこの場でカルティエのよく回るその舌を引っこ抜いてやりたかった。

つづく

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