パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第7話 本当の恐怖 ④

わかってるぅん?

「事務所に来い」といキメ台詞をその道のエキスパートであるやくざ屋さんが頻繁に使用していることは、映画やテレビドラマなどで知ってはいた。しかし実際に自分の耳に入ってきたその脅し文句はなぜか臨場感に欠けていた。あまりにも唐突であったがために僕は事態の深刻さを把握できないでいた。
 
独善的な理論をこの目の前にいる二人に対して延々と展開し、まさに有頂天の更なる絶頂域にいた僕の牙城は砂上の楼閣のようにさーっと控えめな音と共に崩れ去ったのである。

「世話役がうちの事務所に来いと言っておられる」

若いあんちゃんの声であった。二度目に聞いたその声は更に不安の渦へと巻き込んだ。彼の顔からもそしてその声からも感情というものが一切感じ取ることが出来ない。普通ならば相手を威嚇するために脅し文句の一つも出るのだろうが、その口調は事務的でいてなおかつ丁寧ではあった。しかしあんちゃんの無機質な声は僕を脅すのに充分に過ぎた。
 
やっと実感がわいてくる。僕はとんでもない方たちにとんでもないことを言ってしまった。自分の顔から血の気が引き始めるのがわかった。膝がカタカタと笑いだし、瞬きはその役割を忘れ瞳孔が開く。頬はひくひくと痙攣をし始め、血の気が失せた唇は紫に変色した。

何かをしゃべろうとする唇から出る音はなく、ただ魚が餌をもらおうとするそのしぐさのようにパクパクと閉じたり開いたりを繰り返す。喉が極度に渇き気管支の穴とのどちんこのあたりがひゅっとひっついた。
 
知らぬ間に僕の目からは涙が流れていた。怖くて、怖くて震えが止まらず涙も鼻水も止まらない。

「どうした、若いの。急に怖気ついてさっきの勢いはどこへ行った」

「あい」

はい、と答えたつもりだった。

「可哀そうに。まあ水でも飲みないね」

世話役は自分の部屋にでもいるような振る舞いで、水差しからコップにじゃぶじゃぶと水を注いだ。僕は勧められるままに八分目まで水の入ったコップを手にする。これから何をやらされるのかを考えると、頭の中に暗黒の宇宙空間が広がる。僕は渡されたコップと世話役の顔を交互に見やる。

「何だ足りないのか」

言うなり彼はさらに水を注ぎ足す。注ぎ足された水は、コップの容量を超えても留まるところを知らず、やがて僕の手を伝わりテーブルへ、さらにそこから僕のズボンにまで及んだ。震えが激震に変わる。

「すいません、すいません。どうか勘弁して下さい。もうしませんから」

こんな時に恥があるわけでもなく外聞なんてさらさらない。今はただこの恐怖から解放されたいという一心で僕はコップを持ったまま世話役に懇願した。

「いいか兄ちゃん。やくざもんはいつでも自分の秤で物事の善し悪しを決めるのよ。世間様がいう常識ってえもんは俺らには通用しねえ。お天道様がクロだって言っても俺がシロと決めりゃあシロだっつうことよ。それがやくざもんの生き様だいね。そこんとこ、わかってるぅん?」
 
この地の方言で「しているのか?」「やっているのか?」という疑問形を「してるぅん?」「やってるぅん?」という具合に鼻から声を抜いて語尾をるぅんと 上げる。日常の会話であれば調子の外れたこの言葉につい笑ってしまうのだが、今日の世話役の「わかってるぅん」は逆に怖い。僕の恐怖心はそんなものが実際にあるどうかは知らないが、最高潮のそのさらなる上に達した。

「ひいいい!わわわ、わかってます、はい、もうほんとうに」

本当は何が何だかわかっていないのである。とにかく今は抵抗だけはすまいと観念した。
 
事の善し悪しはその全ての原因が己にあると誰かが言っていた。正しいことを主張した僕は間違っておらず、しかしその方法に誤りがあった。しかしこの世話役は僕の主張も方法も自分の秤において間違っていると言う。

僕は恐怖に慄きながらも自分のどこがいけなかったのか、何を間違ったのかを今一度必死に考える ことにした。そこに少しでも情状酌量の余地があれば助かる見込みがないわけでもないからだ。
 
きっとあるはずだ、このお爺さんにも情っていうものがあるのだろうからそこを糸口に出来ないものか、と考え始めた矢先のことだった。

「おい、若いの顔を上げろ。△□*?@・・・!」

世話役はいきなり僕に顔を近づけて何やらわけのわからない言葉を口にし始めた。

うなだれていた自分の頭を持ちあげ世話役の顔を見上げた瞬間、僕は驚きのあまり椅子ごと後ろにのけ反り、とうとう倒れこんでしまった。

つづく


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第7話 本当の恐怖 ③

事務所
 
勢いに任せてよぼ爺にどなり声をはりあげてはみたものの、実のところ僕はかなり後悔をしていた。気の短さは持って生まれた性分であるとしても、年寄り相手に高圧的な態度に出ることを僕は是としない。

年上の人には畏敬の念をもって接しなければならない、と厳格な父親からしつけをされてきたからだ。しかも腰が曲がっていつ死んでもおかしくない老人に対して先ほどの態度はたとえ僕に百分の理があったとしても褒められた事ではない。
 
とは言え、「事務所に来い!」と啖呵を切ってしまった以上、「やっぱり結構です」とは言いづらい。瞬間的に暴発してしまった気まずさはあるが、とりあえず事務所に入ったらまず謝ろうと思った。しかし、よぼ爺はそんな僕の気も知らず、事務所に入るなり

「へえ~、これがぱちんこ屋の事務所なあ~ん。すげえんじゃねえ~ん」

とまるで子供みたいにモニターカメラやぱちんこ台のデータを管理するコンピューターをペタペタと触りまくる。

「おじいさん、駄目だよ。ここにあるものを勝手に触っちゃ。まったくもお」

「そおなあ~ん」

「そおな~んじゃなくて、もういい加減にしてください」

僕はまたもや「そおなあ~ん」に切れそうになる。悪いことをしたこのよぼ爺は事務所に呼ばれたのにもかかわらず全く反省の色を見せてない。かえって僕のほうが浮足立っているではないか。そしてよぼ爺の隣に無言のまま立っているあんちゃんも泰然自若の体を崩さない。

僕は言いようのない気ずさをおぼえる。しかしそれでも言うべき事はきちんと伝えなければ、と精一杯の威厳を以てこのよぼ爺を諭すことにした。

「いいですか、お客さん。ぱちんこ屋にもね、ちゃんとしたルールっていうものがあるんですよ。わかりますか?今日、お客さんはうちのルールを守らなかった。だからこうして事務所に呼ばれているんです。なんで玉の横流しがいけないかっていうとね…」

僕は件のぱちんこやの仕組みを一から丁寧に、ゆっくりと、わかりやすく説明した。よぼ爺は僕の話を「へ~」とか「ほほお」とか「そおなあ~ん」と言いながら首をこっくりこっくり縦に振りながら熱心に聞いてくれた。
 
単細胞の僕はこれで一件落着できそうだ。このお爺さんもちゃんと説明すればわかってくれるんだ、ととたんに気分が良くなる。そしてきりのいいところで止めておけばいいものを

「わかりましたね。でも一応店のルールですから、最初に僕が言った通り当分の間はうちの店への出入りを禁止させてもらいますよ。いいですね、おじいちゃん」

とキメ台詞でくくった。紆余曲折はあったものの僕は主任としての職務を全うした。今日はいい日だ、なんて自画自賛の境地にひとり入り込む。そして内心ほくそ笑みながらそろそろと反応をうかがうと

「・・・」

よぼ爺は無言のままであった。心なしか表情が硬い。そして彼はおもむろに若いあんちゃんの顔をじっと見つめる。期待していた反応をみてとることができなかった僕は少し狼狽する。するとよぼ爺の要望が何であるかを悟ったあんちゃんが初めて口をきいた。

「本気で言ってるんですか」

ほっそりとした面体に似合わない太い声だった。そしてその声はなぜか僕を不安にさせた。

「本気ですかって、今まで説明したじゃないですか」

何とか体裁を取り繕おうと発した僕の声は少し震えていた。

「のう、あんちゃん。出入り禁止はちときつい処分だな。俺はもうここへは来れんのだろうか」

あんちゃんとは僕のことを指してるのだろうか。それともここに立っているこのあんちゃんのことを指しているのだろうか。とっさの判断が出来なかった。
 
それはよぼ爺の声に、話し方に変化が見られたからだ。今この爺さんがしゃべった言葉にこの地の方言は一切混じっていない。そしてこの抑揚のないイントネーションはよく耳にする。迫力は全然違うがそうだ、木村くんが良く使う言葉。という事はこの人はその筋の人なのか。背筋を嫌な汗が流れ始める。

「返事がないところをみるとそうなんだな。この爺さんは出入り禁止ってえことなんだな。そう决められたんだら仕方がねえ。そちらの言うとおりにしよう。ところで若いの。俺もあんたんとこの事務所に付き合ってやったんだからこれから若いの、あんたもうちの事務所に来なさい」

ドスの利いた低い声で発せられたその内容は僕が到底拒むことが出来ないものだった。

つづく


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第7話 本当の恐怖 ②

『そおなあ~ん』

なぜ、ぱちんこ屋さんではお客さん同士の玉のやり取りを禁止するのか。一般的な概念からすれば至極理不尽な話ではないだろうか。自分がお金を払った貸し玉(ぱちんこの玉のこと)をどう使おうと勝手ではないか。恐らくぱちんこをしない方はそう思われるだろう。

しかしそれがどんなに理不尽であってもぱちんこ屋さんには『当店のルール』という手前勝手な決めごとが厳然と存在する。だから当店でぱちんこを楽しみたければ『当店のルール』に従わなければならないのである。
 
通常、お客さんがぱちんこのプレイをする場合は、1個当たり四円の貸し玉料金をお店に支払う。そしてそれは百円単位での購入になるから、最低百円÷四円で25個の玉をお店から借りてからゲームを楽しむことが出来る。そして幸運にもラッキー台に座ったお客さんは自分が買った(借りた)分の玉よりも大量の玉を一時的に獲得できる。これは出るも出ないも運次第(この頃はテクニックも必要であった)。
 
大量に出た玉はカウンターに持っていくと景品と取り替えてくれる。しかしその際のぱちんこ玉と景品の交換率は一個当たりお客さんが支払った四円ではなく、二円五十銭という具合に変化する。という事はお客さんが百円分の景品と交換しようとするならば四十個の玉が必要となるのである。
 
ここがぱちんこ屋さんがつぶれず負けるお客さんが多い現象となるしくみなのである。平たく言えばお客さんが一個四円で玉を借りた時点で一円五十銭の負けが確定しているということだ。ぱちんこ屋さんはその分を利益として計上するのである。
 
こうして説明されるとずいぶんとひどい話ではないか、とご立腹の方も多数いらっしゃるだろうが、お客さんにとってデメリットばかりではないのである。仮に換金率が貸し玉料金と同じ四円であった場合(これを等価交換という)お店はお客さんに玉を出すことが非常に困難になってくる。換金率に利鞘を乗せるから 迫力ある出玉を演出できるのである。

僕はなぜ玉の横流しがいけないのかさっぱりわからなかった。しかし、しょっぱなからそういう客がいたらつまみ出せ、と念を入れて教わったのでその教えだけはきちんと守って仕事に励んでいた。お店は従業員に事の是非を教えることよりその行為を禁止させることを厳命する事のほうが重要だったらしい。
 
僕が丁寧に注意すると、よぼよぼ爺さんは

「そおなあ~ん、それは知らなかったわ。でもあんまり出ないもんだからこの若い衆が年寄りを不憫に思って玉をくれたんだからあんまり怒らんでくれよ」
とニタッと笑いながら切り返してきた。

肩すかしをくらった感じの僕は一瞬ムッとした。この言葉がこの地の方言であるという事は知っている。標準語で言えば「そうなの?そうだったの?」という意味でここら辺に住んでいる人たちはみんな普通に使用している言葉である。

しかしこの間延びのした「そおなあ~ん」という人を小馬鹿にしたようなイントネーションがどうしても僕は許せなかった。決して悪気がないのは知っていても「そおなあ~ん」だけは腹が立つのである。

「でもね、おじいちゃん。これは絶対にやっちゃ駄目なの。わかる? 次やってるところを見つけたら出入り禁止だからね」

ついつい「そおなあ~ん」に腹が立ち、感情にまかせてものを言ってしまった。その瞬間、隣にいた若いあんちゃんがこちらをちらっと見た。しかし彼は僕を見ただけで何かを言うでもなかった。

「ははん、こいつは俺にビビってるな」

そう思うと優越感と勇気が一緒になって出て来た。そこでとどめの一発を「いいですね!」ときめた。よぼ爺は「はい、はい」と笑いながらうなずいて見せた。 僕はそれもなんか馬鹿にされてるみたいで気に入らなかったがこれ以上はさすがに言ってはまずいと思い、ちっ!と舌打ちをうちその場から立ち去った。
 
そろそろ従業員の食事休憩の時間であることを見て取った僕は、スタッフを順番に二階の食堂へ上げ、最後に自分が食事を取ろうと段取りをし始めた。その時である。またもや先ほどのコンビが性懲りも無く玉を横流ししているではないか。しかも悪びれたり、周囲の様子を窺うような素振りなど微塵もなく堂々とである。

「こらーーー! やるなって言っただろうが! 二人とも事務所来い!」

完全に怒りを抑える糸がぷつんと音を立てて切れた。この時の僕に通常の理性などあるはずもなく、ましてや周りの環境を確認するという余裕も無かった。僕は肩で風を切るようにして二人を事務所へ連れて行った。

つづく


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第7話 本当の恐怖 ①

意気揚々

主任になってからほとんど良いことがなかった。子ガメから殴られたせいで顔がジャガイモのように膨れ上がり、おまけに片方の耳の鼓膜が破れた。そしてそんな僕を病院まで送り届けてくれた木村くんは道交法違反で警察に捕まりボコボコにされて帰ってくる。そして木村くんもジャガイモになった。
 
主任としての自覚をもって少しでも店の役に立とうと仕事に熱を入れ始めた矢先のことだったから僕は見事に出鼻をくじかれる形になった。人生試練の連続である、なんて誰が言ったのか知らないが僕がこの店に入ってから試練の無い日は本当になかった。一度は本気で辞めようともしたのだが、なぜか流れに逆らう事が出来ずに今日も朝からせっせとホール周りをしている。
 
若い奴は経験がないからせめて体を使って仕事を覚えろ。身体だけが若人の財産だ。年取ったら今みたいに動けなくなるから今のうちに体を使っておけ。だからお前は馬車馬のごとく、ボロ雑巾のごとく地べたに這いつくばって毎日を経験しろ。とカルティエは軽々しく僕にお説教をする。

そんなものは自分が楽する為のへ理屈であって、いかに僕をこき使うかという非常に解りやすい意図が見え見えなのだ。それでも僕は相変わらずカルティエに反論できない。理不尽なことを言っているように感じられるのだが、後々カルティエのその言葉をかみ砕いて考えてみると案外的を外していないと思えるのである。

カルティエが好きか嫌いか、と言えば僕は即効嫌いだと言い切れる自信がある。しかしそれだけならばこの店をいとも簡単にやめることが出来るのだが、なぜか彼には言いようのない魅力がある。そして僕はその得体の知れないカルティエの魅力に絆されて、今日もまた変わり映えのしない日々を送っているのである。
 
件の不幸な事件が起こってから十日ほども過ぎた頃、僕は今日もホールに出て開店準備に追われていた。今日は店長のカルティエが組合会議で夕方まで帰ってこない。加えて経験豊かな木村くんと関口さんは昼過ぎからの出勤予定になっている。幹部社員がいないパートでホールを取り仕切るのは僕一人という形になった。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日もぱちんこローマへごひいきご来店いただきまして誠にありがとうございます」

といつの間にか詰まることのなくなったマイクパフォーマンスで朝一のお客さんを呼び込む。マイクで売り上げは一割変わるのだ、というのがカルティエの持論。仕事はできなくてもマイクパフォーマンスだけは徹底的に練習させられた。僕はそれが案外嫌いでなかった。
 
マイクを通して五分、十分とお客さんに語りかける。時間がたつにつれて僕のテンションもハイになる。誰もいないこんな時こそ僕は主任として頑張らなければいけない。そう思うと手に持つマイクにもさらに熱がこもってくる。

そして三十分ほどに及んだマイクパフォーマンスが終了すると店内を流れる音楽が、軍艦マーチから演歌の有線放送にと切り替わる。ここら辺の一連の動作は何の打合せも無くカウンターレディーの連獅子こと松本さんがササっと慣れた手つきでアンプのスイッチを切り替える。
 
僕は習慣通りに店内の環境整備に取り掛かる。島の中に入るときコーナーランプが点滅していないかを瞬時に確認した後、一列目の島に入り雑巾で空き台をササっと拭いて回る。コースの中間まで来たら後ろを振り向き、ナンバーランプをつけて従業員を呼んでいるお客さんがいないかを再度確認する。

よし、大丈夫。 雑巾がけと同時にお客さんが一度座って立ち去った形跡のある台は椅子の位置が乱れている。そんな椅子は僕の手にかかれば一瞬のうちに整然と元の位置に直される。
 
空いていている紙コップや空き缶の回収も忘れてはならない。お客さんがいつでも気持ちよく遊べるようにするためには下手くそなおべんちゃらや愛想を振りまく前に徹底的に機械台の周りをきれいにしろ、と教わった。僕はそれに応えるべく一連の動作の流れを止めることなく、川の水が流れるように、軽やかに、リズミカルに、そして仕事そのものを楽しむようにホールを一周して回る。
 
それが終わったら今度は先端に強力な磁石がついた棒を取り出す。開店して一時間もたっていないのに、床を見渡すとここかしこにぱちんこの玉が落ちている。僕はそれを目ざとく見つけてはその磁石の付いた棒で玉を拾い上げる。まったく仕事の流れに淀みがない。

僕の仕事は何てスマートなんだろう。ホールをミツバチのように飛び回る僕の姿はさぞかし輝いているのだろう。こんなに一生懸命に働く奴は僕をおいてほかにいないのではないだろうか。自画自賛の妄想はとどまるところを知らない。先日の自己嫌悪はいったいどこへ行ったのか。今日の僕は自己満足の塊である。
 
そんな矢先のこと。何度も何度も、飽きることなくホールを巡回しているとある光景に出くわした。平和のブラボーコーナーにあまり見掛けたことのない、よぼよぼの爺さんとその隣に恐らくその爺さんの連れ合いなのだろう、およそ釣り合いのとれない一見チンピラ風の若いあんちゃんがいた。

それ自体は大したことではないのだが、僕がふとその二人に目をやるとあんちゃんがよぼよぼの爺さんに自分が持っている玉をザザーっと横流しした。僕はすぐさま二人のいる席に向かい注意を促す。

「お客さん、玉の横流しは禁止ですよ」

ルールを重んじ悪を許すことのできない性格の持ち主である僕は怒りの感情を押し殺し、とりあえず失礼のないように振舞う。しかし、しかしである。どうして神様はこんな僕にひどい仕打ちをされるのか。悪をさばき正義を貫く迷える子羊をどうして神様は史上最大の恐怖でさらなる試練を与えるのか。そんなことを僕はまだ知る由もない。

つづく

第6話 木村くん ⑤

わかめ

カルティエと木村くんがそんな状況になっているとは全く知らない僕は、天玉うどんとお稲荷さんを交互に口の中に入れ、サムちゃんと子ガメの関係について思いを巡らせていた。

「子ガメってさ、サムちゃんより年上でしょ。だのに何であんな低姿勢なの」

思い切って聞いてみた。どう考えてもあの傍若無人の子ガメの取る行動が不可解でならないのである。

「ああ、俺さ小学校の時から空手やっててさ、子ガメは年上なんだけど入門してきたのがずうっとあとでさ、だから後輩に当たるわけよ」

サムちゃんは洗い物をしながら事も無げに答えてくれる。

「それにあいつあんまり強くないしね。普段やってることはハッタリだよ、ほとんどがね。あいつは弱い奴にはめっぽう強いけど強い奴にはからっきしさ。いるだろ、そういう奴って。練習試合で俺に負けるまではなんか年上風ふかしていきがってたけどさ、試合で俺に負けたら何か急にへいこらし始めてさ、結構鬱陶しかったよね、若いころはさ」
 
淡々と話しているせいか彼の話に嫌みなところがない。僕はそうだったのかと改めて感心した。やくざまがいの乱暴な性格の持ち主である子ガメでもサムちゃんの威厳には歯が立たないのだろう。何か子ガメがそんなに怖くなくなったような気がして僕は少し清々とした。
 
しかし僕はサムちゃんの本当の凄さをまだ知らない。そしてそれはのちほど起こる絶体絶命の危機に瀕したとき、彼本来の姿を目の当たりにする。喧嘩無頼、強力夢想の在日朝鮮人二世、金三守(キムサムス)。人呼んでうどん屋のサムちゃん。これは自分でつけたあだ名だそうだ。笑えるけど格好いい。
 
サムちゃんにありがとうとお礼を言い満腹感に心地よさを覚え、店を出てからはてどうしたものかと思案する。すると駐車場の遠くから一台の車が僕に向かってライトをチカチカさせてやってきた。カルティエの車であることは一目瞭然だった。

助手席には大柄の人間が乗っているシルエットがぱちんこローマのネオンに映し出される。僕は空腹を満たしたことで木村くんのことなどすっかり忘れていて、先ほどまでの心配事は自分の頭の中に存在すらしていなかった。
 
その軽薄な思考回路によって下された結論は、こうしてカルティエに迎えに来てもらい、二人仲よく車に乗って帰って来たのだから大したことはなかったのだろう、良かった良かったという事になる。

しかしそれは自分に対する都合の良い言い訳で、僕は自己嫌悪をおぼえた。調子良すぎるよな、と。

「おお、主任。なんだお前心配して俺たちを待っていてくれたのか」

「いえ、ああ、はい、まあそのう、そうですね」

意外なほどのカルティエの笑顔を目の当たりにして僕は、僕の僕に対する嫌悪感がさらに深まる。

「おい、木村。主任が心配して待ってるぞ。だからよ、お前そんなしょげ返ってないで元気出せよ。な、やっぱりなんだかんだ言っても持つべきものは同じ釜の飯を食ってる同僚だよな。俺は嬉しいぜ。な、木村お前も嬉しいだろ。がははは」

ほとんど音も立てずにそろおっと車から降りて来た木村くんのその姿は本当に痛々しかった。

僕はかける言葉を失った。木村くんのそれは単なる打ち身や打撲の痕ではなく、明らかに誰かに暴行されたものであることが一目見てわかった。

「坂井主任、ご心配かけてすいやせん。アッシはもう大丈夫でげすから、ご安心下せえ」

僕は言葉を紡ぐことが出来なかった。ただ木村くんの顔をじっと見つめていた。顔はジャガイモのようにボコボコに腫れ上がり、右目は試合を終えた後のボクサーみたく完全にふさがっている。やや離れた場所にあるお店の水銀灯が照らす彼の姿は可哀想というより恐ろしかった。

「うん、木村くん本当に大丈夫?」

やっとの思いでそれだけを言った。こんな状況でそれしか言えない自分がやっぱり情けなくて、彼に対してすまないという気持ちでいっぱいになった。僕はうどんを食べたことを今更のように後悔した。

「ところで坂井、お前口に何くっつけて歩いてんだ?」

言われてみて唇をぬぐってみた。顔色が変わるのが自分でもわかった。わかめだ。うどんの汁を最後まで飲み干そうとしたときに、どんぶりの内側にへばりついていたわかめを食べるいやしい僕の光景が再現フィルムのようにゆっくりと脳裏をよぎる。

「あん? それわかめ、じゃねえのか」

僕は顔から火が出るほど恥ずかしかった。そこに穴があったら入りたいとはまさにこのこと。
咄嗟に返す言葉を持たない僕にカルティエは

「なあ、木村。さっきのは取り消しだ。お前がこんな目にあってるっちゅうのにこのバカ主任は呑気にうどん食ってたんだとよ。世の中世知辛くなったもんだねえ」

と吐き捨てるようにして言った。彼はぷいっと背中をみせると「あ~あ」と聞えよがしにため息をつきながら店に入って行った。
 
木村くんのボコボコになった顔が恐らく笑ったのだろう。だけどその顔がとても寂しげに見えたのは気のせいだったのだろうか。僕は彼に対して「ごめん」というのがやっとだった。

「気にしねえでいいんでげすよ、坂井主任。あっしは何とも思ってねえですから」
 
中学時代煙草を吸っていて警察に補導されたことがある。家に通報され親の顔が浮かんだとき、本当に後悔した。何て事をしてしまったのだと罪の意識からおしっこが漏れそうになった。なんで僕は煙草なんか吸ったんだ、と煙草を吸ったことがとても悔やまれた。
 
今日の僕はそれに似た感情だった。あそこで天玉うどんさえ食べていなければ良かったのに。しかも僕はお稲荷さんを二つも食べた。いや最後のわかめなんか食べなければよかったのだ。わかめさえ食べなければ、と自分の卑しさを呪った。ごめんね、木村くん。

つづく


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