パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第8話 悲しい話 ③

本音

カルティエの奥さんはいつも控えめでそしていつもニコニコ笑っている印象しかない。スタッフに対しても腰が低いし、言葉遣いも丁寧だ。そんな楚々としたあの奥さんはチビデブパンチのどこを気に入って一緒になったのか全く不思議である。

カルティエが奥さんを大切にする理由は当然のこととして、奥さんがカルティエと一緒に暮らせる理由は甚だ理解が不能な事態なのである。
 
僕は今まで奥さんとあまり言葉を交わしたことがない。いや僕だけではなくスタッフのみんなも恐らくそうであろう。彼女は絶えずつつましく目立たず時にはその存在すら忘れてしまうほどの佇まいであった。

僕は考えてみる。カルティエが新店に行ってあれほど溺愛している奥さんと別れるようなことになれば、本人が言っていたように自分の人生も簡単に幕を閉じるのではないか、と。カルティエの不幸はやはり僕の望むところではない。

「店長、やっぱり新店なんか行かないほうがいいですよ。いや、行かないでください。僕も店長からまだまだ教えてもらっていないことがたくさんあるし、だいいち店長がいなくなったら寂しくなるじゃないですか。僕、店長も奥さんも好きだから。一緒にここで仕事したいです」

咄嗟に出て来た僕の言葉、それは本心だった。
 
普段はカルティエの悪口を言って悪態ばかりついていても本当は、僕はこの人が好きなのだ。見てくれは決して良くないけれどカルティエには温もりがある。豪快で粗野に見えても実は繊細で絶えず周囲を気に掛けている。

スタッフのみんなもカルティエを酒の肴よろしく面白おかしく揶揄するけれど、それは決して悪口などではなく言ってみれば愛情の裏返しなのである。僕は自分の思いを吐露すると何故か感極まってしまった。

「ねえ店長行かないですよね。行かないでくださいよ」

鼻の奥がつうんとして目頭が熱くなる。思いがけずの涙声だった。

「俺 この店に入ってまだいくらもたっていないっすけど、仕事もろくにできないっすけど、ここで店長から教わったこと、たくさんあります。仕事がきつくて何回も辞めようと思いました。ホールでお客さんと接するのが嫌で、嫌でたまらなかった時もありました。普段は怒ってばかりいるけれど僕が本当にダメになりそうな時、店長は必ず助けてくれました。それにみんないい人たちばかりだし、単純にここが好きなんすよ。俺は他に行くところも無いし、店長と離れるの嫌です。だからここにいてくださいよ。ね、店長」

涙はとめども無く流れた。止めようとも思わなかった。自分で口にしてからカルティエのことが本当に好きなんだと実感した。

「坂井、おまえ馬鹿じゃねえのか。さっき行かねえって言っただろ。行かねえよ」

カルティエはもう泣くなと僕の両の肩をそのごつい手で優しく包んでくれた。

「半端なのはお前だけじゃねえよ。俺だって普段は威張り腐っているけど将来のこと考えたら不安で不安でしょうがなくなる時がある。どんなに店の為に働いたっていいとこ店長どまり。これから六〇の定年までずっとここで働くなんて想像もできねえし、かといって今すぐどっかに行く宛てなんかあるわけもねえ。そんなこと考えたらおめえ、俺だって夜も眠れなくなる。若い頃お袋の言う事聞いてもっと勉強しときゃあ良かったぜ。そうすりゃあもうちっとましな人生だったかもしれねえしな。だけどそれも今となっちゃ後の祭りってわけよ。今更後悔したって糞の役にも立たねえしな。けどよ、坂井。俺はここで働いて救われたなって思うんだ。それはな、俺も含めて半端者で仕事もからっきしダメで根性無しの集まりだけどよ、お前らいい奴ばっかりだもんな。俺はそんなお前らと仕事できることを本当に嬉しく思ってるぜ」

カルティエの目も潤んでいた。
 
泣きながらふと心にこだまする言葉がある。

「いらっしゃいませいらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日も当ホールぱちんこローマへご贔屓ご来店いただきまして誠にありがとうございます、ありがとうございます。ぱちんこ必勝法は一に頑張り、二に粘り、三四がなくて五に根性。くるくる回るかざぐるま。色鮮やかな盤面にゃあ、踊る踊る銀の玉。本日もお客様のご来店を心よりお待ち申し上げておりました。ぱちんこはこの世の憂さの捨て所。はい、お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、はいそれから隣のお兄ちゃんお姉ちゃん、よってらっしゃい見てらっしゃい。日ごろのストレス解消にほんの少しの息抜きにとはい、よってらっしゃい見てらっしゃい。本日もいたる所にご幸運が、いたるところにラッキー台がお客様に甘い甘い吐息を投げかけてのお迎えでございますれば、はいどうぞ奥へ中へ、中へ奥へとぐっとお進みお入りくださいませ。さあ、いらっしゃいませいらっしゃいませ、いらっしゃいませ」

カルティエから教わった呼び込みマイクの一節が今日はやけに物悲しい。

つづく


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第8話 悲しい話 ②

新たな一面

「店長、本当ですか。でもそれってため息つくような悪い話じゃないでしょ。それに社長が誰にも言うなっていったのに僕にそんな大事な話し、しちゃ駄目じゃないですか」

カルティエの話の内容がそんなに驚くほどの内容ではなかったので少しがっかりした。

「社長の誰にも言うなっていうのはいつものことだ。別にたいしたことじゃなくても誰にも言うな、誰にも言うなってな。あれは人を同じ穴の狢にして囲い込もうとしてやがる。ま、そんなことはどうでもいいだけれどよ。新店舗の問題は俺にとっちゃため息が出てすむくらいならまだましで、下手したら死活問題にもなりかねねえんだよな、これが」

僕に言っているのか独り言を言っているのかどっちとも取れるような言い回しだった。やっぱり今日のカルティエはどこかおかしい。しかし話の内容を聞く限りそんな大それた問題ではないようにとれる。ところがカルティエの目はうつろで顔には全く覇気が感じられない。

「実はな、坂井よ。今度の新店の場所がな、昔俺が勤めていた店のすぐ近くなんだよ。社長から俺にそこに行けって言われてな、それで困ってるわけよ。俺だって人間だ。人生いろいろあるわけよ。人にもいえない過去っちゅうもんがな」

「それでなんですね。そりゃあまずいっすよね」

「そうよそれがまずいわけよ。ん?お前今何言った?何がまずいんだ、え?」

「何がって、店長がその店行っちゃったらやばいじゃないですか。だって奥さんのもとの旦那がいる店の近くなんでしょ」
と言ってからしまったとすぐに後悔した。

カルティエが前の店の部長の奥さんと駆け落ちしてきた事は西田事件の際に関口さんから極秘の情報として得ていたわけで、僕はそれをこともあろうか本人を目の前にして暴露してしまったのだ。

「お、お前その話しどこから聞いたんだ、え?」

カルティエの大きな顔が瞬時にして赤らみ、そして土気色に変色した。

「いえ、あのう、そのう、ですよね」

殆ど答えになっていなかった。僕はカルティエの怒りの前に俯くことしかできず、これから自分に降りかかってくるであろう、火の子の対処法はないかという極めて理性的な思考と、今すぐこの場から逃げ出したいという防衛本能のはざまに立っていた。

「関口だな。そうだろ。お前関口からそのことを聞いたんだろ。他に誰が知ってるんだ」

まさかスタッフ全員が知っているなんてことは口が裂けても言えるはずがない。僕は知りませんとしらを切ると同時に覚悟を決めた。

「ま、こっぱずかしいけど今更かっこつけてみても始まらんわな。その通りだ。新店で力を発揮して社長に俺の存在を認めさせるっていう願望もあるけれど、こればっかりはなあ。行けば必ずばれちゃうだろうし、だいいちかみさんがそこに行くわけがねえ。そうだそうだ、行けるわけがねえ。どうしてもって社長が言うんなら 俺の事情を全部話してあきらめてもらうしかねえか」

やっぱりいつものカルティエじゃない。僕はてっきり彼の私的感情によって当分の間究極のいじめにあうものと覚悟していたのにいささか拍子抜けした。そして安堵もしたのだが何だかカルティエが哀れに思えた。
 
鬼の店長も自分の奥さんにはすこぶる優しい。普段から絶えず奥さんを気遣い、彼女を見やるその視線は暖かい。この人は本当に奥さんを愛している。それがすぐにわかるほどにその態度は切実だ。

以前にカルティエが食堂で僕と木村くんを座らせてお説教をすることがあった。

「いいかお前らよく聞けよ。男ってもんはだな、本当に馬鹿な生き物だ。その馬鹿な男が生きて行く為にはどうしたって女の助けが必要なんだよ。え、わかるかお前ら。俺なんかかみさんがいなかったらとうの昔に宿なしのプー太郎になってたわい。いい女に巡り逢えばいい仕事にも巡り合える。うん、間違いないな、これは」

自画自賛のカルティは酔うほどに饒舌になっていく。

「俺はかみさんと結婚できたからこそこうやって店長になれたわけよ。つまりだ、かみさんと男の仕事は一対の鏡だ、っていうことなんだな、これが。わかるか、えっ?お前らにはわかんねえだろうな。お前らがそうやって独身でいるうちは大そうな仕事なんか出来るはずもねえ。結婚してかみさんを大事にしてから男の人生はスタートを切れるってえもんだ。それまではまだ半人前だっちゅうことよ。だからお前ら早くいい女めっけて結婚しろってんだ、え?このくすぶり野郎どもが」

酔っ払ってべらんめえ調ではあったが目だけは真剣だった。僕はこの時意外にもカルティエの言葉に聞き入っていた。結婚なんか考えたことも無かった僕であるが、何故か納得させられてしまう部分がある。そしてその姿を正直かっこいいとも思った。自分の奥さんをこれほど愛しているんだと人前で言うなんてことは僕には到底出来っこない。

つづく


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第8話 悲しい話 ①

きっかけ
 
季節がうっとうしい梅雨を過ぎたら瞬く間に、暑い暑い夏がやってきた。小学校の頃はあんなに夏が好きだったのに、社会に出て仕事をするようになると途端にこの暑さがたまらなく嫌になる。
 
ぱちんこ屋で仕事をすると殆どプライベートの時間が取れない。学生の頃あれほど友達とあれこれ思案しながら遊んでいたのに今はそれが億劫である。もっとも連絡を取ったところで会う事も無いのだろうが。遊ぶという事はそこそこの暮らしをしていて、お互いの環境が似通っているから一緒に遊べるのではないだろうか。生活環境が違えばいくら親しい間柄でもその距離はおのずと遠のいていく。
 
この店に入店してからもう少しで半年を迎える。入って三か月はこの業界の右も左もわからないまましゃかりきになって働いて来た。ちょうどこの頃僕はこの店を辞めようとしていた。しかし人生は自分の思い通りにはいかぬもの。カルティエに機先を制せられ、いきなり主任職の辞令を受けた。

自分の意思を通すことが出来ず、流れに逆らう事が出来なかった。この店にとどまったことが良かったのか悪かったのかなんて未だにわからない。一寸先も見えず、そして今日に満足するわけでもなく、ただひたすらホールを駆けずり回る。案外生きるなんてそんなものなのか、と最近は人生の快楽をあきらめていた。
 
主任の仕事にも少しは慣れて来て、やくざの世話役からの忠告を真摯に受け止めた僕は、それまでの傲慢さがなりをひそめ日々の本分を全うすべく仕事に勤しんでいる。今日もデスクワークをせっせせっせとこなしていると、カルティエが憂鬱な表情で事務所に入ってきた。

「おはようございます」

と元気にあいさつをしたのだが「ああ」と生返事をするだけで、心ここにあらずの体であった。僕たちが繰り広げたドタバタ劇は一応の幕を閉じたし、最近ホールの客入りもまずまずだし、これと言った事件も当然ないわけであるから、カルティエのこの様子には合点がいかない僕であった。
 
思い切ってどうしたのか、と聞いてみようともしたがその考えはすぐに頭を引っ込める。安っぽい同情や好奇心から首を突っ込んで、カルティエのご機嫌を更に悪化させる事態を未然に防ごうと思ったからだ。『君子危うきに近寄らず』を決め込んだ僕はコクヨの統計帳への書き込みを続けることにした。
 
統計帳の書き込みはとても重要な仕事である、とカルティエから教わった。しかし僕はどれほど大切なのかを未だに知らないでいる。作業はいたって単純なもので、ぱちんこ台一台一台のその日の差玉を記入するだけなのだが二百五十台もあるデータを埋めて行く作業は慣れるまで結構骨が折れた。
 
この仕事を僕に指示する際、カルティエが差玉について教えてくれた。

「いいか坂井よく聞けよ。お客さんが打ち込んだ玉を入り玉と言うんだ。そして機械から出て来た玉を出玉と呼ぶ。差玉とは入り玉と出玉の差のことを言う。わかるか?」

こういう仕事上のノウハウを教えるときのカルティエはふだんの傍若無人さはなりを潜め、いたって真面目でしかも丁寧なのである。

「それでな、その日その台の出玉が入り玉を超えれば差玉はマイナスであり、逆に出玉が入り玉を下回ればプラスの差玉となるわけだ。マイナス差玉の台はわかりやすく言えばお客さんに還元した台であり、プラス差玉の台は店側にとって黒字を計上するという事だ」

あまり算数が得意でない僕はふんふんと生返事をしてわかったふりをしてその場を適当にやり過ごす。

「この(入り玉)-(出玉)=(差玉)のいたって単純な公式からはじき出される数字は釘調整の開け閉めや客の上手い下手、更には温度や湿気などの外的要因 にも左右される。いくらこの俺がこの台を開けて客に還元してやろうと思ってもいろいろな要因が重なり意図通りに出ないこともある」

そんな話は初めて聞いた。打ち手の上手い下手があるのも全く不思議な世界だ。

「ぱちんこ商売のコツはな、客を殺しちゃあいけねえんだ。かといってあんまり玉を出していい気にさせるともっともっとと言ってわがままを言うようになる。 まあ、活かさず殺さずのいい塩梅がどの程度なのかを見極めるのが大事なわけよ。そしてそれをきっちり見極めることが出来たら一人前の釘師だって言う事だな。俺なんかはその代表的な存在だっちゅうことだ、ガハハハ」

この後も開放台(マイナス差玉の台)が何割で回収台(プラス差玉の台)を何割にして残りをどちらにも転ぶことのある遊び台をつくるわけだ、と自慢話は延々二時間も続いたのを記憶している。
 
僕は赤黒二本をセロファンテープでしっかり巻いてこさえたゼブラのボールペンを取り直し、マイナス差玉の台は赤のボールペンで、プラス差玉の台は黒のボールペンを使用して書き込みを続けた。

がしかしどうもカルティエの様子が気になる。さっきから瞬きもせずに天井の一点を見つめたままでピクリともしない。

「店長どうかしたんですか?なんだかいつもの元気がないみたいで」

思い切って尋ねてみた。

「おっ、そうか。そんなことないけどなあ、いやそんなことあるか」

大儀そうにふんぞり返っていた姿勢を元に戻すとふうっとため息をついた。 

「実はな、まだちょっと先の話なんだけどな、うちが二店舗目を出すらしいんだ。この間社長と食事した時あっただろ、その時に『誰にも言うな』って言われて聞いた話が新店舗の話よ」
 
何気なく、そして普通のありふれた会話がこの後とても悲しい結末を呼ぶことになろうとは思いもよらなかった。ましてやこの会話が物語の終わりを告げる始まりだったとはなおさらである。

つづく


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第7話 本当の恐怖 ⑥

教訓
 
静寂は世話役の咳払いで突然破られた。更に品の無いズズズーというコーヒーを飲む音。

「あれほどに強く当時国民的なヒーローであった力道山は、な。飲み屋で酒を飲んだ後で立ち小便をしているときに後ろからチンピラに刺されたんじゃ。いかに強くても所詮は生身の人間。しかも後ろから不意を突かれて刃物で襲われたんじゃあ世界最強のプロレスラーでも勝ち目はないわのう」

僕はこの爺さんが一体何を伝えたいのか全く分からない。しかし刺されたとか死んだとかの言葉で緊張は増すばかりである。

「時に刺された理由じゃ。チンピラだとなめとったんじゃろう、酔っぱらった力道山はそいつを口汚く罵ったらしい。しかも堅気の衆の面前での。それでのその若いチンピラは力道山が表に出て小便するのを見計らってブスリ、というわけらしい。若いの、いいか。いくら筋の通った話でもの、その伝え方一つ間違えただけで結果的に自分に被害が及ぶ時がある。世の中には正義を貫き通したために死んだ人間は沢山おるのよ。わしから言わせればつまらん正義じゃ。大切なのは物事の程度じゃよ。そこそこがいいっちゅうことじゃ。それから今日のことじゃがの、もし玉のやり取りをやっておったのがわしのような老いぼれじゃなくて、強面の輩でも同じような口調で正義をうたったかの?」

僕はその問いに答えることが出来なかった。

「まあ、言えんわの。わしはそこが気に入らんかった。だから今日はうちのと言ってもわしはもう引退したから、昔の事務所に来ておまえさんに説教をしてやろうと思ったわけじゃよ。別に煮たり焼いたりするわけじゃあねえから安心しないね。いいかね、これからは自分の意見を通す時はたとえどんな相手であっても、 誰に対してでも理解してもらえるような話し方を身につけることが大切じゃよ。今日は年寄りの時間つぶしにつきあわさせて悪かったのう」
 
八幡組の世話役は良い人だった。怖い思いはしたけれどかえってよかったと思う。社会人とはいえぱちんこ屋さん一件分の世界しか知らない僕にとって、今回の事件はまさに生きた教科書だった。恐怖から始まった僕の心は大きな様変わりを経て、今や感動のるつぼと化した。

「ありがとうございます。そして本当にすみませんでした。これからは気をつけますので、はい。今回は大目に見てくださってありがとうございます」

何度も何度も頭を下げ、心から謝した。世話役の懐の深さを知り、人としての偉大さに気付いた僕は今涙している。涙があとからあとからこぼれて止まらなかった。そんなときである。

「おじさんいるん?」
と言ってずかずかとは言ってきたのは誰であろうか、うどん屋のサムちゃんであった。

驚いた。何故に彼がここに来たのか僕には見当もつかない。ただおじさんと呼ぶ以上は相当に近しい間柄であることは容易に想像できるのだが。

「やっぱりな。おじさん、また暇つぶしに若いもんいじめてたんだろう?」

「いやいや、そうでもないぞ。今日はいい奴と知り合いになれた」

「まったくもう、どうしようもねえじゃねぇん。坂井主任、大丈夫なあん?」

僕はおどおどするばかりで強張った愛想笑いをするだけだった。

「おじさんは俺の親父の一番上の兄貴でさ、決して悪い人じゃないから安心しなよ。ときどき若いもん見つけちゃ説教するのが趣味でさ、あんまり気にしないほうがいいよ。どうせ力道山の話でもしてたんだろ?」

僕がきょとんとしていると世話役は知らんふりを決め込んであさっての方角を向いていた。
 
帰りの道すがらサムちゃんは僕の緊張をほぐしてくれるかのように優しく語りかけてくれた。安心したせいか僕の心は急速に軽くなり、普段のお調子者が顔を出し始める。

「ていうことはサムちゃんもやくざ?」

一瞬沈黙はあったものの彼はそれをあっさり否定した。

「ごめん、変なこと言って」

「別にいいよ。慣れてるから。俺小さいころから体が弱くて結構いじめられてたんだ。しかも親戚にやくざがいるっていう事でみんなから変な目でみられて仲間外れにされることも多かった。暗い幼少期っていう奴? だからガキの頃はずっとふさぎ込んでた。そんな俺を見てたおじさんがそれじゃ不憫だっていうんでおじさんとこの若い衆から空手を習えって無理やり連れて行かれたんよ。空手も空手だけれど毎日の練習が終わった後のおじさんの説教が俺にとっては楽しみでもあったんだ。ああ見えて結構の心配性でさ。俺のこといちいち気にかけてくれて人生っていうのはな、とか男っていうのはな、なんて話を必ずしてくれたんだ。それらの話が俺にとって結構ためになったんだよ。だから俺、おじさんには感謝してるんだ」

僕はそんなサムちゃんの気持ちが良くわかるような気がした。

「そうなんだ。なんか俺びっくりの連続でさ、何が何だかわからないけれど今日はかえっていい日だったなって思えるな」

「そう、じゃあよかった。仕事に入る前にうどんでも食っていく?」

言われて現実に引き戻された。僕は挨拶もそこそこにホールへと駆け込む。
 
そこにはやくざよりも怖い金縁の眼鏡をかけた、鬼の形相よろしく仁王立ちのカルティエが僕の帰りを今か今かと手ぐすね引いて待っていた。

「こるああああああ~坂井ぃ~! おまえいい根性してるなあ。俺がいないと思ってもうさぼりか? ああん? このくそガキがああああ!」

やっぱり僕にとって最強にして最悪の天敵はこいつをおいてほかにない。やくざよりよっぽど始末が悪いのである。

つづく


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第7話 本当の恐怖 ⑤

沈黙の扉
 
「いいにゃ、やくじゃもんひゃひとみゃえではじをかかしゃりぇることを・・・・」

倒れこんだ僕は恐らく必死の形相をしていたに違いない。今までこんな恐怖を味わったことがない。
世話役が何やらわけのわからない言語を口にしたと同時に、いきなり上あごから入れ歯がはずれたのである。

間違いなく日本語でしゃべっている。しかしそのほとんどの音はふがふがとしか聞こえないのである。おまけに骸骨のようにカタカタと音を立てたかと思ったら、今度は入れ歯の半分が唇から飛び出してはひっこみ、飛び出しては引っ込みをくり返す。

しかし世話役は何故かその状況に気づいていない。それどころか表情はいたって真剣であり、僕にさらなる恐怖を植え付けようと名調子よろしく、これでもかというくらい凄みを利かせているのが目を見ればわかる。そんな状況でも今の僕に笑える余裕などあるはずもない。できることは世話役が言わんとしていることを暗号の解読をするかのように必死になってその意味を探ることであった。

「いいか、やくざもんは人前で恥をかかされる事を死ぬほど不名誉に思う。今日この爺さんはお前さんに二回も恥をかかされた。ということはだ。やくざとしての致命傷を二回負わされたということだ」
と言ったのだろう。

いやきっとそうに違いない。そう解釈してこくりとうなずく僕はそれ以外身体が固まって動けない。

「世話役、お口元が」
と言った若い衆が世話役の口に自分の手をもっていった際、少し腰をかがめた。ほっとしたのも束の間、僕の目に若い衆が着ていた長袖シャツの胸元から古風な紋様に極採色の刺青が入ってきた。筋金入りの本物のもんもん(刺青)。僕はもう観念せざるを得なかった。何を言おうがこの状況を作った原因は自分にあるの だから、あきらめて事務所についていくしかあるまい。

「わかりました。お爺さんの言うとおりそちらの事務所に伺います」

僕は蚊の鳴くような小声でつぶやいた。入れ歯を元の位置に納め威厳を取り戻した世話役は「うむ」と言って着流しの襟元をピシッと整えると、ついて来るよう目で合図をした。
 
僕は嫌も応も無く二人のあとをとぼとぼと歩き始めた。外はまだお昼であり日差しが暖かい。反して僕はかなり危険な状況におかれているのであって、最悪のシナリオを自分で勝手に書き始めていた。

監禁されたらどうしよう。事務所で待機している本物のやくざたちにボコボコにされて、簀巻きにされて川に流されるのは江戸時代の話。今はコンクリート詰めにされて東京湾に沈められてしまうのか。この日の光を除いて明るい材料は何一つない。
 
僕の首はうなだれ、肩はがっくりと落ち死刑宣告をされた死刑囚のように駐車場を通る。何の因果でこうなったのか。自分のせいとはわかっていても僕はこの運命というか人生そのものが恨めしい。
 
世話役の言う事務所は店から歩いて十分ほどの距離だった。そしてそれは小さなマンションの一階に門を構えていてここがそうなのかと、意識してみなければ 通り過ぎてしまうほどこじんまりとしていた。

但し近くに寄ってみてわかったことだが、入口の扉はかなり頑丈にあつらえられていて、それらしき雰囲気は充分に 表れている。おまけにドアの脇には『稲山会上州田上一家八幡組』という仰々しい看板が掲げられており、ここに入るものを拒むかのような佇まいであった。
 
ああ、とうとうここまで来てしまった。事務所で感じた恐怖心は不思議となかった。だがそれにとって代わる絶望感がかなりの重さをもって僕の胸を押しつぶす。

重たそうなドアを若い衆が開け、世話役が当然と言わんばかりの体で黙って中へ入っていく。僕は若い衆の目配せを合図にそれに続く。事務所の中は静かで 中には誰もいなかった。ねずみ色のスチールでできた事務机の上には黒い電話が一台あるだけだった。これは映画でも見た風景である。僕はさらにその奥の部屋へ通される。
 
重厚な感じの年季の入った赤いソファー、いかにも高そうなブランデーやウイスキーがこれでもかというくらいひしめき合って陳列されているサイドボード。 ウミガメや鹿の頭の剥製。あるものはそれなりに揃っているのだろうが見た目の印象はいたってシンプルな応接間だった。僕はこうして周囲を観察できるほどの 自分の冷静さに少し驚いた。

「そこに座りなさい」

世話役は落ち着いた声で僕に声をかける。言われるがままにふかふかのソファーに身を沈める。彼はしばし沈黙を重ねる。置時計のコチコチという音だけがやけに大きく聞こえる。
 
十分も過ぎただろうか。先ほどの若い衆がコーヒーをもって入ってきた。

「飲みなさい」と世話役が短く声を発した。若い衆が黙って部屋を出る。

「若いの、力道山が何故死んだか知ってるか?」

「いえ」

知る由もない。そして唐突な質問に多少たじろぐ。ズズズーとコーヒーをすする音。世話役はほっとした面持ちで天井を見上げる。そしてまた沈黙。
 
僕はこの時初めて無言ほど怖いものはないと知った。何か言葉を発してくれればそれに応えることもできる。叱られればすみませんと言って頭を下げることもできる。殴られれば歯を食いしばって耐えることもできるだろう。しかし沈黙には沈黙をもって応えるしかない。それが怖いのである。

つづく


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