K専務に教育をテーマに原稿を書いてもらったのは今から13年前になる。
ホテルが一流ならパチンコ店も一流。鹿児島に森永娯楽センターあり、と全国から視察詣でが続いた。
社員教育で急成長した城山観光グループが、私的整理に入った。事実上の倒産状態にある。
原因は人材教育に力を入れなくなったからだと思う。
ホテルの総支配人でパチンコ事業の総責任者だったK専務が会社を辞めてから、城山観光の歯車は狂い始めた。K専務が退社して6~7年経つだろうか。
城山観光ホテルは皇族も泊まる一流ホテルでありながら、森永娯楽センターの屋号でパチンコ事業も昔からやっていた。
ホテルは一流の教育が行き届いているのに、同じグループ会社でありながら、パチンコの方は一切教育にも手をつけず、やる気のない人間の掃溜めになっていた。
これに疑問を感じたk専務が立ち上がり、パチンコ部門の改革に立ち上がった。昭和50年ごろだった。
そこでk専務が最も力を入れたのが社員教育だった。
まず、最初にしたことが自信を失っているパチンコ事業部の社員に自信をつけさせることだった。
それが、城山観光グループ内で行われるソフトボール大会だった。いつも遊技事業部はビリだった。
K専務は優勝することを目標に掲げ、特訓も行った。
グループ内でお荷物といわれていた遊技事業部が、4~5年も経つと常勝するぐらい力をつけるようになった。
教育は精神論的なものが多かった。
K専務本人は毎朝4時にはホテルに出社していた。プールで一泳ぎした後で、仕事が始まる。早朝出社するのは外部から電話がかかってくることもないので、仕事に集中できる、というのがその理由だった。
K専務の出社が早いので、パチンコ店も役職者だけではなく一般社員の出勤時間も早かった。
6時には出社して、ホール周辺の清掃から始まるのが日課だった。
教育によって社員が変れば、たちまち店の業績に反映されるようになった。
この実績と手腕からホテルの総支配人にも抜擢された。事実上の現場の総責任者となった。
好事魔多し。
K専務は先代の社長に評価されていた。社員教育用の温泉施設も作らせてもらえた。先代社長から2代目に経営が変わると事態は一変する。
意見は対立するようになり、結果的に追われるように退社する。
K専務の後を追い、遊技事業部の役職者も何人か辞めていった。
遊技事業部の柱を失った森永娯楽センターの業績は、どんどん悪化していった。
「ホテルは儲からない。一種の社会事業のようなもの」というK専務の言葉が今でも残っている。
それをカバーしてきたのが、パチンコの売上だった。過去の不動産投資の失敗もパチンコの業績がよければ返せたはず。
城山観光の再建にはK専務に帰ってきてもらうことが第一歩だと思う。
コメント[ コメント記入欄を表示 ]
コメントする
ピンバック: 細谷 伸
その方は教育やスポーツ
も力注いで、毎月優秀な人や
店を表彰しておられた
皆やる気満々でした頃
その方はとても偉大な方でした
ピンバック: みか
ピンバック: 匿名