パチンコ日報

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スーパードライ大ヒットの陰で消えた日本一のパチンコ店計画

アサヒのスーパードライが発売されたのは昭和62年(1987年)。今から27年前のことだ。



当時、ビールは酒屋からびんビールをケースで買っていた。当時飲んでいたのはキリンのラガーだった。



いつも配達に来る酒屋さんが「今度アサヒから出たスーパードライが美味しいので一度飲んでください」と勧められ、スーパードライにチャレンジした。



今まで、ラガーの苦味があまり好きではなかったので、苦味のないスーパードライにこれをきっかけに切り替えた。



80年代半ば、ビール業界では万年最下位だったサントリーに追い越されそうになるぐらい瀕死の状態だったアサヒの立て直しに、住友銀行の副頭取だった樋口廣太郎氏が送り込まれたのが昭和61年だった。



樋口氏が送り込まれる前から住友銀行出身の村井勉氏が立て直しを図るために送り込まれていた。この時期に市場調査を行って、最近の若者は苦味のあるビールが嫌いで、コクと切れを求めていることが分かり、商品の研究開発を進めていた。



競合他社にない新製品の開発に陣頭指揮を執ったのが樋口氏だった。



こうして誕生したのがスーパードライだ。



業界シェア最下位に転落寸前だったアサヒビールをスーパードライで立て直し、巨人キリンを抜いて業界トップに立ったことから、樋口氏はアサヒビールの中興の祖とまでいわれた。



「スーパードライが大ヒットしていなかったら、樋口さんは本気で日本一のパチンコ店を作ろうとしていましたからね。今では語り草ですよ」と話すのは当時を知るアサヒビールの関係者。



樋口氏は元々は同社の清算目的で送り込まれた節があった。水面下でサントリービールに売却交渉が進められていたが、破談になった。



この時期に考えられたのがパチンコ業界への進出だった。



「私は当初、会社の収益を確保するために、日本一のパチンコ屋を作ろうとしたんです。向島の倉庫があるところに、30階のパチンコ10店と、隣に31階建てのガレージを建てて、だいたい50億円の収入を上げて会社を立て直そうとした」(週刊ポスト2001年7月13日号)



昭和60年代といえば、フィーバーブームでパチンコ業界の右肩上がりが始まった頃。住友銀行は住銀リースを使ってパチンコ店へ積極的に融資を行っていた。



銀行マンの樋口氏にすれば、当時のパチンコ店がどのぐらい儲かっていたかは、十分把握していたはずだ。



あまりにも儲かりすぎて、大学の先生や医者の道に進んでいた、オーナーの息子たちが次々に呼び戻されて家業を継ぐことになった時期でもある。



しかも、当時は大手チェーンも存在していない時代。



スーパードライの爆発的ヒットがなければ、今頃は日本一のパチンコチェーンになっていた可能性もなきにしもあらずだ。



スーパードライは発売から27年経っても売れ続けている。



パチンコ業界でいうところの海物語のような存在である。







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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. メーカー

    日本1のメーカーの方が面白そう

    海物語やジャグに並ぶ台があってもいいよね

    パチンコ店の場合大手が1つ増えても何か変わるかな?

    ヘビーユーザー  »このコメントに返信
  2. ピンバック: ヘビーユーザー

  3. 企業も衣替え・・・

    6月と云えば衣替え、P業界も衣替え?

    世間様があっ!と驚くイメチェンは無理でも、ズタボロ悪慣習は脱ぎ捨て、苦境を脱して欲しい。



    スーパードライの奇跡は乾坤一擲のノリではないようですね。

    緻密なマーケティングとトップの決断力が勝因だった?



    TOP替えは、企業の運命を変えることがある。



    樋口社長の真の役割は清算請負人・・、ふぅ~ん。

    「事実は小説よりも奇なり」かぁ~。
    蜻蛉の親爺  »このコメントに返信
  4. ピンバック: 蜻蛉の親爺

  5. Unknown

    「屋号はアサヒにしよう」と考えるのかな?

    「計画は泡によって泡に」と言うことかな?

    「パチンコの様なドライな商売もお手の物」だったのかな?



    面白いエピです。

    (^∇^)
    屋号  »このコメントに返信
  6. ピンバック: 屋号

  7. Unknown

    建てようと思うと、計画をたてる、実行に移すには大きな壁がありますね。作ってもパチンコ経営のノウハウが無くて、うまくいかないなんて事もありますからね。
    どS2000  »このコメントに返信
  8. ピンバック: どS2000

  9. はい、はい、って感じだね

    たら、れば、もし、だったら、の典型的な話しだね

    前を見ず、古きよき時代ばかりかえりみて消えて行く人達がよく言う話しだね

    じゃぁ、今からでも呼べばいいのにとしか言えない
    山田太郎  »このコメントに返信
  10. ピンバック: 山田太郎

  11. 面白いエピソード!

    いやー面白いお話でした。



    実際にそうなっていたらパチンコ屋が禁煙ホールだらけになってたりして。



    今時の若者は煙草吸わないですからね。
    元ヘビーユーザー  »このコメントに返信
  12. ピンバック: 元ヘビーユーザー

  13. Unknown

    昭和60年台かあ

    その頃宗ちゃんは地元や馬場でパチやスロってたな

    馬場での主戦場はコスモや東陽会館にほぼ目の前にあったダイナムに白鳥会館ってとこかな

    他にも国際と日拓とスロ専があったけどそこで打った記憶がほぼ無い

    まあ理由はアレだよアレ





    それで白鳥会館の2Fにあったパチスロのセンチュリーのアレで・・・

    随分とお世話になったなあ

    いつだったかないつもの様にセンチュリー打っていたら知り合いが会社辞めて明日からパチプロになるってだってさ

    その後音信不通になっちゃったけどまだパチプロで暮らしているのかななんてな





    コスモの2Fはハネモノ置いてあってさ

    たまに打ち止めしたりね

    地下にはオリンピアのパチスロ1・5号機だっけ?

    スターダストが置いてあったね

    一発台のセイヤも



    ダイナムではパチスロのベンハーやパチンコのドンスペシャルなんか良く打ってたよ



    チャオ!



    宗ちゃんパチ歴35年  »このコメントに返信
  14. ピンバック: 宗ちゃんパチ歴35年

  15. 『若者の意見』

    そのラガービール開発の考えを、そっくりそのまま現在のパチンコ台開発販売業界にも当てはめるべきなんですよ。



    『若い人たちは苦い味のするラガービールを好まない。』ってのは、現在のパチンコ機種にも当てはまる話なんだからさ。



    くだらない予告演出やスーパーリーチが頻発して、莫大な時間の無駄や苦痛を感じさせる現在のデジパチ機種にはウンザリしているの。

    学生達からは、バイト代わりのお金儲けの手段としても捨てられているわけなんですよ。



    お金儲けが出来るのにパチンコなんてやりたくないと思われるようになったら、

    本当にもう終わりだよ。
    イケロン  »このコメントに返信
  16. ピンバック: イケロン

  17. Unknown

    現実では、パチンコ屋をやらなくて良かった。それも先見の明でしょうか。今のオワッテるパチンコ業界を見るに。
    要は  »このコメントに返信
  18. ピンバック: 要は

  19. Unknown

    また賑わうことがあったら他業界からも参入が増えたりするのでしょうか

    最近パナソニックの津賀一宏社長の発言がニュースになりました

    「もう日本の家電はダメだな。一目瞭然だ。韓国、中国と価格競争してもしようがない。うちは儲ける道を別に探す」

    (津賀氏が言う「儲ける道」とは自動車関連事業や、住宅関連事業のこと。

    たとえば、ブレーキ、照明、洗面、風呂である。そうした分野はメーカーが価格決定権を持ち、単価が高く、従って利益を出しやすい。)

    現業界は排除するでしょうが、大手他業界参入での変化というものも見てみたい気がします
    パンツ  »このコメントに返信
  20. ピンバック: パンツ

  21. ドライ?

    スーパードライのどこが辛口なのかわからないが僕は断然ラガー派。

    今の若者はおこちゃま舌なのか甘い系、飲みやすい系を求む。



    中学の時に飲んだラガーの苦味は強烈だったな。



    今は安い発泡酒だけどね(涙)





    どうでもいいコメント失礼しました(笑)
    リバティコンチ  »このコメントに返信
  22. ピンバック: リバティコンチ

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