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日本のカジノには4号機がお似合い


90年代初頭、“外圧”によって海外のスロットメーカーが日本のパチスロ市場に参入してきた。アメリカのIGTやイギリスのエレクトロコイン社トなどがそれ(オーストラリアのアリストクラーは2001年参入)。

当時のパチスロの市場規模は70~80万台で海外メーカーからすると垂涎の的だった。海外のカジノのスロットマシンは、1度入れると10年、15年と壊れるまで使う。その点、日本は基本的には3年に1回は入れ替える。機械サイクルが早いのも魅力だった。

ところが、日本市場に参入しようにも特許問題や組合加入などの参入障壁があった。日電協に入るには理事の推薦も必要だった。正面突破では前に進まなかったので海外メーカーは外務省を通じ警察庁に働きかけてきた。日電協も警察庁から言われれば重い腰を上げざるを得なかった。

外圧によって92年にエレクトロコインは「チェリーバー」、93年にIGTは「ベガスガール」で日本デビューを果たす。

ところが、苦労して参入したものの、本来のゲーム性の完成度が低く、さっぱり売れなかった。経営権を協力メーカーに売却し、実質2~3年で撤退した。

「当時、市場で売れているほとんどがBモノでしたから、ノーマルの機械が売れる時代ではありませんでした。営業に行っても『これ何連チャンするの?』から始まる時代でしたからね」(スロットメーカー関係者)

ライセンスが厳しいカジノへスロットマシンを納入しているメーカーが、同じBモノ市場で戦うことなどできるはずもない。不正のハードルが高かったのが撤退理由だろう。

日本市場にカジノで参入する海外オペレーターは、日本人客を取り込まなければ経営は成り立たないと考えている。

餅は餅屋。

パチンコ、パチスロ客をカジノのスロットに取り込むことが大命題だ。それなら日本のパチンコ・パチスロメーカーにカジノ用マシンを開発して欲しい、と考えるのは自然な流れだ。

「カジノのスロットマシンは当たるかハズレるかのどっちか。バーのような小役はあるが、それはあくまでも小役。パチスロにはリーチ目やゾーンに入っているなどの前兆がある。この表現方法はパチスロメーカーが長年培ってきたノウハウ。俗に『パンチラ理論』とも言う。『チェリーが来たから近い』とか止めようと思う時、パンツをチラチラ見せるように、期待させてまた突っ込ませる。投資金額との割合で出すのがノウハウだった。作り込みも日本のメーカーの方が長けている」(同)

保通協も日電協もなかったその昔、スロットは海外のマシンがそのままホールに設置された時代もあった。それでは賭博機の設置になるので、警察から技術介入が必要と指摘されて取り付けたのがストップボタンだった。ボタンがあるかないかがカジノマシンとの違いである。

N国党首の立花議員は堺市市長選では堺の活性化のために特区を設けてパチスロ4号機が打てるようにすればいい、と提言していた。日本に誕生するカジノには、それこそミリオンゴッドのような4号機を設置すればいい。





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