パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

昔を懐かしむホール関係者たちの嘆き節飲み会

かつて、店を開ければ黙っていても客が押し寄せる時代があった。その黄金期を知るホール関係者の年齢は、今やすっかりシニア世代に達している。そんな彼らが集まった飲み会は、さながら「嘆き節シンポジウム」と化していた。
 
「いやぁ、俺が転職した時は8店舗のチェーンだったんだよ。本部長待遇で迎えられてさ」
 
そう語るのは、長年業界に身を置くベテラン本部長。しかし、その8店舗は今や3店舗に縮小。

「この規模で本部長もあったもんじゃない」と自嘲気味にビールを飲み干した。
 
本部長の嘆きは止まらない。
 
「今の店長は業績を上げられない。ダメだ」
 
本部長の立場ならば、店長を指導し、業績向上のための策を講じるのが務めではないかと思うが、そこはスルーのようだ。むしろ、店長へのダメ出しに熱が入る。
 
「昔は、大手に負けない気概があった。でも今の中小ホールは、新台をバンバン入れられる大手をただ羨むだけ。戦う前から負けている」

10店舗あったチェーンで長らく店長職にある男も嘆く。
 
「昔は年収900万円だった。それが今や500万円だ。店舗数と一緒に収入まで半減とはな……」
 
これには周囲も「俺も、俺も」と同調の嵐。「あの頃は良かった」と懐古するのが、この飲み会の主題である。
 
さらに、話題は「スーパー店長」へと移る。かつて業界内で名を馳せたスーパー店長たちが、今の苦境にどう対処しているかという話題だ。
 
「大手のスーパー店長が、稼働が悪い店舗の立て直しに入っても結局業績を上げることはできない。つまり、スーパー店長って言っても本当にノウハウがあるわけじゃない。もし本当に立て直せるなら、噂になって視察団が殺到しているはず」
 
この発言に、場がザワつく。「確かに……」と皆が頷く。かつては一目置かれた「スーパー店長」たちも、今やただの肩書きに過ぎないのかもしれない。
 
酒が進むにつれ、嘆き節はさらに加速する。
 
「業界全体の立て直しはどうすればいいんだ?」
 
誰かがポツリと呟くと、一同しばし沈黙。やがて、先ほどの本部長が口を開いた。
 
「警察の強制力で全国一斉に40玉交換にしてくれたら、少しはマシになるか?」

この発言には一同「無理、無理。それって負け犬の遠吠えじゃないか」とツッコミが入る。しかし、誰も本気で反論する気力はない。

気がつけば、テーブルの上には空になった酒瓶がずらりと並んでいる。最後に誰かが呟いた。

「まあ、こうやって愚痴を言い合えるだけで気晴らしになった……」
 
こうして、シニア世代ホール関係者たちの嘆き節飲み会は、虚しさと共に幕を閉じたのであった。



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時限的消費税ゼロは景気浮揚の切り札となるか?

夏の参議院選挙に向け、与野党ともに経済政策において減税措置を争点に掲げつつある。特に注目されているのが、トランプ政権下で米国が強化してきた関税政策、いわゆる「トランプ関税」に対抗する国内景気対策としての消費税減税である。

現在提示されている案の中には、消費税率を一時的にゼロにするという、極めて大胆な政策も含まれている。これが実現すれば、消費が爆上がりし、それに伴う景気回復が期待できるという論理に基づいている。

この減税効果を実証した事例として注目されているのが、名古屋市である。河村たかし市長の時代に市民税を10%から最終的には5%まで引き下げる政策が実施された。この減税措置で、名古屋市の税収は減少するどころか、10年間で約800億円増加したと報告されている。この増収は、減税によって市民の可処分所得が増え、それが消費活動の活性化へとつながった結果と考えられる。税率を下げても景気の拡大と税収増が現れた。

名古屋市の例はあくまで市民税の減税だが、仮にこれが全国規模で消費税に適用されたとすれば、その経済効果は一層大きくなると予想される。とりわけ消費税はすべての取引にかかるため、消費者にとって直接的な負担軽減となる。これにより、個人消費が一気に活発化し、特に家電製品、自動車、住宅といった高額商品の売れ行きが大幅に伸びる可能性が高い。

消費の拡大は当然ながら企業の売上増につながり、結果として企業の利益も改善される。加えて、消費税納付義務が軽減されることにより、特に中小企業の資金繰りが改善されると見られる。こうした企業活動の活性化は、雇用の拡大や賃上げの原資確保につながる好循環を生む。政府が掲げる賃上げ政策にも追い風となるはずだ。

このように、消費税ゼロはパチンコ業界にも好影響を与えると見る向きもある。実際、あるパチンコメーカー関係者は、「可処分所得が増えれば、間違いなくパチンコをする人が増える。需要があればすぐに増産体制をとれるメーカーが強みになる」と語っている。しかし、こうした見通しには楽観的過ぎる側面も否めない。

現実には、パチンコから一度離れたユーザーが再びホールに戻ることは容易ではない。現在のパチンコ機の開発は出玉性能の向上に過度に偏重しており、いわゆる「爆裂機」志向が強い。こうした機種では1個返し仕様となり、おカネの消費が激しいため、一般客の遊技継続を難しくしている。この機械作りを改善しないままでは、いくら可処分所得が増えようとも、パチンコ業界への回帰は限定的と思われる。

パチンコが再び娯楽として一般層客に受け入れられるためには、少額でも遊べる4円パチンコの環境整備が不可欠だ。

現実に戻ろう。

消費税ゼロの経済効果は魅力的である一方で、その実現には極めて高いハードルが存在する。現在、消費税は年間約22兆円前後の税収を生み出しており、これは社会保障の基幹財源となっている。この財源を穴埋めする手段を見出さない限り、政治的にも財政的にも現実味は乏しい

ゆえに、いくら「景気回復の特効薬」としての夢を語っても、実際に消費税をゼロにできる可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。政治的アピールとしての効果はあっても、現実的な財政運営を考慮すれば、この政策は夢物語に過ぎない。



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一字違いで大違い――ガチンコとパチンコ

産経新聞記事のタイトル「レガシーづくりへガチンコ勝負」を見てビビッときた。言葉とは時に、ほんの一字違うだけで意味も印象も天地ほどに変わることを。


「ガチンコ」と「パチンコ」。発音すればやや似たように聞こえるが、そこに宿る意味と精神性は、正反対といっていいほどの隔たりがある。

「ガチンコ」は、真剣勝負を意味する言葉である。元々は相撲界の隠語であり、台本や八百長なしの取り組みを指した。「ガチ」と略されることも多く、現代では広く「本気」や「真剣」のニュアンスで使われている。つまり、「ガチンコ」とはごまかしの効かない真っ向勝負、誤魔化しなき挑戦の姿勢そのものだ。

一方の「パチンコ」は、日本独自の娯楽産業として発展したライトギャンブルである。玉を弾いてスタートに入れることで抽選が始まる仕組み。表向きは技術介入の余地もあるように見えるが、実際のところは大部分が機械のプログラムに依存している。

どれだけ狙って打とうが、出るときは出るし、出ないときは出ない。そこには「運」という不確かな要素が強く絡んでいる。

ガチンコが「自力」を尊ぶ世界だとすれば、パチンコは「他力」に身を委ねる世界である。前者は自分の実力と向き合う覚悟を求め、後者は運にすがる享楽を浴する。まるで修行僧とリゾート客のように、両者のスタンスは根本から異なる。

もちろん、パチンコに没頭する人たちを否定するつもりはさらさらない。それもまた現代社会の逃げ道であり、癒やしの一形態だ。

ただ、現代人は“何かに”対して「ガチンコ」で向き合う場面が減っているのは事実だろう。失敗を恐れ、結果を求めすぎるあまり、「運が良ければうまくいく」方に心が傾いてしまう。努力よりも当たり台。汗よりも確率。そんな思考が浸透すれば、社会全体の根幹は徐々に脆くなる。

さらに興味深いのは、この二語が象徴する「時間の使い方」の違いだ。ガチンコで何かに取り組むには、長時間の積み重ねと集中が必要となる。勝つためには地道な鍛錬を続け、試行錯誤を重ねるしかない。

一方のパチンコは、短時間で結果を求め、すぐにリターンが得られるかどうかに一喜一憂する。時間の濃度がまるで違う。前者は投資型、後者は消費型。これは現代人の生き方そのものにも通じている。

教育や仕事、恋愛、そして人生そのものにおいても、「ガチンコ」で挑む人は減っているように感じる。

少しでもうまくいかないとすぐに諦め、次の“台”を探す。その繰り返しでは、深みや熟成は生まれない。勝ち負け以前に、「本気でぶつかってみたかどうか」こそが、人を育て、魂を震わせる瞬間を生む。

だからこそ、今あえて問いたい。

「ガチンコ」と「パチンコ」、あなたはどちらを選ぶのか?。真剣勝負を挑む生き方か、それとも偶然に身を任せる生き方か。たった一字違いのこの二語に、現代日本人の生き様の分岐が詰まっているのである。

いっそのこと、店名にガチンコを付けてみる?



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ホール珍事件簿 〜大連チャンと腹痛の戦いの結末

ホールでは、日々さまざまな出来事が起こる。中には、想像を超える珍事件もある。今回紹介するのは、ホールの通路で起こった衝撃的な出来事だ。

その日、ホール内に突然異臭が立ちこめた。最初は誰も気にしなかったが、次第に通路に異変が起こっていることに気づいたスタッフが駆けつけた。そして、そこには信じがたい光景が広がっていた。

ホールの通路のど真ん中に、明らかに異常なものが落ちている。そして、近くにいた客のざわつく視線の先には、一人の高齢女性がいた。その女性はどこか呆然としており、まるで自分が何をしたのかすら理解していないようだった。

スタッフが話を聞いたところ、このおばあちゃんは遊技中に大連チャンの最中だったことがわかった。打っていたのは人気のミドルスペック機で、出玉の波に乗っていた。

だが、その最中にお腹の異変が彼女を襲った。本来であれば、すぐにでもトイレに駆け込みたかったはず。しかし、遊技台はまさにクライマックス。連チャンが止まらないのだ。

「今、やめたらもったいない」

そう思ったのか、おばあちゃんはギリギリまで我慢を続けた。しかし、ついに限界が訪れる。ホールのトイレに向かおうと立ち上がったが、歩き出すやいなや力尽き、通路の真ん中で無念の脱糞をしてしまったのだった。

異臭がホール内に充満する中、おばあちゃんは何も言わずに店外へと消えた。ホールのスタッフは対応に追われたが、問題はそれだけでは終わらなかった。

しばらくして、おばあちゃんは戻ってきた。そりゃそうだ。大連チャンした出玉の精算がまだ終わっていないのだから。

しかし、おばあちゃんが戻るとほぼ同時に、一人の男性がホール内へ入ってきた。見るからに険しい表情のその男は、すぐにおばあちゃんを見つけ、まっすぐ近づいていった。

「ちょっと待ってもらえますか?」

そう声をかけたのは、近くの下着屋の店長だった。

どうやら、おばあちゃんは店外へ出た後、汚れてしまった下着の替えを買うために近くの下着屋に立ち寄ったようだった。しかし、彼女は支払いをせずに店を出てしまった。

店長は万引き犯としておばあちゃんを追ってきたのだった。店の方針では万引きはすぐに110番通報することになっており、その場で警察が呼ばれることになった。

間もなく警察官がホールに到着し、おばあちゃんに事情を聞いた。その結果、おばあちゃんは連行されることになった。そして、ホール側も証拠として監視カメラの映像を警察に提供することになった。

後日、警察の話では、おばあちゃんは認知症の疑いがあるとのことだった。高齢者の万引きは認知症によるものも少なくなく、今回の件もその可能性があった。

ホールにはさまざまな客が訪れる。中には、このように想像を超える出来事も起こる。ホールのスタッフにとってはまさに「珍事件」であり、改めて高齢者の対応について考えさせられる出来事であった。


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見た目と真実――東北のホールで学んだ教訓

東北地方にあるホールでの出来事。

舞台となったのは、地域密着型の繁盛店。日々、同じ顔ぶれが訪れ、地元の常連客たちで成り立っている、そんなホールだ。

ある日、そのホールの店長に思いがけない知らせが舞い込んできた。なんと、長年通っていた常連客同士が結婚することになったというのである。どちらも高齢で、年金生活者と見受けられるような世代。見た目にも質素で、身なりに華やかさはなく、どちらかといえば生活に余裕がないような印象を与える人物だった。実際、2人が打つのは1パチだった。

そんな2人から結婚式の招待状が店長に手渡された。常連客とはいえ、あくまで店の客。だが、出会いのきっかけがこのホールだったこともあり、「縁のある場所の代表」として出席してほしいという申し出であった。

ホーナーに出席の許可を取り、店長は礼服を新調し、式に出席した。

ところが、この結婚式は店長の価値観を根底から揺るがす出来事となる。会場に到着してまず目に入ったのは、ずらりと並ぶ高級車の数々であった。レクサスやベンツ、果てはフェラーリまで停まっていた。

式場に集まった招待客も、一見して只者ではないことがうかがえる装いで、いかにも地元の名士たちといった風情であった。

やがて始まった披露宴で、店長は新郎新婦の素性を知ることとなる。新婦は地元でも有名な大規模コメ農家で、現在はその息子たちが跡を継いで農場を運営。自家製米をインターネットでも販売しており、全国に顧客を持つほどの規模を誇る農家であった。

一方、新郎は、かつて東北一円に展開する自動車ディーラーの創業者であり、現在はその会長職を退き、悠々自適の生活を送っていた。ホールで見せる控えめな姿からは到底想像もつかない背景が、そこにはあった。

「人は見かけによらない」という月並みな言葉の重みを、店長はこのとき身をもって痛感する。これまで抱いていた「1パチを打つ年金生活者=貧乏人」といった先入観が、いかに浅はかで偏ったものであったかを思い知らされたのである。

式が終わった後、店長はこの驚きの事実をホールのオーナーに報告した。オーナーもまた驚きつつも冷静に対応した。

店長は続けてこう相談した。

「従業員たちにも伝えていいですか? 本当はあの2人、大金持ちなんだ、と。そう知れば、接客もさらに丁寧になるでしょうし、もしかしたら4パチも打ってくれるかもしれません」

しかし、オーナーの答えは明快だった。

「それは結婚式という私的な場で知り得た個人情報だ。たとえ事実であっても、本人たちの了解なしに広めることはすべきでない。万が一、従業員の態度が変われば、本人たちも気づくだろう。うちのホールは誰であっても同じ接客をする。それが我が社のやり方だ」

店長はその言葉に、再び価値観を揺さぶられることとなった。客の外見や遊技スタイルだけで人を判断し、態度を変えることは接客業にあるまじき行為である。資産の有無にかかわらず、どの客にも公平に接する。それが店としての矜持であり、地域に根ざした営業を続けていく上での基盤なのだと改めて胸に刻んだ。

もしあなたが、同じ立場だったらどうする?

見た目や遊技スタイルだけで判断していた相手が、実は大金持ちだったと知ったとき、自分の中の何が変わるだろうか?



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