仕事は表周りだった。子供が熱を出して急きょ休まなければいけなくなっても、配慮してくれて働きやすい職場だった。
勤務していたホールはコロナ禍の影響をまともに受けることになる。
昼間の客数はコロナ前の半分、夜はさらに減った。スロットコーナーは、コイン補給の仕事もほとんど不要になった。客がいないのでトラブル対応もほとんどない。
表周りの仕事は数少ない客の「出なくなった」との愚痴を聞くことに変わった。
客数が減れば、ホールは釘を閉めて利益確保に走る。顔見知りの常連客がだんだん来店しなくなった。
暇で暇でしょうがない状態が続いた。正社員だけでも持て余すほどの仕事量だった。
客数が減っても固定費は変わらない。まず、人件費を削減するために、ホールが下した決断は、持続化給付金を申請することもなく、パート、アルバイトを全部切ることだった。
Aさんは退職金代わりに1月分の20万円が支給された。
Aさんはすぐに次の仕事を探した。スーパーで時給1020円のレジ打ちが見つかった。レジ打ちは1時間で客が途切れることもなく、忙しかった。同じ場所にずっと立っているのが辛くて仕方なかった。軽度の発達障害で同じ場所にじっとしていられないからだ。ホールは歩き回ることができるので向いていた。つくづくホールは時給が高い割には仕事は楽だったことを痛感した。
閑話休題
Aさんはある日、街中でホールの常連客だったBさん(60代)にばったり出会った。A子さんが勤務中に来店しなくなった客の一人だった。
「出なくなったからな。他のパチンコ屋も皆一緒で出なくなった。勝てる気がしなくなった。顔見知りもだんだん姿を見せなくなったので行くのを止めた。われわれ年金生活者はもう行かないよ」とパチンコを止めた理由を話した。
Bさんの息子が「おやじの暇つぶしに」と中古のパチンコ台をプレゼントしてくれた。
指で命釘を広げた。
「1000円で25回以上回ればパチンコは楽しい。保留玉が一杯になるぐらい回さないと客はどんどん減るよ」
しかし、1カ月もすると飽きてしまった。
市役所に問い合わせると、廃棄するには粗大ごみでは扱ってくれないことも分かった。
そこでBさんは家庭用のパチンコ台も月1回、定期的に新しい台をレンタルするシステムを作ってくれたらいいのに、と考えた。
そんな近況報告を立ち話でした。
で、Aさんは、別れた亭主から毎月3万円の養育費を入れてもらえず、景気が回復したらまたホールで働きたいと願っている。

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楽しい!
今日はこのあたりのコメントが多くなりそうな予感が。( ̄O ̄)
ピンバック: ヤマモリ
都会なら可能性もあるでしょうが、田舎じゃ20回すら皆無に
近い。
そりゃ4円シマ人もいなくなりますが、それでも放置しかしま
せんから
ピンバック: 台と電気のムダでも
どことなく寂しげな田山さんからは、パチプロになったことを後悔しているようにも感じて、あれから真面目に勉強したな。
話がそれましたが、現在の15回も回らないパチンコなんて全く興味がないし、もはや寄付行為みたいなものだと思う。
ピンバック: 換金禁止
声はかけられませんでしたが・・・
ピンバック: まんねん。
ウチの地域ではパチンコ台は「趣味、スポーツ用品他」の分類で粗大ゴミで出せますけど、ゴミの廃棄にも地域差ってあるんですね。
よくリストラされた人の話とか出てきますけど、パート主婦にも退職後わざわざ探して取材するんですね。
ここの為だけの取材なんですかね?
他の取材の話のを取り上げてたんですかね?
Aさんは年金受給者のBさんの話までしてるけど、どんな取材受けたらBさんの話するんでしょう?
気になります
景気回復させる努力を企業や国がしてる限りいつかは景気が回復するでしょう、その時は、今現在パチンコ店だけの景気が回復する努力はしてるのでパチンコ業界も盛り上がるといいですね
ピンバック: パチンコ無くなればいいのに
ピンバック: 遊半
文句言わないで打ちなさい笑
ピンバック: トム
今のパチンコはどうか。
だんだんとリスクが高くなっていくのに対し、配当はだんだんと小さく少なくなっていく。
遊技なら、そもそもリスクは高くないし高くならない。
ギャンブルとしても遊技としても成り立っていない。
そこへコロナのダブルパンチ。
1度離れた客は冷静になり簡単には戻ってこない。
新規の客が増える要素など無い。
従業員が解雇されることに何も不思議なことはない。
ピンバック: 焼き鳥美味しい
ピンバック: ベン
あの頃は500円で20弱は回らないと誰も台に近寄らなかったですね
継続遊技もなく換金所も遠く数千円遊べばキリもついて店を後にできた時代
思い返せばその頃って店の中を無意味に徘徊する店員さんって
マイクで独り言ブツブツとつぶやく店長以外見かけませんでしたね
当たれば台の上のドル箱を自分で下ろして大当たりが終われば自分で玉を流す
業界もその頃に戻らないとねって話なのでしょうか?
ピンバック: パチンコ大賞
そんな店長の開店アナウンスが大好きでした。本当に、良い時代でしたね。
ピンバック: 換金禁止
会社の方針で1分間のスタート入賞数が6~7個でしたのでベースが46~53、いま考えると28~38回位回っていたのでしょう。
回収する時はスタートではなくオマケへの流れを殺し、出す時はオマケへの流れを開けていました。
早い話が回らない調整と言うのは同時はあり得なかったと言う事ですね。
ピンバック: もと役員