パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

もしも開幕と同時にミャクミャクのパチンコ台が発売されていたら

大阪・関西万博のマスコットキャラクター「ミャクミャク」が発表された当初、世間の反応は冷たかった。赤と青が入り混じった不思議なフォルムに、目玉が何個もあり、「不気味」「怖い」「気持ち悪い」「可愛くない」など、SNSでも否定的な意見が飛び交った。「どうしてこれが選ばれたのか」「もっと親しみやすいデザインにできなかったのか」といった批判の声が、あちらこちらから上がっていたのだ。

しかし、その評価は万博の開幕とともに一変する。会場に設置された高さ4メートルの巨大ミャクミャク像の前には、連日長蛇の列ができ、来場者が次々と記念撮影を楽しんでいる。


かつての「不気味」は、今や「キモカワイイ」へと変わった。むしろあのインパクトあるビジュアルが、誰の記憶にも残るキャラクターとして再評価されつつある。

会場内には公式のキャラクターグッズショップがいくつも並び、なかでも80センチサイズのミャクミャクぬいぐるみが1等で当たる「ぬいぐるみくじ」には、子どもから大人までが大行列を作る。

サングラス、帽子、カチューシャ、Tシャツ、さらにはスニーカーに至るまで関連商品が発売され、売れ行きも絶好調だ。業者は笑いが止まらない。


さらに身の回りをすべてミャクミャクで固めた“全身ミャクミャクコーデ”の来場者の姿も目に付く。

ここまでの人気を、果たして誰が予想できただろうか。デザイン発表時のあの酷評からは想像もできなかった“手のひら返し”である。

この異例のブームに目をつけるホール関係者もいる。

「今からでもミャクミャクを題材にしたパチンコ台を開発できないか」と真剣に語る。ミャクミャクの世界観をモチーフにした演出、当たりのたびに踊る巨大ミャクミャク、さらにはミャクミャクのグッズを景品にした企画など、想像がふくらむばかりだという。

とはいえ、実際にパチンコ台を開発し、検定を経て市場にリリースするには通常1~2年の時間を要する。その頃には、万博もとっくに閉幕し、ミャクミャク熱も冷めている可能性が高い。盛り上がっている「今」に出せなければ、機を逸した企画となってしまう。

「もし開幕と同時にミャクミャク台が出ていたら?」

そんな“たられば”を口にする業界人も少なくない。万博に合わせて先んじて企画・開発し、開幕初日からホールに設置されていたとしたら――。SNSで話題を集め、ミャクミャクファンが列をなしてホールに足を運ぶ姿も、決して夢ではなかったかもしれない。

タイミングと発想次第で、パチンコ業界も大きなチャンスをつかめたはずだ。人気キャラクターの波に乗るには、世間の風向きを的確に読む“先見の明”が不可欠である。

今後、第二・第三の「ミャクミャク現象」が起きるかもしれない。業界はその兆候を見逃さず、いち早く仕掛ける準備を整えておくことが、時代に取り残されない鍵になるのではないか。



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ついふらっと入りたくなるホールの作り方

「流浪する消費者たち」というテーマのレポートがある。

「流浪」という言葉には、「所定めず、さすらい歩くこと」という意味がある。また、「流浪する」という言葉には、「はっきりした目的地をもたずに、あちらこちらに旅すること」という意味もある。

こうした言葉の持つイメージからは、放浪の旅人や住所不定の生活者などが連想されるかもしれない。しかし、実際には現代の都市生活の中にも、この「流浪」を体現する人々が存在する。レポートの「流浪する人たち」とは、100均ショップの愛好者たちのことだった。

100均マニア、いわゆる「100均中毒者」は、特に必要なものがなくても、街中で100均を見つけると、つい吸い寄せられるように店内へと足を踏み入れる。

マニアの目的は、見たことのない商品を発見することにある。店内をくまなく見て回り、時には1時間近くも滞在することも珍しくない。SNSを活用し、TikTokなどで「100均オススメ5選」などの動画をチェックし、その情報をもとに新たな発見を求めて100均を訪れる。

このような「100均流浪人」の行動パターンを分析する中で、興味深いデータが浮かび上がった。それは、60代以上の女性の中に、100均のヘビーユーザーでありながら、同時にパチンコを趣味としている人が一定数存在するという事実である。

さらに、こうしたパチンコ好きの100均マニアは、旅行先や見知らぬ街でパチンコ店を見つけると、ついついふらふらと入店してしまう傾向があることも分かった。

このデータをもとに考えると、彼女たちの行動には共通点が見えてくる。それは「新しい場所への好奇心」と「手軽に楽しめる娯楽への親和性」である。

100均ショップもパチンコ店も新しい商品や新しい遊技機に出会えるという点で共通している。この点に着目した一部のコンサルは、これを「ついふらっと入ってしまう消費行動」として分析し、店舗の集客戦略に応用している。

実際、この「ついふらっと入ってしまう心理」を活用することに長けたコンサルは、消費者が無意識のうちに足を向けたくなるような店舗設計やマーケティング手法を得意としており、その知見を活かしてさまざまな業界で集客支援を行っている。

そんな中、昨年、あるホール企業から初めてこのコンサルに依頼が舞い込んだ。買収したホールの再生プロジェクトの一環として、「どうすれば新規客がふらっと入りたくなるか」という相談だった。これまでパチンコ業界とは無縁だったコンサルタントは、まず都内のホールを徹底調査し、店舗の外観写真を撮影した。

その結果、ある決定的な問題点が明らかになった。それは、「新規客を誘う要素が皆無である」ということ。ホールの店頭には、常連向けのイベント告知や出玉情報が掲示されているものの、それらはすべて既存のファン向けの内容であり、新規客が興味を引かれるものではなかった。

コンサルタントはこう指摘する。

「新規客を増やすには、まず『店に入りたくなる仕掛け』が必要だ。たとえば、店頭に『新聞全紙が無料で読めます』と大きく掲示するだけでも効果はある。新聞代を節約したいサラリーマンや高齢者にとっては魅力的な要素になるだろう。新聞にはネットにはない価値ある情報が詰まっているため、それを提供するだけでも店頭の印象は大きく変わる」

ホールの最大の弱点は、店内の様子が見えないことによる「ブラックボックス化」である。

一般の通行人にとって、ホールは何を提供しているのかが分かりにくく、心理的なハードルが高い。したがって、「つい入ってみたくなる」仕掛けを用意し、それを効果的に告知することが求められる。

こうした「流浪する消費者」の心理を理解し、店舗のデザインやマーケティングに反映させることで、新たな集客の可能性が開ける。

100均マニアもホールの利用者も、根底には「新しいものを発見したい」という欲求がある。この心理を巧みに利用することが、集客戦略の鍵となる。


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夢洲に迫るIR開業とパチンコ業界の戦略転換

開催中の大阪・関西万博。その大屋根リング越しに、夢洲で建設が進む大阪IRの巨大な建設現場を望むことができる。順調にいけば、IRは2030年秋に開業を迎える予定だ。



「まだ5年先」ではなく「もう5年を切った」。こう受け止めているのが、今のパチンコ業界である。

ある県遊協のトップは、先日開催された総会の場で次のように語った。

「3月21日に閣議決定されたギャンブル等依存症対策推進基本計画の改定により、オンラインカジノの規制が強化されました。大阪IRのカジノ開業が現実味を帯びる中で、ギャンブル依存症対策への注目は再び高まり、パチンコ業界も比較対象として厳しい視線を浴びることになるでしょう。カジノができる大阪だけの問題ではなく、全国の業界全体で依存症対策に取り組まなければなりません。その一環として、リカバリーサポート・ネットワークが提供しているeラーニングを活用し、従業員教育の強化をお願いしたい」

この発言が象徴するのは、業界全体の危機意識の高まりである。仮にカジノに顧客を奪われるとすれば、実害を受けるのは大阪周辺のホールかもしれない。しかし、依存症問題に関する批判の矛先は、エリアに関係なくパチンコ業界全体に向けられる。ゆえに全国レベルでの対応が不可欠だという認識が広がっている。

一方で、夢洲の開発に対して新たな商機を見出そうとする動きも出てきた。大阪市は万博の閉幕後、会場跡地を開発事業者に売却する方針を打ち出しており、今年度後半には事業者の募集が始まる予定だ。

あるホール企業の関係者は意欲的にこう語る。

「カジノとパチンコは別物。等価交換営業はあえて行わず、差別化のために低価交換営業に徹します。カジノで負けたお客さんを、気軽に遊べる場所として迎え入れる。さらに、インバウンドを取り込むには、IRに近接するロケーションが有利。夢洲を“ギャンブラーズ・アイランド”として盛り上げたい」

その構想が現実味を帯びるならば、単なる1店舗ではなく、夢洲に「パチンコのテーマパーク」を作り上げるという発想も浮上する。アミューズメント性を高めた複合施設としての“パチンコ村”を形成すれば、全国からの集客も視野に入るだろう。

ギャンブル依存症対策と事業展開の両立。大阪IRの開業を契機に、パチンコ業界はこれまでにない局面に突入しようとしている。叩かれないための防御ではなく、社会との共存を意識した能動的な変革が問われている。



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高騰する建築費で再開発ビルとホール建設計画の“未定”という現実

東京・新宿駅南口の再開発に伴い建設が予定されていた高層ビルが、施工会社の決定が難航している影響で、着工できない状態が続いている。当初は3年後の完成を見込んでいたが、現在ではその時期すら「未定」となっていることが明らかになった。

原因は明確だ。建設資材の高騰と深刻な人手不足。この二重苦により、複数のゼネコンがプロジェクトから手を引き、施主側が施工会社を確保できない状況に陥っている。

この高層ビルは、2023年12月から着工する予定だった。しかし、施工業者の決定がつかず、工事は未だ開始できていない。結果として、当初掲げていた2028年度の完成予定も白紙となり、「いつ完成するか分からない」状態に変わってしまった。

建設業界におけるコスト高騰の波は、何もこのプロジェクトに限った話ではない。記憶に新しいのは、「大阪・関西万博」のケースだ。国家プロジェクトとして進められているこのイベントでは、当初1250億円と見積もられていた会場建設費が、資材高と人件費の影響で約1.9倍の2350億円にまで膨れ上がり、大きな批判を招いた。

もっとも、万博は国策事業であり、税金の投入によって強引にスケジュールを死守することができた。しかし、民間主導のプロジェクトではそうはいかない。採算の見通しが立たなければ、工事は止まり、計画は白紙になる。それが現実だ。

このような影響は、パチンコ業界でもホール建設計画にも波及している。実際、首都圏では1000台規模のホールの新店プロジェクトが進行していた。土地が限られているため、駐車場は建屋の上に自走式立駐を設ける予定だったが、見積もりが当初予算の1.78倍に達し、結果として計画は白紙になった。

首都圏は人口密度が高く、集客の面では地方よりも優位であるため、本来ならばホール経営において安定性が見込まれる地域だ。しかし、建築資材や人件費の高騰は、そうしたポテンシャルすら吹き飛ばすほどのインパクトを持っている。

加えて、ホール業界は新台の入替や広告宣伝規制など、経営を取り巻く環境が年々厳しさを増している。こうした中で大型店舗の出店を行うには、莫大な初期投資だけでなく、長期的な収益性への確信が求められる。

また、建設コストの上昇は既存ホールのリニューアル計画にも影響している。外装や内装を刷新するにも、コストの回収が難しく、結局、現在の建物で営業できるまで営業して終わり、というホールが多く見られる。

「建てたくても建てられない」

それが今の現場の実情であり、設備投資を前提にした中長期の成長戦略にも深刻な影を落としている。



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追憶の鬼怒川温泉。81歳の元店員がたどるパチンコと温泉街の記憶

「死ぬ前に、もう一回だけ自分が働いていたパチンコ店を見てみたい」と語るのは、現在81歳になる男性。今は北海道で静かに暮らしているが、40年以上前、彼は栃木県・鬼怒川温泉のパチンコ店で働いていたという。

しかし、長い年月のせいか、肝心の店名をどうしても思い出せない。店名がわからなければ探しようもなく、そもそも、今、鬼怒川温泉にパチンコ店は1軒も残っていない。

温泉街からパチンコ店が姿を消したのは、何も鬼怒川温泉に限ったことではない。全国各地の温泉街でも、昔は当たり前のようにあったパチンコ店が姿を消して久しい。温泉パチンコ店が最も多かった昭和。そして、フィーバー機登場以前の空気を覚えている人も、今はいない。

パチンコ店の「戸籍謄本」とも言える『ここって昔はパチンコ屋(通称:ココパチ)』というサイトは、現在は有料版となり、情報を探すのも簡単ではない。余りにも古い話で、おじいさんの働いていた店が、そこにすら載っているかどうかさえ定かではない。

鬼怒川温泉そのものも、かつての賑わいは見る影もない。インターネットで「鬼怒川温泉」と検索すると、サジェストには「廃墟」という言葉が並ぶ。

今の様子は寂しく映るかもしれないが、かつては東京の奥座敷と称され、静岡の熱海温泉と並ぶ観光地だった。1980年代から90年代初頭のバブル期には、年間341万人もの観光客が訪れていたのだ。

当時は社員旅行が盛んで、その需要に応えるかたちで多くのホテルや旅館が建てられた。しかし、バブル崩壊により景気が冷え込むと、団体旅行の文化も衰退。さらにスーパー銭湯の普及、旅行スタイルの多様化といった社会の変化により、鬼怒川温泉の客足は徐々に遠のいていった。

重ねて襲ったのは地元経済の崩壊。温泉街を支えていた地方銀行が破綻し、資金繰りに行き詰まった宿泊施設が相次いで倒産した。追い討ちをかけたのは東日本大震災と豪雨災害。建物が損壊し、修復もままならぬまま、鬼怒川温泉にはいくつもの廃墟ホテルが取り残された。

多くは所有者不明、解体には多額の費用がかかるため、そのまま廃墟を晒している。
それでも、おじいさんは記憶のかけらを頼りに、かつての職場を探そうとしている。現在、北海道のテレビ局がおじいさんの願いを追うドキュメンタリーの制作を企画中で、それに伴い、パチンコ業界に詳しい人たちへ情報提供が呼びかけられている。その流れで、日報にも情報が寄せられた。

もし栃木県遊協に古い名簿が残っていれば、鬼怒川温泉にあったパチンコ店の名前も判明するかもしれない。古い資料を手繰り寄せる中で、昭和の面影が甦れば、おじいさんの記憶も少しずつ呼び起こされることだろう。

ちなみに、おじいさんの奥さんは、鬼怒川観光ホテルに勤めていたという。このホテルは今、大江戸温泉物語グループの運営となったが、「鬼怒川観光ホテル」の名は、今も変わらず残っている。

寂れた温泉街と失われた職場。しかし、人の記憶の中には賑わっていた日々がある。地元で、おじいさんが働いていたパチンコ店で遊んでいた人がいるかも知れない。おじいさんの旅が叶えられることを願う。


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