パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

地方再生と業界復興の鍵は「2000円で2〜3時間遊べる遊技機」にあり

今メーカーが本気で取り組まなければならないことは、遊技機の開発と並行して「ホールの数を増やすこと」、すなわち店舗網の再構築だ。

現在、ホール数の減少は特に地方においてはその傾向が顕著であり、地域のホールが閉店するたびに、組合を支えていた単組組織の維持も困難となり、合併や解体といった動きが加速している。

ホールの消滅は、まず雇用機会の喪失につながる。地方では、ホールが地域の重要な雇用先であり、多くの人たちの生活を支えてきた。その拠点が消えるということは、単に仕事を失うというだけでなく、地域の経済や人の流れそのものが滞ることを意味する。

次に、ホールの閉店は「娯楽の喪失」を意味する。地方都市や郊外では、気軽に楽しめる娯楽が限られており、パチンコはその数少ない選択肢の一つだった。これがなくなることで、地域の人たちは日常の中での「息抜き」の場を失ってしまう。

では、ホールに足を運ばなくなった人々はどこに流れているのか。一部の報告によれば、イオンモールなどのショッピングセンターに併設された映画館へ流れているという説がある。

映画は1本あたり1800円前後で、およそ2時間を過ごすことができる。ここから見えてくるのは、「2〜3時間程度の時間を、2000円以内で楽しみたい」というニーズの存在である。

この点にこそ、業界が生き残るためのヒントがある。これまでパチンコ業界は、「射幸性=短時間で大金が動くスリル」こそが集客のカギであると信じて疑わなかった。

しかし、それではもはや時代のニーズに応えられない。大当たりを狙うよりも、「ゆっくり、安心して遊べる娯楽」を求める層がホールから離れて行ったのである。

従って、今後の遊技機開発で重要なのは、「2000円で2〜3時間遊べる機械づくり」にシフトすることだ。こうした機械は、射幸性を抑えつつも適度なゲーム性や演出で遊技客を惹きつけ、安心して遊べる環境を提供する。

それはまさに、ギャンブルではなく「遊技」としての本来の姿であり、社会的にも受け入れられやすい形である。

この方向性に沿った機械作りの規制緩和であれば、警察もNOとはいわないだろう。むしろ、射幸性の抑制と健全な娯楽の推進という観点から歓迎される可能性が高い。

「長時間ゆったりと遊べる遊技機」が増えれば、これまで離れていたユーザー層を再びホールへと呼び戻すことができる。結果としてホールの稼働も上がり、地方の店舗数も徐々に増えることが期待できる。

メーカーが目指すべき「いい機械」とは、もはや出玉性能の高い機械ではない。「新規ユーザーを獲得できる機械」だ。2000円で2〜3時間遊べる、そんな遊技機こそが、これからの時代にふさわしい「いい機械」なのだ。

娯楽の原点に立ち返ることで、パチンコ業界は再び活力を取り戻すことができるはずだ。



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第三の保通協。新しい遊技の夜明け前

「第三の男」といえば、オーソン・ウェルズが出演した名作映画のタイトルだ。70年以上前の作品だが、「第三」という響きには、いまもどこか謎めいた魅力がある。

で、この「第三」という言葉が、いまパチンコ業界にも水面下で静かに登場しようとしている。

その名もズバリ第三保通協だ。

パチンコやスロットの新機種は、発売前に必ず「保通協」と呼ばれる機関で型式試験を受けなければならない。警察庁の認定を受けたこの試験を通過しなければ、ホールに設置することはできない。

長らくその試験を担ってきたのは保通協1社のみだったが、2018年、国家公安委員会は一般社団法人GLI Japanを新たに指定し、いわゆる「第二保通協」が誕生した。

しかし、今回話題に上る「第三保通協」は、単なる追加機関ではない。そもそもパチンコやスロットの試験を行う場所ではないのだ。

事情通によれば、この新しい試験機関が対象とするのは、まったく新しい「第三の遊技機」だ。

イメージとしては「1万円以下で2~3時間遊べる娯楽」。射幸性よりも遊びを重視した仕組みで、風営法の枠外に位置づけられる見通しだ。

そのため、大型ショッピングセンターの中にも設置でき、景品の提供も可能になるという。従来のゲームセンターとも異なる、新ジャンルのレジャー空間が生まれる可能性を秘めている。

いま、地方ではホールの淘汰が進み、「パチンコ空白地帯」と呼ばれる地域が広がりつつある。娯楽施設が姿を消し、高齢者や家族連れが気軽に楽しめる場が減っている現状を考えれば、この第三の遊技機は、地域レジャーの再生装置となる可能性を秘めている。

「ホールがなくなっても、遊技文化まで失われてはならない」──そうした思いを持つ業界関係者は少なくない。

メーカー側もまた、既存のパチンコ・スロットに限界を感じている。高額化した遊技機、射幸性に偏ったゲーム性、そして高齢化したファン層。どの問題も、もはや“釘調整”のように簡単には行えない段階まできている。

だからこそ、まったく新しい遊びの形を模索する動きが、水面下で着実に進みつつあるのだ。

第三保通協は、単なる試験機関ではない。それは新しい時代の入口を管理する部門のような存在になることが考えられる。

この新機関が正式に動き出すとき、業界は「出玉」ではなく「遊び」で人を呼ぶ時代へと、一歩を踏み出すことになる。

第三保通協という名の下に、業界地図を書き換える日も、そう遠くはない…。



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自由化という劇薬。元ホールオーナーが語る業界衰退の真因

第一線を退いた元ホールオーナーがパチンコ業界に足を踏み入れたのは、スロットが正式に認可された昭和末期のことだった。参入当時は業界全体が右肩上がりで、ホールも活気にあふれていた。彼の店も順調に成長し、長らく経営を続けてきたが、やがて経営意欲は薄れ、息子へバトンを渡して久しい。

いま彼が熱中しているのは陶芸だ。土と向き合い、ろくろを回し、釉薬の表情に一喜一憂する日々。作品が売れたときの喜びは、価格の高よりも「自分の作品を気に入り、手に取ってくれる人がいる」ことに尽きる。パチンコ経営で得た利益とは別種の、静かで深い満足感だという。

そんな彼に業界衰退の理由を尋ねると、迷わず「自由化」と答えた。世間一般では、等価交換や高射幸機の氾濫によるギャンブル化を原因とする見方が多いが、彼に言わせれば自由化こそが諸悪の根源だった。

彼が参入した時代、業界にはまだ組合の自主規制が機能していた。たとえば「セブン機は総設置台数の30%以内」というルールがあり、高射幸化を自ら抑えていた。だからこそ、普通機、羽根モノ、権利モノ、アレンジボール、雀球といった多彩な機種がホールを彩っていた。ユーザーは自分好みの台を探す楽しみがあり、ファン層は広く、裾野も厚かった。

さらに当時は総台数規制も厳しく、1店舗300台程度が上限だった。ところが時代が平成初期になるに移ると、こうした規制に警察が口を出さなくなり、自由化の波が一気に広がる。福岡県では500台規制が敷かれていたが、通路を挟んで2軒並べるような苦肉の策は不要となり、やがて1000台クラスの大型店が現れるようになった。

警察が自由化を容認した背景には、全国で増えすぎたホールの許認可や取り締まりに手を焼いていた事情がある。ならば、自由競争による弱肉強食社会で弱者を淘汰させればよい—そうすれば行政の負担は減る。結果、業界は台数規制撤廃、等価営業、そして高射幸機偏重へと突き進むことになる。

元オーナーは、この流れを歴史になぞらえて語る。

「中国はアヘン戦争でイギリスに負けたが、パチンコ業界でのアヘンはセブン機だ。セブン機は売上も粗利も跳ね上げるから、誰もがそれに依存した。高射幸機依存症になっていたのはお客さんではなく、むしろ業界側だった」

資金力と機械選びだけで勝敗が決まる環境は、もはや経営ではない。創意工夫も商売の駆け引きも不要になれば、経営者の熱は冷める。残ったのはセブン機に群がる同業者と、出玉至上主義の末期症状だけだった。

今、土と向き合う元オーナーは、あの頃の業界をこう総括する。

「自分で自分に劇薬を打って、気持ちよくなってるうちに死んだ。それだけの話だ」



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備蓄米の行方~横流し10万円が奪った900万円の座

コメ不足が深刻化した今年、小泉農水大臣が備蓄米の放出を決定した。市場には一気に安価な米が出回り、5kgが1600円前後という破格の価格になった。それまで4000円近くしていたことを思えば、半額以下である。


このニュースにホールの営業本部長は閃いた。

「これを景品の目玉にしよう!

本部長は大量の備蓄米を仕入れ、パチンコ景品として並べた。

安価で手に入る米、しかもコメ不足のタイミング。客が飛びつくと本気で読んでいた。

しかし実際の反応は冷ややかだった。

理由は簡単だ。世間では備蓄米は安いけど古古古米で美味しくない、という風評が広まり、スーパーでも山積みになったままのケースもあった。

パチンコ景品だから欲しい、というものではなかったのだ。

その結果、予想を裏切って大量の備蓄米が売れ残った。

精米済みの米は長期保存に適さない。このまま景品棚に置いておくだけでは劣化が進むだけだ。

困り果てた本部長は、最終的に子ども食堂へ寄付するという案で落ち着いた。これはオーナーの了解も得ており、社会貢献としては申し分なかった。

問題は、その先だった。

本部長は寄付用の備蓄米の一部を、行きつけの小料理屋に横流ししてしまった。金額にすれば10万円ほど。大金ではない。

ただし、理由が悪かった。

「女将の歓心を買うため」だったのだ。

この軽率さが命取りになった。

女将が酔った勢いで友人に喋ってしまい、瞬く間に噂は広がり、ついにホールオーナーの耳に入った。

「子ども食堂への寄付」は問題ない。しかし「私的な横流し」は完全にアウトだ。

立場上、営業部門のすべてを統括し、年商何十億という取引の責任を負う人間が、景品の一部を個人的な理由で流した──これは金額の問題ではない。

オーナーは断固として処分した。

本部長は懲戒解雇となり、年俸900万円の地位を失った。

10万円の備蓄米で、900万円の職を失う。

しかし、オーナーはこう切り捨てたという。

「金額は関係ない。信頼を売った時点で終わりだ」

ホールという商売は、現金と信用で成り立っている。

その屋台骨を揺るがしかねない行為だったとすれば、この処分は決して“重すぎる”とは言えないのかもしれない。

備蓄米の値段は安かったが、その代償はあまりにも高かった、といえる事案だった。



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「パチンコに興味がない」からこそ生き残れた中小ホール経営者

ある2代目オーナーは、40年前に初代からホール経営を引き継いだ際、パチンコ業界の常識にとらわれない一つの決断を下した。それは、ホール経営で得た利益をパチンコ事業に再投資するのではなく、不動産に振り向けるというものだった。

ホール運営は、初代の右腕だった信頼の厚い番頭に一任。自身はパチンコ事業の現場には深く関与せず、資産形成に注力する道を選んだ。

当時も今も、運営するホールはわずか2店舗。業界がフィーバーブームに沸き、多店舗展開で急成長を遂げる企業が続出していた時代にあって、この控えめな店舗数は異色だった。

しかし、派手な拡大戦略をとった企業の多くが現在は2~3店舗にまで縮小していることを考えると、この「拡大しない選択」は、結果的に最も堅実だったとも言える。

そもそも2代目がパチンコ事業に再投資しなかった理由は明快だ。「パチンコに興味がなかった」からである。ビジネスとして割り切るのではなく、興味の持てない事業には深入りしないという判断が、むしろ冷静な経営判断につながった。

最初の不動産投資は、都内の小さな空き地を舗装して駐車場にしたことだった。9台分しかない小規模なスペースながら、都心部ゆえ月額4万5000円の賃料が取れる。この場所は自ら「不動産事業の聖地」と呼び、現在も駐車場として活用し続けている。

その後も着実に資産を拡大。埼玉や神奈川で中古アパートを購入し、時代のニーズに合わせたデザイン性の高いワンルームマンションへと建て替えを行った。パチンコで得た利益はすべてこのような形で不動産へと姿を変え、経営の土台を築いていった。

ホール企業の中には飲食業へ進出する例も多いが、飲食ビジネスは流行に左右されやすく、継続的な収益を見込むにはリスクが高い。一方で首都圏の不動産は価格が大きく下がることも少なく、堅実な資産形成が可能だ。こうした背景もあり、2代目はぶれることなく不動産投資に集中してきた。

その結果、現在保有する不動産の資産価値は70億円以上に達する。ホール数は増えずとも、経営基盤は比べ物にならないほど強固になっている。

近年、生き残っているホール企業を見渡すと、多かれ少なかれ不動産を持っているケースが多い。パチンコ経営そのものが景気や規制の波に翻弄されやすい“ギャンブル”である一方、不動産という堅実な分野への分散投資が、結果として経営を安定させる最良の手段だったということだろう。

「興味がなかった」ことが、むしろ功を奏した。2代目の経営哲学には、時流に流されず己の信念を貫くことで道を切り開く、経営者としての静かな覚悟がにじんでいる。

なお、現在営業している2店舗は、建物・設備が使えるまで営業したのちは、廃業する予定だ。



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