パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

駅前ホールが消えパチンコする習慣が消えたことが衰退理由の一つ

雑誌や新聞などの企画で「10年後になくなる仕事」などの記事を目にすることがある。そうした記事の予測がどれぐらい当たっているかを調べたデータベースがあるそうだ。

結論は10年スパンでは劇的になくなったものは少なく、20~30年かけて消えていくことは分かっている。

1つの業種が消えていく代表例としてレンタルビデオショップがある。日本でもツタヤがどんどんレンタルビデオ店を閉店して行っている。

アメリカのビデオレンタルの大手ブロックバスターは、全米で3000店舗あまりを経営したが、2010年に倒産した。

レンタル店が苦境に立たされるのはネット配信の普及が影響している、と見るのが一般的だが、同社は動画配信サービスも行っていた。

専門家の見方はちょっと角度が違う。それは生活習慣が変ったことが大きい、と次のように指摘する。

「1980年から1990年代、アメリカの家庭では金曜日の夜は家族でレンタルビデオで借りた映画を観る習慣があった。親は子供と一緒に映画を楽しみ、ポップコーンを作り、ベッドルームでリラックスしながら映画を鑑賞することが多かった。それが2000年代に入り、インターネットの普及で個々の時間に代わって行った。話題のドラマで急成長したNetflixに追い打ちを掛けられた。課金しても観たい作品があった。レンタルビデオ店は新作もありますが、旧作がどんどん増えていくばかり。つまり、家族で映画を観る習慣がなくなったことも一因です」

生活の変化によって、なくなって行っているのがパチンコ店とも指摘する。

「主要な駅前には必ずパチンコ店があったのですが、それがどんどんなくなっている。駅の乗降客数で出店の可否を判断をするデータもあったように、駅前パチンコ店は重要な役割があった。パチンコ店は集客施設でもあったので、パチンコ店の周りの飲食店も栄えた。その駅前パチンコが消えていくことで、会社帰りのサラリーマンがふらりと寄ることができた機会だけでなく、パチンコをやったことがない人がトイレを借りに行く機会がなくなった。駅前パチンコ店がなくなっていったことで、業界衰退の第一歩だった」と分析する。

駅前は小型店が多く、業界的には大型店への集客が加速したことで、小型店がどんどん淘汰されて行った。

駅前パチンコ店が栄えた時代は、時間つぶしにパチンコという選択肢がまだ残っていた。時間つぶしなら今ならさしずめ、25~50銭パチンコということになる。駅前の家賃の高い場所でそんな低貸しをやったのでは赤字が膨らむだけ。

いずれにしてもパチンコへ行く習慣がなくなったことが衰退の原因であることには間違いない。



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パチンコ業界の変遷とスロットメーカーの新たな生存戦略

日遊協が発刊した「遊技業界データブック2024」によれば、パチンコ業界は依然として厳しい状況にある。

ダイコク電機のDK-SISデータによると、2023年のパチンコの稼動を示すアウト数値は前年から微減し、1万3,620個となった。また、売上は前年比マイナス285円の1万4,919円、粗利額は前年とほぼ同等の2,479円となり、コロナ禍からの完全な回復は見られなかった。この状況は、2023年を通じて市場を牽引するような新機種が不在だったことや、特に中高年齢層の遊技習慣がコロナ禍の影響で大きく断たれてしまったことが原因と考えられる。

一方で、パチスロ市場は比較的好調な動きを見せている。2023年のパチスロのアウト枚数は前年比1,485枚増の8,091枚、売上も5,080円増の1万9,254円、粗利も659円増の2,652円と、大きく上昇した。特に、2022年11月から導入が開始されたスマートパチスロは、これまでの低迷を一掃するような好調さを示し、業界全体の回復に貢献している。

これらのデータからも明らかなように、現在、ホールではパチンコ台を減少させ、スロット台を増やす動きが見られる。過去の傾向を見ても、パチンコが好調な時期にはスロット台を減らし、逆にスロットが好調な時期にはパチンコ台を減らすという循環が繰り返されてきた。そして今、6.0号機時代に苦戦を強いられたスロットメーカーにとって、パチンコ市場のシェアを奪う絶好のチャンスが到来していると言える。

8月8日には、さいたま市にスロ専「スマートガーデン武蔵浦和」(328台)がグランドオープンした。場所は駅前のマンションの1階。元々はホールがあったが、スロ専だからオープンで来た場所でもあろう。

現在、ホールの数が減少しつつある中で、スロットメーカーが生き残るためには、スロットの占有率を上げることが重要となる。もちろん、スロットメーカーは顧客を惹きつける新たなスロット機種の開発を続けなければならない。特にAタイプの市場では、ジャグラーがその牙城を築いており、多くのメーカーがこの市場に挑戦しているが、ジャグラーの壁は非常に高く、過去の試みはことごとく跳ね返されてきた。しかし、ジャグラーの市場を切り崩そうとしているメーカーもあるようだ。

このような市場環境の中で、スロットメーカーが成功するためには、遊技機の開発だけに依存するのではなく、視点を変える必要がある。例えば、ホールが新たに出店しやすい環境を整えるために、スロットメーカーが店舗用の「ハコ」を用意することも一つの戦略である。このような取り組みは、販売台数を増やすための有効な方法となり得る。

出玉性能が大幅に落ち込んだ5.0号機、6.0号機時代にはスロ専が次々と閉店したが、スロット市場が回復傾向にある今こそ、スロ専の復活を目指す時期に来ていると考えられる。スロ専はパチンコと比べて比較的小型の店舗で運営可能であり、物件の確保が比較的容易であることからも、再び注目されるべきだろう。

スロットメーカーがホールとの関係を深め、出店しやすい環境を提供することで、スロットの占有率を向上させ、業界全体の活性化を図ることができるだろう。このように、スロットメーカーは遊技機の開発だけでなく、ホールの運営や出店支援といった新たな視点からもアプローチすることで、厳しい市場環境の中での生き残りを目指すことも必要だ。



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ホール企業から自衛隊へ転職

兄は40代、弟は30代。年の差は10歳。

兄は高校時代から不良の道を突っ走り暴走族にも入っていた。就職先は地元のホールを選択した。

弟は兄を反面教師とした。軍事マニアだった。その流れから高校を卒業して進んだ道は自衛隊だった。訓練は厳しいが、様々な資格がただで取れることも魅力だった。

厳しい環境を選んだ弟に対して、兄はコトあるごとに「パチンコ屋の仕事は楽で給料もまあまあ。お前もこっちに来い」と誘っていた。

いま、この2人の人生に変化が訪れた。

兄が就職したホールは中小だったこともあり、去年暮れにオーナーが店を畳み、無職になった。店長にはなれず、主任止まりだった。

「オレも自衛隊に行ってればよかった」と愚痴るようになった。

弟は自分が50~60歳になる中高年の時を考えて自衛隊を選択した。理由は子供の教育費に一番おカネがかかる年齢に差し掛かった時に、「倒産」はないから、安心して働くことができる。まさに倒産問題でも兄が反面教師となっている。

ちなみに、弟には小さな子供がいるが、すでに自衛隊へ入れることを決めている。お父さんの仕事がカッコイイと思えば自衛官の道を選択するだろう。

自衛隊は民間企業以上に人手不足が続いているが、最近、ホール出身者が自衛隊に転職してきた。転職理由はパチンコ業界の将来性だった。勤めていたホール企業は、最近は出店計画も止まったままだった。

自衛官と同じような仕事と言えば警察官だが、殉職する数は圧倒的に警察官の方が多い。その際、全国の警察官から1人当たり500円が給料から天引きされ、それが殉職者の下に届く。その額は1億円になる、というが、自衛隊にはそのような制度はないそうだ。

自衛官不足を解消しようと思えば、給料を上げるしかない。

実際、「防衛省の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律」により、自衛官の俸給月額およびボーナスの引き上げ等が行われ、ことし4月1日から施行されている。高校新卒では18万4300円から 19万8800円、と1万4500円もアップした。

ホールからの転職組はその辺も考えて自衛隊を選んだ。悪さをしない限りクビになることもない。大企業に入って安心もできない時代。最近もシャープの様に大企業ほど、業績が悪くなれば大胆なリストラを敢行する。

国を守る、国民を守る意識が強い人には自衛隊はいい職場だろう。

元自衛官からパチンコ業界へ転職した知り合いは、戦車の操縦免許を持っているが、使い道がない。


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メーカー営業のセカンドキャリア

大学卒業を控えてある遊技機メーカーの内定をもらった。行く気満々だった。勤務地は郡山。郡山なら自宅からでも通えると思ったら、これが福島県の郡山だった。未知の東北。内定は辞退するが、次に内定をもらった中堅遊技機メーカーに営業職で就職することになる。

あまりヒット機に恵まれなかったが入社して2~3年目の頃、驚異の22万台も売れた大ヒット機種の販売に関わることができた。史上初の機能を搭載したことがヒットの要因だった。そのおかげで業界2位に躍進する。ボーナスは年3回。1回のボーナスが200万円に達した。

カタログを持参してホールオーナーの下を訪ねて、機械の特性などを細かく説明しようとするとこんな具合だった。

「なんや、お前。そんな説明はどうでもええから、いつから入るんや! 80台持ってこい」

「400台持ってこい。その代わりヨソには入れるなよ」

上場メーカーの支店長は白いスーツに、白いエナメルのシューズを履いているような時代だった。

パチンコの営業はボロいと思った。潤沢なボーナスで懐は潤い、4号機全盛時のミリオンゴッドにも平気で突っ込んだ。負けても業界内でおカネが循環しているぐらいの意識だった。

出す機種、出す機種がヒットしたのは5年間ほどだった。

昔のように機械が売れなくなってきた。10年選手になっていたのに、会社から与えられたノルマを達成できなくなってきていた。

販売台数は何軒のホールに売ったかではなく、グロスでしか評価されなかった。上司からは「お前のノルマ分は明日何台用意したらいいんだ? やる気はあるのか!」と責められる日々だった。

「では200台でお願いします」

その200台は倉庫へ直行した。会社へは「完売しました」とウソの報告をせざるを得ないほど営業マンたちは追い込まれた。

売れなくてドキドキする期間は6~7年も続いた。精神的には限界に達していた。

「メーカーの営業マンはバット売りのようなもの。いきなりバッターボックスに立ってホームランなんか打てるわけがない。バットの売り方は分かっていても、ホームランの打ち方までは分からなかった」と振り返る。

ある日、得意先の専務に冗談半分に「ここで働かせてください」と頭を下げた。

「やる気があるのなら、活躍できる場はある。ウチの店長は数字ばかり。お前は色々な法人を見てきているから、数字や理論だけではないことを第三者の目で意見してくれたらいい」と第二の活躍の場を与えられることになった。

ホール転職はメーカーのセカンドキャリの一例だった。


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ギャンブル依存症患者にリゾート型療養所を計画中

医者の中でも儲からないのが精神科医らしい。理由は手術を行うこともなく、カウンセリングが主体というのがそれ。外科、内科はもちろん、産婦人科、泌尿器科、歯科、眼科だって手術が伴うのに、精神科にはない。素人でも、手術がない分、儲からないのか。なるほど、と納得してしまう。

30代の精神科医は、水原一平がスポーツベッティングで負け額が63億円になったことを受けて再びギャンブル依存症が注目されたことでビジネスチャンスとして捉え、リゾート型療養所計画を立てている、という。

精神科医は大阪でIRカジノが開業することで、ギャンブル依存症が増えることを見込んでいる。それまで日本に公式カジノが存在しなかったのだから、その分、ギャンブル依存症患者が増えるのは必定だと思っている。

この精神科医はパチンコ依存症患者の治療も担当してきたため、これまでのノウハウもある。

水原一平の一件でも分かるように、パチンコと違って、ギャンブルで負けると億単位で身上を潰すことになる。

大王製紙の井川元会長に至っては、106億8000万円を熔かしてしまった。

で、日本でカジノが開業した場合、井川元会長も言っているが、「わざわざ顔を刺される日本のカジノへは行かない」と断言しているように、カジノのVIP客となる日本人は国内では遊ばない、とも言われている。

精神科医が狙っている客層は富裕層だ。

その数がどれぐらいの人数になるのかは開業前では皆目見当もつかないが、富裕層を対象にしたリゾート型療養所だ。

カウンセリング治療には時間も要するので、リゾート地で長期間に亘って療養に専念してもらおうという狙いだ。

地方のリゾート地にはブームが去って廃業したホテルなどの物件がゴロゴロしていた。そういう物件を療養所に改装しようとしているのだが、その物件を中国資本が買い漁っている実情も一方ではある。

大阪でIRカジノが開業するのはまだ7年ぐらいの先の話で、ギャンブル依存症が問題視されるのはその後。その下準備のために、リゾート地の廃業ホテルを買収するのもかなり先行投資のようにも思える。

お好きなようにご自由に。


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