パチンコ日報

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岩手の廃屋から豊国遊機のパチンコ台発見物語

古いパチンコ台を蒐集しているマニアのAさんは70代。これまでに集めた台は100台あまり。手打ち式時代のものからゼロタイガー世代のものを中心に集めている。中でも一番のお宝は20万円で買った正村ゲージだった。

Aさんはとにかく古いものが好きで、古いパチンコ台以外には廃屋マニアでもあった。廃屋を求めて愛用のバイクにまたがり地方を遠征することもある。地方には人の手が入っていない廃屋がゴロゴロしている。

お宝を発見すると近所の人に持ち主を聞いて回り、許可をもらって家の中に入る。廃屋の中は長い間時間が止まっている。

昭和45年の大阪万博の記事が掲載されている新聞を発見すると小躍りした。古いコーラの瓶、ホーローの洗面器、昭和40年代の家電…Aさんにとってはこれがすべてお宝となる。

家主にはゴミでもAさんには垂涎の的。事情を説明すると「全部持って行け」となる。

それは岩手県に遠征した時だ。お目当ての廃屋を発見すると持ち主を探して、交渉する。

その“物件”は今から55年前まで住んでいたが、新しい家を別の場所に建てたために廃屋となっていた。

ここで正村式時代の超お宝を発見することになる。

それは豊国遊機製作所のパチンコ台だった。朽ち果ててボロボロになっているが、ブリキに書かれた社名から豊国の文字が読み取れた。


日工組の資料によると豊国遊機製作所は昭和27年ごろのメーカーで、正村がゲージの神様とすれば、豊国の菊山徳治氏は連発式オール20を発明していた。それ以外にははったり付きオール10を世に出す。当時は入賞口の装飾をはったりといい、顧客の目を楽しませた。

このタイプは昭和28年ごろパチンコの主流をなした。

パチンコ業界では正村はあまりにも有名だが、その陰で菊山もなかなかの発明家である。

Aさんは豊国であることが分かって全身の毛穴が開くほどの興奮を覚えて。パチンコ業界の歴史を語る上でも非常に貴重な資料となるからだ。

Aさんが豊国に興奮するのは、長年メーカーの工場で働き、最後は工場長で定年を迎えた元業界人だからだ。入社当時からの自社製品は全部コレクションしている。

バイクではとても運べないので、地元のレンタカーを借りて廃屋から運び出す。

家主にすれば、朽ち果てたパチンコ台は単なるゴミ。

「こんなものくれてやる」

家主のおじいさんは、なぜ、こんな古いパチンコ台を持っていたのか、思い出せなかったが、ばあさんに言わせると「じいさんはパチンコ好きでよく打ちに行っていた」とのこと。

Aさんにとってまたお宝が一つ増えた。廃屋巡りの趣味の賜物でもある。



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そうじのおばちゃんを戦力化

東北の単独店で掃除一筋に20年間働いてきたおばちゃん(76)がいる。時給は1000円でこの20年間据え置かれたままだった。

おばちゃんは思い切って店長に「時給を上げてもらえないか」と意を決して申し出た。

店長は時給のことは頭の片隅にはあったが、おばちゃんから言われてハッとした。掃除係も1年も持たずに辞めて行くおばちゃんたちが多い中、掃除リーダーとして指導もしながら20年も続けてくれていた。

店長の判断では決められないので、オーナーに相談した。

オーナーの決断は早かった。

時給は1500円に上がった。

逆におばちゃんにオーナーは、今まで賃上げしなかったことを詫びた。

おばちゃんは「死ぬまで働きます。やっぱり社長についてきてよかったです」と感謝の言葉が出た。

なぜ、掃除のおばちゃんの時給を上げることに店長が気づかなかったか、というと店長も今の役職になって20年。この間、年俸650万円は据え置かれたままだったからだ。

大手ホールでも減収減益時代である。業績を上げられるどころか、業績は下がる一方で自分の給料さえ上げて欲しいと言える状況でもなかった。だから掃除のおばちゃんまで気が回らなかった、というのが本当のところだ。

掃除のおばちゃんは、ホールによっては「クリーンスタッフ」と呼ばれ、正社員雇用しているケースもある。

田舎の地元採用なのでお客さんの名前や家族構成、どこで働いているかまで頭に入っている。スタッフ以上に知り尽くしている。

最初は掃除のみで入ったが、スタッフが人手不足の時にインカムを付けてランプ対応をするようになった。客にすればホールスタッフだろうが掃除のおばちゃんだろうが、1分1秒でも早く対応してくれればいい。

ましてや、高齢者は掃除のおばちゃんの方が馴染みやすいし、話もしやすい。

ホールで一般景品のセールスをした場合、おばちゃんたちは一番の戦力になったりする。玉を出している年配客に声を掛けて景品を勧めるとこれが、スタッフ以上に一般景品が売れたりする。

会員獲得もお手の物だ。おばちゃんたちが声を掛けると安心感があるのか、すんなりと入会してくれる。

人手不足のヤマト運輸は配達助手で夜の部(夕方5時から夜9時)が1400円の高額時給を提示している。
※8年前の話。

パチンコ店の時給の優位性はもはや薄れる一方だ。

人材不足の解消に中年のおばちゃんを掃除スタッフとして採用して、ホールの戦力に育てる方法もある。


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接客は稼働に影響する!

ホールでアルバイトを始めたのは大学3年生の時だった。きっかけは留年したことだった。親からは「学費は自分で稼げ」と突き放された。今から18年前の2007年のことだった。当時入ったホールの時給は1300円、とかなり高額だったことが魅力で、遅番のシフトに就いた。

結局、大学は5年掛かって卒業することになるが、2年間アルバイトで学費を稼ぎ出した。

卒業に備え就活もやったが、運が悪かった。リーマンショックの余波で超就職氷河期世代のど真ん中だった。就職先など簡単に見つかるはずもなかった。

2009年~2010年と言えばパチンコ業界には追い風が吹いた。どの業種も求職がシャットアウトされ、唯一採用活動していたのがパチンコ業界だった。求人誌に広告を出さなくても店頭の張り紙でもアルバイトに困らなかった。中には時給を900円台に下げたところもあったが、それでも人が集まった。

そんな時代に行き場を失っている時に、店長から「正社員にならないか」と声を掛けられた。

就職する決め手は、自己成長できる会社だということが2年間のアルバイト経験で分かっていたこともあった。正社員になって責任感も感じるようになる。

集客に対する思い、店に対する思いなどを志高く学んでいく。

接客に関しては「第一印象」を意識した。誰が見ても愛想がいいと思ってもらえるように、表情は笑顔を心掛けた。

「接客で稼働が上がらないと言われているけど、そんなことはないと断言できます。他店で嫌な接客を受けると二度と行きませんから。お客さんは社員と話をするのを楽しみに来ているので、稼働には直結している、と思います」

ホールのムード作りにも長けていた。従業員を楽しませることが好きで、自然と笑顔が出るような職場づくりを意識した。

「褒められて嬉しくない人間はいないので、直接褒めて長所を伸ばすようにしています。仕事以外のコミュニケーションもよく取っています。それこそ、仕事が終わっても会話しています」

お客様を楽しませるには社員も楽しめる環境づくり――これをモットーに自らがエンジンとなってホールを回している。

こういうタイプの人材が出世していく。与えられた仕事を全うすることは言うまでもないことだが、陰日向のない行動で下からも上からも愛されることで役職は上がって行く。



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求人難の時代に寮復活が救世主になるか⁉

東北のとあるパチンコホールの求人募集が話題になっている。 何と、20年の時を経て放置されていた「寮」を再び活用するというのだ。 なぜ、今さら寮を復活させるのか? その背景には深刻な「人手不足」があった。

パチンコ業界は慢性的な人手不足で、求人を出しても応募が来ない。 やっと来たと思ったら、面接当日にドタキャン。面接に来たと思ったらホールの方が断りたくなるレベルだったりする。

このホールは「そうだ、寮を復活させよう」と一念発起する。

新たな求人広告には、「寮費無料」との文字を躍らせる。これは、特に若い求職者にとっては大きな魅力となる。なぜなら、東北地方ではワンルームの家賃と光熱費を合わせて、5万から6万円の出費がかかるからだ。

給料の面でのアピールよりも、「住む場所が無料」というのは心理的なハードルが低い。この戦略は、なかなかしたたかである。

さて、問題はその寮である。20年間放置されていたため、当然ながら中は荒れ放題。 「これをリフォームすれば、きっと使える!」と決断した。数百万円のリフォーム費用をかけて、ピカピカの社員寮に生まれ変わる予定だ。

部屋は8室。ちょうどバイトや新卒社員が住むには手ごろなサイズだ。さらに、Wi-Fi完備にし、共有スペースにはちょっとしたキッチンや洗濯機も並ぶ予定だとか。「令和のシェアハウス風の寮」までアップデート。これで若い世代にもアピールできるという算段だ。これで美味しい賄付きならパーフェクトだが、食事の方は付いていない。

しかし、寮という言葉には、ある種のノスタルジーも含まれている。昭和のパチンコホールといえば寮付きが当然だったことがあった。それが、時代とともに「個人の自由」が重んじられるようになり、寮というシステムは廃れていったのだ。

しかし、今、その寮が再び注目される時代が来た。コロナ禍でもリモートワークや在宅勤務が広がり、「職住一体」が新たなライフスタイルとして受け入れられるようになった。

大手企業でも「社員寮」が復活してきたのには驚いた。住宅価格の高止まりを背景に再評価されているのだ。

このホールの寮復活計画が成功するかどうかは、誰にも分からない。しかし、少なくとも「寮費無料」という条件は、地方の求職者にとって大きな魅力であることは間違いない。

これが成功事例となれば、ひょっとしたら、全国的に「寮付き」が再び増える時代が来るかもしれない。寮という名前のノスタルジーが、「人手不足の救世主」として再び新しい価値を持って蘇るのか注目したいところだ。



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俺のフレンチの坂本社長が、もしも「俺のパチンコ」を作ったら…

このエントリーは7年前に書かれたものです。

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供給される遊技機は全国共通。他店と同じことをしていても差別化にはならないのに、パチンコ業界ほど横並びを好む業界も珍しい。その典型例が遊技機の買い方ともいえる。

ライバル店が買うから自店も同じ遊技機を買う。それをライバル店が10台買うから自店も10台買う。ライバル店と同じことをしていれば安心するために、同質化することを好みたがる。

しかし、それではライバル店との差別化は図れることもなく、地域三番手の店はいつまで経っても二番店、一番店になることはない。

そういう意味ではパチンコ業界は既成概念に囚われ過ぎているともいえる。もっとも許可営業であるため、他店と違うことをやっていると目立ってしまい、ライバル店から警察へチクられるのが、パチンコ業界の歴史でもある。

かといって、ライバル店と同じことをしては、業績アップは望めない。

業界の規制概念を打ち破って成功した人物の一人がブックオフの坂本孝社長だ。

中古本は目利きが必要とされる業界だった。本に希少性があるとか、帯が付いているとか、著者のサインがあるかと。

しかし、素人で始めたブックオフには目利きは存在せず、本がきれいか、きれいじゃないかで、ブックオフ独自の価値基準、判断基準をつくろうと考えた。その1つが、仮に定価1000円のきれいな本を、100円で仕入れて、500円で売るのが基本だった。

希少本、絶版本など、スタッフが査定できない分かりにくい本は、「うちより神田の古本屋さんのほうが高く買い取ってもらえますよ」と言って断ったほどだ。ブックオフは、本の価値ではなく、きれいかどうかだけで価格を決める。それ以外のことは絶対にやらなかったので、フランチャイズ展開も容易に行えた。

ブックオフで成功した坂本社長が次に手掛けたのが、俺のフレンチだった。

門外漢の飲食業界へ参入するにあたり、坂本社長が拘ったのは、一流の料理人と高級食材をふんだんに使い、1万円もするようなフレンチを3000円ほどで提供した。それだけでも度肝を抜いたが、高級フレンチを立ち飲みで食べさせるスタイルは、飲食業界に浸かっていたら思い浮かばない発想だ。

高い原価率を回転率でカバーする、という既成概念を打ち破るスタイルは、消費者にもすぐに支持されることになる。

その後俺のイタリアン、俺のスパニッシュ、俺の割烹、俺の焼き鳥、俺の焼肉、と次々の同様のスタイルで専門店をオープンさせていった。

業界人の発想では既成概念を打ち破ることはなかなか難しい。

坂本社長が俺のパチンコ店を作ったらどんな営業をするのだろうか? 

考えただけでもワクワクする。



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