だが、その青年、通称「超難君」は、普通に企業セミナーへ参加し、堂々とアプローチをかけてきた。これが一体どういう了見なのか、誰も理解できなかったであろう。
当然のことながら、超難君が就職したからには、彼に見合うポストが与えられると思われた。将来は本社のブレーンとして活躍し、会社を飛躍的に発展させるだろうと、誰もが期待したに違いない。
しかし、会社側は全くといっていいほど、彼の能力についてのビジョンがなかったのである。要するに、「超難関卒」という響きだけで採用したのだが、その後どうするかは考えていなかったのである。
入社後、超難君は研修で目立つ存在となった。風営法の試験では100点満点を叩き出し、その地頭の良さは際立っていた。彼は積極的に手を挙げ、率先して物事に取り組むタイプであり、まさに「優等生」の鏡であった。これには周囲も一目置いていた。
ところが、新卒で入社した者は全員が現場に配属されるというのがホール企業の掟であった。超難君も例外ではなく、現場での研修を命じられた。ここで、彼の知られざる一面が明らかになるのである。
超難君には大人の発達障害があったのだ。これは入社前には誰も気づかなかった部分である。店長から「落ちている玉を拾え」と指示されると、彼はそれを文字通りに受け取り、永遠に玉拾いを続けるタイプだったのである。周りが何を言おうと、「店長から言われたので」と、頑として聞き入れなかった。理論武装が得意な超難君は、むしろ反論してくるのであった。
また、ランプ対応と接客という、2つの作業を同時にこなすことが求められる場面でも、彼は全く対応できなかった。特に、客とコミュニケーションを取ることが極端に苦手であった。仲間とのコミュニケーションも消極的であり、孤立してしまうことが多かった。
しかし、超難君には奇妙な一面もあった。褒められると「恐悦至極に存じます」と、バカ丁寧な言葉で返してくるのである。これには周囲も戸惑うばかりであった。
2~3カ月が経過すると、ついに店長が音を上げた。「超難君をこれ以上指導できない」と、ギブアップ宣言を出したのである。こうして、会社側は退職勧奨の方向で動き出した。
トラブルにならないように、会社側は超難君との注意のやり取りをすべて記録に残していた。結局、超難君はわずか2~3カ月でホールを後にすることとなった。彼の人物評としては「変わり者」だったと言わざるを得ない。もっとも、超難関大を卒業しながらホール企業に就職した時点で、変わり者であることには誰も異論はないだろう。
こうして、ホール企業は一つの伝説を生み出した。それは、超難関大卒の男が、たった数カ月でその知性を発揮することなく消えていったという、少し寂しくも、妙に可笑しな話だった。
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