糖尿病の合併症によって両足を壊疽し、切断。義足での生活を余儀なくされたかと思えば、今度はすい臓がん。医師から告げられた余命は、わずか1年だった。
「これは、すべて自分が業界でやってきたことの天罰だ――」
そんな言葉と共に、老人は過去を懺悔しながら、自身の半生を振り返った。
彼がパチンコ業界に入ったのは1970年代半ば。まだ玉貸しは1玉3円、台もチューリップ機が主流だった時代だ。当時の営業方法は「1500個終了」。1箱500個入りの玉箱で3箱出すと打ち止めとなった。
この打ち止め台情報を行きつけのスナックの女性にこっそり教える。そこから男の不正人生が始まった。
最初はちょっとした「親切」の延長のようなもので、罪悪感も薄かった。何しろ終了しても、景品に換えれば4500円程度。当時の水準でも決して大金ではない。
しかし、その見返りはおカネではなく、女性の体というかたちで戻ってきた。打ち止め台の情報を教えるたびに、相手は感謝の意を示すようになり、次第にそういう関係の“常連客”が複数できた。最初の一歩は小さくても、転がる雪玉のように大きくなっていくのが人間の欲だ。
当時は、地元のヤクザに“ミカジメ料”を支払うのも常識だったが、彼らにも打ち止め台の情報を提供していた。ヤクザも客、という時代だった。
時代が進み、「セブン機」の登場とともに、不正の手口は一気に高度化していく。「カバン屋」と呼ばれる業者が、不正基板を売りにホールに現れた。不正基板を仕込んだ台は、手配師が手際よくウチコを送り込み、玉を抜く。取り分は手配師が6、店長が4という分配が相場だった。
彼もこの流れに乗り、短期間で多額の現金を手にした。やがて首には金の喜平ネックレス、手には金のロレックス、飲み屋ではボトルキープが当たり前。遊ぶ金欲しさに、不正を繰り返した。
店長が不正に関与するなど、本来ならクビが当然だが、当時は店長とオーナーが兼任というケースも多かったため、全ての情報はオーナーの耳にも入っていた。
しかし、オーナーの出した結論は驚くべきものだった。
「給料は出さない。不正するための店を貸しているんだから、家賃を払え」
つまり、不正営業の黙認と引き換えに、これまで以上の粗利をオーナーに上納することで決着する。現在の感覚では到底許されないが、当時はそれが「暗黙の合意」として成立してしまう、いわば牧歌的な時代でもあった。
しかし、やがて時代は等価交換の時代へと突入。不正は目立ちやすくなり、手を染めるにはリスクが高すぎるようになった。やる側も、やられる側も、次第に距離を置いていくようになった。
そして今、彼には身寄りがいない。家には不正で蓄財した現金がまだ約5000万円残っている。
かつてはおカネが全てだった。おカネがあれば女が寄ってきた。地元の有力者とも肩を並べた。しかし今、おカネと引き換えに健康を失った。
「このカネに手を付けようとは思わない。ただ、罪滅ぼしにどう使えばいいのかを考えている」
おカネには、きれいなおカネも汚いおカネもない。
子ども食堂に寄付することを考えている今日この頃だ。
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彼が不正で手にしたお金は、いったいどれだけの人が不幸になった結果で存在した金なんでしょう。
子供食道に寄付して、都合よく最後ぐらい良い人と思われて死にたいってことですよね。
罪滅ぼし?
私には無関係とは言えかなりな胸糞記事でした。
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