パチンコ日報

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原動力は負けても来てくれる客の言葉だった

パチンコデビューは中学3年生の時だった。

悪友がパチンコで600円勝ったという話を聞いたのがきっかけで、無性に行きたくなった。

パチンコ経験者に「連れてってや」と懇願した。3人全員がバレないようにサングラス姿で初陣を果たした。ホールは未成年者であることには気づいていたかも知れないが、1980年代はまだ寛容な時代だった。

パチンコ業界との本格的な関わりは大学1年生の時だった。パチンコの派遣社員としてホールで、2週間ぶっ通しで働いた。時給2000円は大いに魅力的だった。

ホールは派遣会社に高い人件費を払っていた。「直バイで働いて欲しい」と店長から乞われた。

そのホールで2年間働いた。常連客と日々コミュニケーションを取ることが楽しかった。
ホールスタッフは自分の「天職」だと思うようになった。

常連客の1人に50代半ばの女性客がいた。商店街の一角で、自分でお店を経営していた。引きが弱いのか毎日4~5万円負けていた。

「今日も4万円負けたわよ」

「今日もアルバイト代ありがとうございます」

「あんたたちが気持ちよく遊ばせてくれるから4万円負けてもまた来るのよ」

負けても来る――これって本当にありがたかった。自分たちの店づくりに満足してもらっていることに仕事の悦びを感じた。「あんたのところで負けたのならしゃあない」と言ってもらえたことは最高の誉め言葉だった。これが大学を卒業して就職先をホール企業に絞った原点でもあった。

この時の会話で背中がゾクゾクしたことを今でも昨日のことのように覚えている。

ホール企業に就職して21年、その時の初心は変らないどころか、その気持ちはどんどん膨らんでいる。

複合施設の中にある店舗はサロンスペースを設けている。スーパーで買い物をした主婦たちがその休憩室で女子会を開いている。パチンコユーザーは年々減り続け、依存症問題では業界には逆風が吹いても、「パチンコなんて」と白い目で見ることなく、休憩室を使ってもらっていることがありがたかった。

これも地域貢献の一つだが、ホールの存在そのものが防犯にも役立っている。

駅前立地のホールがあるが、駅から少し離れただけで薄暗く、女性が1人で歩くのは不安になるレベルだが、ホールの灯が煌々と点いているだけで地域には安心感が生まれた。

「パチンコはしないけど、夜はネオンが点いて、駐輪場に係員が立っているので安心して歩ける」という声も届いている。

パチンコ店の存在が地域に役立っていると感じている。


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