パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

タレント起用は万能薬ではない。藤田ニコルCMに重なる「カプリソーネの教訓」

松田聖子がトップアイドルとして君臨していた1980年代、江崎グリコは彼女を起用したCMを数多く展開していた。圧倒的な人気と好感度を持つスターの力を借り、商品そのものに注目を集める――当時としては王道のマーケティング戦略である。

実際、この手法は多くの商品で成功を収めた。しかし一方で、スターの後押しがあっても短命に終わった商品があったことも忘れてはならない。その代表例が「グリコ アイス カプリソーネ」だ。

カプリソーネは、もともとドイツの飲料メーカーが発売していた果汁飲料で、缶や瓶ではなく、軟質のアルミパックに飲料を充填するという独特の容器が特徴だった。

江崎グリコはライセンス契約を結び1984年に全国展開に踏み切る。その際、当時絶頂期にあった松田聖子をCMに起用し、大々的なプロモーションを行った。




話題性は十分だった。しかし、結果は長続きしなかった。1989年にはライセンス契約を解消し、カプリソーネは市場から姿を消す。

理由は明白だ。飲料はとりわけ嗜好性がはっきり分かれる。「美味しいか、不味いか」「好きか、嫌いか」が一度の体験で判断されやすい。どれほど人気タレントを起用して注目を集めても、肝心の味が支持されなければリピートは生まれない。

この事例を引き合いに、あるシンクタンク関係者は、パチンコ業界が起用した藤田ニコルのCM戦略に対して、次のように警鐘を鳴らす。

「吉野家が藤田ニコルを起用したのは、牛丼がもともと“安くて美味しい”という土台があったからです。ただ、客層は男性に偏り、若い女性は入りづらかった。その心理的な壁を取り払う役割を、藤田ニコルが果たした。一方、パチンコ業界も若年層や女性客の開拓を狙っているのでしょうが、現状の遊技機構成や営業方法のままでは、飲食で言えば『一度食べたら不味かった』で終わってしまう。新規客の定着にはつながりません」

確かにその通りだろう。業界関係者ですら、今のパチンコから距離を置き始めて久しい。射幸性に振り切った機械性能、遊ぶほどにおカネがかかる構造のままでは、初めてホールに足を運んだ人全員が「楽しい」「また来たい」と感じることは難しい。

タレント起用は、あくまで入口を広げる手段に過ぎない。中身が「遊びとしての面白さ」「納得できるコスト感」が伴わなければ、カプリソーネと同じ運命を辿る可能性すらある。

藤田ニコルを起用したCM戦略は、まだ第一歩を踏み出した段階だ。問われるのは第二弾、第三弾で何を打ち出すのか。そして、CMの世界観と現実のホール体験に、どこまで本気で向き合えるのか。

その行方を注目したいが、セブン機ではなく、遊びやすく、面白く、楽しい「ちいかわ」のパチンコ機ぐらいのインパクトが必要だ。



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チューリップに見送られて。パチンコが結んだ老夫婦の最期の約束

とある地方ホールに、毎日のように姿を見せる老夫婦がいた。肩を並べて台に向かうその姿は、常連客にとっては当たり前の風景であり、どこか温かい空気を漂わせていた。

夫婦は若い頃からパチンコが大好きだった。出会いもホール。共に社員として働き、やがて社内結婚を経て家庭を築いた。結婚後、奥さんはホールに残り、旦那さんは建築業界へ転職。その後、自ら土建屋を興し、息子たちが会社を継ぐまで育て上げた。

晩年の2人は、悠々自適な日々の中で、昔と変わらずパチンコを唯一の共通の趣味として楽しんでいた。

そんな夫婦の日常に、ある日突然の出来事が訪れる。夕方、ふだんと変わらぬ様子で来店したおばあちゃんを見た常連客は、思わず声をかけた。

「今日はおじいちゃんは?」

おばあちゃんは静かに答えた。

「今朝ね、亡くなったの。起きたら冷たくなっていて…」

一瞬、空気が止まったようになった。朝に最愛の夫を亡くし、葬儀の準備で慌ただしいはずなのになぜ、こんな日にパチンコを打っているのか。誰もがそう思った。

その疑問に、おばあちゃんは淡々とこう話した。

「おじいちゃんとの約束なの。朝死んだらその日の夕方に、夜死んだら翌朝にパチンコを打ってくれって。供養になるって、いつも言ってたのよ」

葬儀の手配は息子たちが全て進めてくれているため、おばあちゃんにできることは少なかった。だからこそ、おじいちゃんとの「最後の約束」を果たしに来たのだ。

パチンコ好きだったおじいちゃんのために、息子たちは祭壇にも工夫を凝らした。おじいちゃんが間寛平の「開けチューリップ」が好きだったことを思い出し、祭壇をチューリップで飾ろうと考えたのである。

しかし時期が悪く、国内ではチューリップが品薄状態だった。そこで急きょ、オランダから取り寄せることに。チューリップが届く日程に合わせ、葬儀の日取りまで調整したほどだった。

そして迎えた葬儀の日。棺の中は鮮やかなチューリップで埋め尽くされていた。その花々に囲まれ、おじいちゃんはパチンコの思い出とともに旅立っていった。

ホールでの出会いから、結婚、そして最期の約束まで。2人の人生には常にパチンコが寄り添っていた。まるでチューリップが開くように、ゆっくり、静かに、2人だけの物語は幕を閉じた。



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メーカートップが放った遊技人口復活への本当の処方箋

ある業界誌が新春特別企画として、「遊技人口復活のために、今何が必要か」というテーマで特集を組んだ。業界首脳をはじめ、各組織団体のトップ、ホール経営者ら総勢85名のコメントを集めたというから、企画としての体裁は十分に整っている。しかし、実際に読み進めた率直な感想は、「ガッカリした」の一言に尽きる。

並んでいたのは、「より楽しんでもらえる遊技機の開発」「ホールの明るさ」「サービス向上」といった、抽象的でインパクトの弱い言葉ばかりだ。中には、自社製品の優位性をそれとなくアピールするコメントもあり、「業界全体の復活」というテーマと噛み合っていないものも少なくなかった。これが業界の中枢にいる人たちの本音だとすれば、残念ながら復活の道は相当遠いと言わざるを得ない。

全体を通じて感じたのは、危機感の薄さと、真剣度の欠如である。遊技人口が減少し続け、ホール数もメーカーの出荷台数も縮小している現実を前にして、これほど抽象的で無難な意見しか出てこないのか、という失望感が残った。

そんな中で、ひときわ目を引いたのが、業界トップクラスの遊技機メーカー社長の発言だった。「高すぎる射幸性、高過ぎる機械代を見直しすること」。ここまで踏み込んだ表現は、今回の特集の中でも異彩を放っていた。

メーカーはしばしば、業界を内側から蝕む“がん細胞”になぞらえられる存在でもある。その当事者とも言える立場のトップが、射幸性と機械代というタブーに正面から言及したことは、正直なところ驚きだった。

株主向けの建前ではなく、業界全体を見据えた発言に聞こえたからだ。もし本気で実行に移すのであれば、業界は確実に変わる。その可能性を感じさせる、数少ない「本音」だった。

さらに、別の上場メーカーのトップも、若年層の参加率低下を課題に挙げ、「低射幸性遊技機の普及」を提言している。LT3.0+に象徴される行き過ぎた射幸性が、かえってパチンコ離れを加速させている――そうした反省が、ようやく表に出てきたと言えるだろう。

具体策としては、「遊技台の値下げによる還元率アップ」「ヘソ1個戻しの廃止」「高射幸機依存からの脱却」といった意見も散見された。しかし、その多くは理念止まりで、実行の道筋までは語られていない。

業界の各分野で“トップ”と呼ばれる人たちの言葉としては、あまりにも抽象的だ。

だからこそ、「高過ぎる射幸性、高過ぎる機械代を見直す」というメーカー社長の発言は、重い意味を持つ。もはや業界復活に必要なのは、耳障りのいい言葉ではない。有言実行できるかどうか、その一点に尽きる。


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カジノの賑わいを演出するためにスロットの利益はゼロでもいい

大阪IRの開業まで、まだ5年の時間がある。これまで日報でも何度か取り上げてきたが、周辺から聞こえてくる声がかまびすしい。大阪IRをめぐる議論は外野の評論が多かったが、今回は周辺ではなくど真ん中の人物からの発言だ。大阪のホール関係者は耳をかっぽじって聞かなければならない。

「カジノの売り上げの8割はハイローラー客によるものです。しかし、カジノには賑わいが欠かせません。パチンコ業界では客層が違うから競合しないと考えがちですが、それは大きな誤解です。賑わいを演出するために、誰を取り込むか。そこを考えれば答えは明白です」

大阪IRに導入されるスロットマシンは6400台。その台数は小規模ホール30店舗分に相当する規模感だ。

カジノ側の視点では、スロット客は「利益要員」ではなく「稼働演出要員」だという。つまり、賑わいを作るための群衆であり、ハイローラーを呼び込む背景の一部に過ぎない。

「スロットマシンの利益はゼロで構わない。むしろゼロでいい。なぜなら、日本のホールにすでにスロットファンが存在しているからです。彼らを取り込めば、最初から満席のカジノが作れる。日本のカジノが成功する鍵は、既存のスロット客を根こそぎ奪い取ることにあります」

これがカジノ側の本音でもある。

もしそれが現実になれば、大阪のホールは壊滅的な打撃を受ける。4円パチンコが低迷し、業界の屋台骨を支えているのはスロット部門だ。その中でも、20円スロットを打つ太客がごっそりカジノに流れれば、地方のホールにとっても影響は避けられない。大阪から関西圏全体へ波及する可能性は高い。

しかも、政治の追い風は完全にカジノ側にある。高市政権と連立を組む維新の会は、大阪IRを国策級プロジェクトとして推進してきた張本人だ。失敗は許されない。ゆえに、競合となるパチンコ業界は目の上のタンコブでしかない。

その思惑は、すでに数年前から形になっていた。松井一郎氏が大阪市長を務めていた2022年5月25日、大阪市議会は「パチンコ・パチスロなどをギャンブルと位置付け、依存症対策の強化を政府に求める」意見書を全会一致で可決した。IRカジノ反対派の批判をそらすため、パチンコをスケープゴートにした政治的演出だったともいえる。

大阪IRは、観光と経済の起爆剤として期待されている。しかし、その裏側で淘汰される業界がある。

「スロットの利益はゼロでもいい」──この一言が、ホール経営者に突きつけられた宣戦布告だ。

5年後、カジノが開業する頃には、大阪の街からホールの灯がどれだけ消えているだろうか。


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チューリップから1パチまで~ある女性がパチンコに別れを告げる日

70歳になる一人のおばあさんは、人生の50年以上をパチンコと共に生きてきた。娯楽であり、仕事であり、そして居場所でもあったパチンコ。その長い付き合いに、静かに終止符を打つ時が訪れようとしている。

彼女がパチンコと出会ったのは、まだチューリップ機が主流だった時代だ。

20歳の頃、たまたまトイレを借りるためにホールへ入った。用を足して出ようとした時、トイレの床にパチンコ玉が一つ落ちているのに気づいた。

何気なくその一玉を弾くと、見事にチューリップへ入賞。15発が払い出され、夢中で打ち続けた結果、1500発を出して終了した。ほんの偶然の出来事だったが、このビギナーズラックが、彼女のパチンコ人生の始まりだった。

高校卒業後は都内の靴屋に就職していたが、パチンコの面白さにすっかり魅了され、「どうせなら好きなことを仕事にしたい」と思うようになる。そして新宿のホールへ転職した。以来、30年以上にわたり、パチンコ一筋でホールに勤め続けた。

休日になれば、パチンコを打つ。働いたお金は、またパチンコへ循環した。結婚はしなかった。理由は分からないが、人生を振り返ると、常にパチンコが中心にあったという。

現在は年金生活だ。とはいえ、パチンコを完全にやめたわけではなく、子どもからもらう小遣いの範囲で細々と続けてきた。ちなみに、この「子ども」とは実子ではない。両親を早くに亡くした甥を養子として迎え入れ、我が子同然に育ててきたのだ。

人生の大半をパチンコと共に過ごしてきた彼女にとって、ホールは職場であると同時に、憩いの場でもあった。しかし、そんな彼女の心を揺さぶる出来事が起きる。ある晩、夢枕に亡くなった父親が現れ、「パチンコはもうやめろ。宝くじを買え」と告げたのだ。

それをきっかけに、冷静に自分の戦績を振り返ってみた。ほぼ毎日のようにホールへ通っているが、勝てるのは月にせいぜい2回程度。1パチ専門のため、大勝ちはないが、確実に負けが積み重なっていることに気づいた。

普通なら、ここで多くの人は足を洗う。それでも彼女は、長年業界で働かせてもらった恩返しの気持ちから、パチンコを続けてきた。しかし、12月を境に、ついにパチンコをきっぱりとやめた。代わりに、子どもからもらった1万円で年末ジャンボ宝くじを33枚購入した。

現在のパチンコ台は1個返しで、スタートは15回前後。一方、全盛期の現金機は6個返しで30回以上回った。この差は、単なるスペックの違いではない。遊びとしての余白が失われたことを象徴している。

彼女がパチンコに別れを告げた理由は個人的なものだが、そこには、遊技人口が減り続ける業界全体の姿が、はっきりと映し出されている。



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