パチンコ日報

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第9話 終焉 ④

引き際

店での騒乱ぶりとは裏腹に秀樹と玲子の二人は幸せの絶頂にあった。無論、心が咎めないはずがない。出ていくことはたやすいこと。だが残された者の心の痛みや喪失感はその立場に立ったものだけが知りえる。そんな無慈悲な行為をしてでもこの二人は自分たちの幸せを選択したのである。

逃げることに対する後ろめたさは一生ついて回る。今までお世話になった人々に対しての裏切り行為が二人の胸から消え去ることはないだろう。

二人は北国行きの各駅停車に乗り込んだ。行く先にあてがあるわけではない。ただ誰も知らないところがいい。誰にも見とがめられず干渉もされない場所。二人だけが生きていくのに目的地の設定などは必要なかった。

途中駅で玲子が『お茶買ってくるね』と財布を握り締めてホームに降り立った。彼女を待っている間、秀樹の心ははずんでいた。今まで味わったことのない幸福感を一人で実感していた。

「美味しそうだったからみかんも買ってきちゃった」

まるで少女のような屈託のない微笑みをいっぱいに浮かべながら玲子は秀樹の横に座る。赤い色のネットに納められたみかんは行儀よくたてに五つ並んでいる。

「ひでくん、みかんすき?」

「うん、すき」

「じゃあ、はい」

器用な手さばきで玲子がみかんを上手にむき一つは自分の口に放り込み、もうひとつを秀樹の口にあてがった。

「ひでくん、このみかん小さいけど甘いね」

「うん、そうだね。甘いね」

「これからどうしようか。どこに行こうか」

「どこでもいいよ。玲子さんと一緒なら」

「だめよ。男の子なんだからこれからはひでくんが決めなくちゃね。一人前の店長になるんでしょ」

暗い過去を持つ二人にやっと春が来た。過去のしがらみや不幸を振り切り新たな人生を求めていくその姿はひと粒の砂金のように目立ちはしないがしっかりと輝いていた。

カルティエは遠い昔のことを懐かしむように思い出していた。玲子と逃避行を重ね、関東より北の地方を転々としてきた。居心地の良かった店悪かった店。たくさんの人たちとの出会いと別れがあった。自分もご多分に漏れることなく日本社会の底辺で仕事を続けてきたが、この業界で働く人間模様は想像をはるかに超えていた。
 
職場では社員同士のコミュニケーションを図るどころか争い事が絶えなかった。それも陰湿ないじめなどという計算高いものではなく、自分の立場を確保するための本音をむき出しにした争いである。
 
当時この世界には建前などというものは存在しなかった。あるのは周囲の人間に対する批判と暴力。だから他人に媚びへつらうなんていうことはいっさいしない。しかし、である。この人間たちはある意味において自分に素直なのである。自分勝手という捉え方もあるが、それは違う角度から見れば自分の心に誰より忠実な生き方を選択しているだけなのである。

粗野で教養にかけている人間もいる。しかしこの業界にはそうでない人間もいるのだ。そういったぱちんこ屋の店員に対して世の中の風評は芳しいものではない。世間はかなりな異端の視線を彼らに投げかける。
 
ここで働く者にしてみればそんなことにかまっている暇はない。自分たちがここで生き延びていく為に必要な行いと知恵。これらを誰が何の権利を持ってあざけ笑うことができようか。ぱちんこやの店員を嘲り、罵り、批判する人々は大勢いるが、その人たちはどうなのだろうか。結構な生活を、そして人生を公明正大に生きているのだろうか。

人並みの教育を受け、常識人として生きているという自覚を持つことは悪いことではない。しかしそれが全てでもないはずである。常識を携えた人々の中にもぱちんこを趣味に持つ人たちがいる。大学の教授も作家もときにはぱちんこを取り締まる警察官もぱちんこをするのである。だからぱちんこ屋だからといって安易な批判はするべきではない。ましてやそこで働く従業員を悪く言う権利などは誰にもないのである。
 
カルティエは十年に及ぶ放浪の旅で何を学んだのか。彼は人間模様の悲哀と脆さを見てきた。しかしその反面生きるための必死さも目の当たりにしてきた。だから彼はぱちんこ屋の店員が好きである。不器用な生きざまではあるのだが自分の心に素直でいる彼らが好きだった。そして下積みから店長にのし上がるまで自分を支え続けてくれた最愛の妻、玲子。この人がいなかったら今の自分はおそらく存在していない。ありがたいことだと心底思う。
 
流れ流れてこの店に辿り着いた。入社した当時は最悪の職場環境であったが、従業員の一人一人との話し合いの時間を惜しまず、自分の経験則を懇切丁寧に、小学生に言って聞かせるように説き続けた。その甲斐あって今では不器用さは否定できないもののみんないい顔をしながら働いている。カルティエはそれだけで満足だった。
 
満足。それはある意味においてその時点がピークであるということ指す。自分の生活になにも不自由はない。それに今でも十年前と 変わらない愛情を注いでくれる玲子が傍らにいてくれる。幸せが長続きしない。そんなことは身をもって知っている。カルティエは一つの決断を下そうとしていた。

「ここら辺が潮時かな」

ぼそりとつぶやく声が誰もいない事務所に虚ろに響いた。

つづく


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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. カルティエと玲子さんはお互い寂しい時に出会ったから長続きしていると思う。叩き上げの人ってそんな横柄でデリカシーに欠けるようにならないと思うが…

    私も駆け落ちして業界誌の「尋ね人」でバレたり数々の駆け落ち組と仕事をしたが楽しかった。男はホールだから逃げ場が有ったが女性は狭いカウンターだから大変だったと思う。どの店にも店長とか主任の奥さんがカウンターに居ましたから嫌われたら終わりです。男はこの店に居たいけど奥さんが耐えられないから辞めるとか…
    猫オヤジ  »このコメントに返信
  2. ピンバック: 猫オヤジ

  3. この話は良いねぇ。下手な小説より面白い。
    感情移入できるよ
    106.155.6.109  »このコメントに返信
  4. ピンバック: 106.155.6.109

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