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自由化という劇薬。元ホールオーナーが語る業界衰退の真因

第一線を退いた元ホールオーナーがパチンコ業界に足を踏み入れたのは、スロットが正式に認可された昭和末期のことだった。参入当時は業界全体が右肩上がりで、ホールも活気にあふれていた。彼の店も順調に成長し、長らく経営を続けてきたが、やがて経営意欲は薄れ、息子へバトンを渡して久しい。

いま彼が熱中しているのは陶芸だ。土と向き合い、ろくろを回し、釉薬の表情に一喜一憂する日々。作品が売れたときの喜びは、価格の高よりも「自分の作品を気に入り、手に取ってくれる人がいる」ことに尽きる。パチンコ経営で得た利益とは別種の、静かで深い満足感だという。

そんな彼に業界衰退の理由を尋ねると、迷わず「自由化」と答えた。世間一般では、等価交換や高射幸機の氾濫によるギャンブル化を原因とする見方が多いが、彼に言わせれば自由化こそが諸悪の根源だった。

彼が参入した時代、業界にはまだ組合の自主規制が機能していた。たとえば「セブン機は総設置台数の30%以内」というルールがあり、高射幸化を自ら抑えていた。だからこそ、普通機、羽根モノ、権利モノ、アレンジボール、雀球といった多彩な機種がホールを彩っていた。ユーザーは自分好みの台を探す楽しみがあり、ファン層は広く、裾野も厚かった。

さらに当時は総台数規制も厳しく、1店舗300台程度が上限だった。ところが時代が平成初期になるに移ると、こうした規制に警察が口を出さなくなり、自由化の波が一気に広がる。福岡県では500台規制が敷かれていたが、通路を挟んで2軒並べるような苦肉の策は不要となり、やがて1000台クラスの大型店が現れるようになった。

警察が自由化を容認した背景には、全国で増えすぎたホールの許認可や取り締まりに手を焼いていた事情がある。ならば、自由競争による弱肉強食社会で弱者を淘汰させればよい—そうすれば行政の負担は減る。結果、業界は台数規制撤廃、等価営業、そして高射幸機偏重へと突き進むことになる。

元オーナーは、この流れを歴史になぞらえて語る。

「中国はアヘン戦争でイギリスに負けたが、パチンコ業界でのアヘンはセブン機だ。セブン機は売上も粗利も跳ね上げるから、誰もがそれに依存した。高射幸機依存症になっていたのはお客さんではなく、むしろ業界側だった」

資金力と機械選びだけで勝敗が決まる環境は、もはや経営ではない。創意工夫も商売の駆け引きも不要になれば、経営者の熱は冷める。残ったのはセブン機に群がる同業者と、出玉至上主義の末期症状だけだった。

今、土と向き合う元オーナーは、あの頃の業界をこう総括する。

「自分で自分に劇薬を打って、気持ちよくなってるうちに死んだ。それだけの話だ」



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