パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

ぱちんこ回想記 第4玉 正真正銘!浪速の味!タコヤキSP!

こんにちは。早くも4玉(話)になりました。この度もわざわざ読んでくださり有難う御座います。色々思い出したり、当時から知る人や友達に聞きながらこのぱちんこ回想記を完成に向かっております。

宮城の話だけだとつまらないと思われますので、やがて東京に上京していろんなホールで打った話や、北海道~沖縄まで旅打ちした話なんかまで書けたらな~と思っています。いつか今はなき某パチスロメーカーの社長さんの当時の話や〇〇〇のリアルな話など聞いた事を書けたら面白いのかなと思います。それではつづきです。


「マジックカーペット」初打ちを終えて自転車でシャコシャコとペダルを漕いで30分。家に到着した。まだお昼を回ったところで実家のお店は忙しい。日曜日ならお昼過ぎにはテレビでスーパージョッキーが放送されていた為、よほどの用事が無ければ家にいた。

お目当ては勿論熱湯コマーシャルである。でもこの日は日曜ではなかったと記憶している。マジカペで羽根物を理解出来てきた私は、ぱちんこが打ちたくて、打ちたくて疼いて仕方がなかった。

地元の「平和ホール」は、この前怒られたばかりだったからとても行き辛い。でも小さな頃から今現在まで陸奥の熟女キラーと呼ばれている私は、怒っていた「平和ホール」の店主のおばちゃんの機嫌を手玉に取る事に自信があった。

とりあえず店内に入って本気で怒られなければ、隣町のホールに行ってマジカペ打った話をしてみようと思い「平和ホール」に向かった。

とりあえずまた同じ事書きますね。平和ホールの入り口のガラスに背中をつけて、周囲を確認したところで店内へ。

入って目の前の島にお客さんが1人だけ居た。

「おっ!すげー。今日は客がいる」

この先5年間はこんな状況である。景品カウンターにおばちゃんではなく、知っているパンチのおじさんがいた。

「コラコラ。ダメだぞ、入って来ちゃ。寿司屋の坊ちゃん」

見た事のある人だと思ったら、うちの実家のお客さんでもあり、私の叔父さんが経営している理容室でパンチを「あてている」おじさんだ。写真を載せれたら皆さんが笑うと思うが、見た目は西陣の「パチンコ大賞」の役物の中にいるドル箱持ったおじさんに似ている。


「パチンコ大賞」のおじさんが、パンチパーマになった感じだ。引っ越して来た時から知っている人。やがて大人になってからホールに勤めるようになるのも、このおじさんの影響があったからである。このパンチおじさんの苗字は千田(ちだ)さん。

「今日はおばちゃんいないの?」と聞くと

「今日はいないよ。出かけてるから。そんな事より、お前ぱちんこなんかするのか?」と言われて、これまでの話をする。

景品のコーヒーを手渡され、煙草を吸いながら「マジカペ」の話や「汽車ポッポ」の話。「D-51」の話をしたが、千田さんの口からは「D-51」に辿り着ける有力な情報は得られなかった。

それどころか、そもそも住んでいる郡内には、もう設置店が無いんじゃないかと言われてかなりげんなりした。

がっかりした顔をしていたのだろう。千田さんは少し希望を持たせるような事も言った。

「探せばいつかはどこかで会えるかもしれないよ」

この時からやがて10年後…。P-WORLDさんを知って全国のパチンコ店情報が見れるようになって、何の機種が何処のホールで何台設置されていると携帯電話で見れるようになるなんて、当時からしたら夢のような話だ。

探せばいつかは!か…。分かった。でも今日は、ぱちんこ打つから!と宣言したら意外にも千田さんは苦笑いするだけで、怒りはしなかった。今日は違うのを打ってみよう!狭い店内をグルグル歩いて設置の8割は羽根。よく役物内を見て打つ機種を決めた。

1990年に発売された三共の「タコヤキSP」(ALL13)である。


たこやき器をモチーフにしたであろうステージに、串を持って左右に動いてる焼きのおじさんらしき人。丸穴に玉が入ると、なんかなるのかな?と軽く妄想して、両替を済ませて勝負開始。

盤面を見ると羽根は爪楊枝?串?1チャッカーと2チャッカーにはビール。役物上部には「本家たこ焼き」羽根下には「正真正銘浪速の味」。正真正銘浪速の味を知るのは4年後の修学旅行である。役物内になぜかいる達磨と猫。そして笑ったのがお猪口を持っているタコの目がピカピカと奇妙に光っているところだ。




この台も「パチンコ大賞」と同様羽根が短い。嫌な事を思い出しつつ打つも、やはり店主の地獄の釘調整の前に12歳の可愛い男の子は苦しむ事になる。1000円使って1チャッカーに入賞したのは僅か2回。拾い0。こうして書いていると、とあるニュース番組の「ゼーロー♪」が聞こえて来そうだ。

残り800円。また涙ぐんでしまう。悔しいではなく、お金が無くなったら大好きなぱちんこが打てなくなる淋しさから来る涙である。意外と私はこういう時だけ神様仏様お願いしますな人なので、天に思いを伝える。すると!祈りが通じたのか地獄調整のタコヤキSPが覚醒した。(ただの鳴きムラ)

ビビりながら続行すると面白いように1チャッカーで鳴く。そして拾う。これで 26個返し。一時は玉が増えていく勢いであった。そして2個拾うと1個がVゾーン手前左前の穴にハマる。お!っ、と見てると玉が押し出されてピョン!っと跳ねた!跳ねたが場外へ(笑)

「スゲー!玉跳んだ!」と一人大声で騒いで打つ。その後も追加投資のスピードが緩み、残り400円。今まで全く入らなかった2チャッカーに入賞し、2個拾った玉の1個が中央からスルスルフラフラと、穴と穴の間を通ってきてV入賞。欲しかった当たりが来た。

「よっしゃー!」

景品カウンターにいた千田さんにガッツポーズすると、千田さんは何故かマイクを握った。

「はいー。115番台~。一般台タコヤキコーナーから大当たりスタート! おめでとうございます~! ジャンジャンバリバリお取りお出しくださいませ! ありがとうございます!」

初めてマイクアナウンスで祝福された時は、気分がいいものだったし、千田さんがカッコよく見えた。これがホールで働く人のマイクかと感動した。

隣町で覚えた羽根物のルールをおさらいしながら、大当たり中を楽しんでみる。1R目、役物内のステージにある6個の穴。羽根開閉しながら拾った玉が次々と穴に入り貯留されていく。早くも10カウント入賞すると穴にハマっていた玉が一斉に解除される。手前の3つの穴にハマっていた玉はまたジャンプした。見事V手前の穴にハマっていた玉が跳ねてVゾーンに入賞する。

「簡単だなおい」

大当たり時と継続時には役物内上部から「毎度おおきに!」の暖簾がパカパカと落ちて来る。そして続いて4R。同じく貯留された玉が一斉に解除される。タバコ咥えながら見ていたら、跳んだ玉が全然違う方角に跳んで行き、Vゾーンに入らずでパンクになる。




Vゾーン手前の穴に貯留されれば、Vに入るもんだと思っていた私は、桂三枝さんのように背もたれのの無い椅子から力無く転げ落ちた。そして景品カウンターの方を見ると千田さんが笑っていた。

「アレおかしいよ!! Vゾーン手前の穴にハマったやつは絶対にVに入るんじゃないの!?」と初の抗議をするも…。恐ろしい返答が来た。

「ぱちんこに絶対はない!残念!」

くそチビパンチめ。もう1度当ててやる! 結果は何回も当てるが5R以上継続させられなかったけど、玉はジリジリと増えて500個箱1つとちょっと出た。また1機種遊べたからヨシとして交換。またしても景品カウンターで1750円渡されて終了。

どうしても1750円の壁を越えられないと感じたこの日。私は「D-51」を探しつつ打った事の無いぱちんこを1機種1機種探して打っていき、打ち止めにするのが目標になったのである。

つづく


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ぱちんこ回想記 第3玉 ぱちんこが狂わす夏休み

こんにちは。みさお般若です。週2で抗がん剤治療を頑張しているのですが、どうしても体調不良になる事があるのでその時はお話の続きを書くのが遅くなったりする時がありますので御了承くださいませ。それでは「D-51」探しに西へ、北へと歩く中学1年生の夏のお話のつづきです。

パチンコした事によって、いろんな意味で人生狂った人は世の中に何人いるのだろうか?私がこうしてパチンコ日報さんでぱちんこのお話を書いていますが、意外にもこのぱちんこ回想記『パチンコなんかしない方がいいですよ』ってのがお話のゴールになります。

私自身ぱちんこを打つのが早すぎた事により、中学1年生から大分荒れた学生生活になりました。

でも今レトロパチンコ、レトロパチスロを扱う仕事をしているのは、きっとこんなぱちんこ人生だったからであろう。死ぬ間際にぱちんこに携わって幸せだったのか?の答え合わせが凄く気になるところだ。

少し背伸びをしてみたかった。子供なのに早く大人になりたかった。そんな気持ちもあった。年上の人達とばかりつるむようになり、この夏休みはいろんな事をした。

「D-51」探しを始める。とりあえず自転車で行ける範囲のホールを思い浮かべてみる。買い物に行く際、親と一緒に車で移動中に通った道にホールがあった記憶を辿ってみる。

そうだ! 隣町に1軒あった! 朝起きて部活に間に合わなければ自転車に乗り隣町へ。30~40分かけて辿り着いたパチンコ「ラッキーニューセブン」。地元の「平和ホール」より少し大きな120台ちょっとの設置店。駐車場には車が多数ありとても入りづらい。

外から中を覗くとかるく50人以上はいるじゃないか。胸の鼓動が高鳴る…。そしてビビりながらもいざ入店! 道路側入り口から入って左側には初めて見るパチスロ台が並んでいた。

しかし、まだこの時の私にはパチスロなんてどうでもよかった。とにかく羽根物コーナーである。昔のホールの大体がどっちかの端がスロットなら、その反対の端は羽根物コーナーだった。

羽根物コーナーに入ってみるとそこに設置されていたのは「ビックシューター」(平和)と「マジックカーペット」(三共)だった。

お探しの物はこれじゃないんだよな…と思いつつも少し打ってみようの冒険心。しかし、12歳の財布の中身は残り2000円弱。ぱちんこ大賞で人生初のストレート負けのトラウマが脳をよぎる…。

「ビックシューター」の役物と「マジックカーペット」の役物を見比べてみると、回転体をくぐり抜ける難関があり、くぐり抜けて下のステージに落ちてからもうひと勝負のビックシューターの方が辛そうに見える。

なので「マジックカーペット」に決めた。両替を済ませて適当に着席。羽根のヤシの木が実に可愛らしい。打ち始めてすぐに隣のおじさんが大当たり。気分良かったのか話しかけてくる。





「お兄ちゃんの台は昨日打ち止めになってるから今日はダメかもな!」

打ち止めってなんだ? 言われて上を見ると、幕板に3000個打ち止め定量と書いた紙が貼ってある。分からない事は聞いてみるタイプの人間なのでおじさんに色々と聞いて情報収集。

3000個出たら終わりとの事。出た台は次の日は出ない。あとは電圧がどうのこうの(笑)

ヘラヘラしながら打っていると、私にも当たりが来た。今でも覚えているが2チャッカー入賞して壺から蛇が出てくるような音とともに、羽根が開き3個拾った玉はの2個が中央から真っすぐにV入賞! 2個入った事により出玉も2倍!とはならなかった。


隣のおじさんに背中をバチバチ叩かれて祝福。1R目スタート。軽快に拾わせた玉はカーペットの上に貯留されて一斉に下段ステージへ。その瞬間、先ほどまで静止していたVゾーンがなんと左右に動く! え!? Vって動くの!?と思っていたら1Rで呆気なく終わる。

ただこの1Rパンクした事に謎だった私は、隣のおじさんにまた色々説明してもらう。1Rごとに1個はV入賞しないと終わってしまう事。それがパンク。またまた勉強になった。

おじさんは大きなドル箱(3000個箱)あと少しで、満タンになるくらい玉がある。どうせならこのまま色々と聞きながら打ってれば、勉強になると思い続行。そして残り300円…。また2チャッカー入賞から拾いV入賞! パンクの勉強も兼ねて役物の中の玉を凝視する。

「Vに1個入った!」

2R目がスタートすると、羽根物のゲーム性を理解できた事に凄く喜んだ。1Rクリアしただけなのにおじさんと握手する。

「まだまだ気が抜けないぞ!」

「分かってるって!」

こんな事言いながら、パンクせずに無事8R目までやって来た。8Rが始まると1~7Rで流れていた音ではない。

「おめでとう! 最後のラウンドだよ」とニコニコ顔でおじさんが教えてくれた。


そうか8Rで終わりなのか。Vに入ってればずっと続くと思っていた謎まで解決した。お金も無かったので完走してすぐにヤメ。景品カウンター前のジェットで玉を流して初めての文鎮を手渡される。

そのまま外に出て行くと、敷地内にあったプレハブの小窓を開けて交換してる人がいた。私も後ろに並び、ドキドキしながら待った。自分の番が来て文鎮を渡した。何も言われずに千円札1枚と500円玉1枚渡された。

プラマイゼロの勝負だったが、色々勉強になって負けなかったから気分は勝ったようなものだった。お金を財布に入れてタバコに火をつけて浸っていたら、少年野球をしていた時の監督とバッタリ会ってしまう。

「こんな所でタバコなんか吸って何してんだよ!まさかパチンコしてたんじゃないだろうな!」

監督さんはうちの実家のお客さんでもある。優しかったけど見た目は「普通の人」には見えなかった。

「パチンコなんかしてないですよ~」と引きつってたであろう笑顔で否定するも、監督のマジな表情を見ると大人には通じなかったようで。この監督とバッタリ会った事が後に問題になる。

つづく



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ぱちんこ回想記 第2玉 ちょび髭オヤジ登場「パチンコ大賞」

こんばんは。各あるコラムの中より私のぱちんこ回想記のつづきを見に来てくださって誠に有難うございます。これからもジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ、バリバリバリッとお読みお楽しみくださいませ~有難う御座います。それではつづきです(笑)

衝撃の「ぱちんこ」初打ちから一夜明けた。学校に行くも前日の「汽車ポッポDX」のメロディーが耳から離れないのと「D-51」がなくなっていた事に対するモヤモヤ。ホールには新台入替というのがあって次々と台が新しく入替られて、古い台はなくなっていくなんて事は知らなかった。

どうしても、またぱちんこが打ちたくて、打ちたくて仕方がなかった私は、夜にでも隙あらば、親の目を盗んではホールに行ってぱちんこを打とうと考えた。

ぱちんこを打ってるなんて親父にバレたら気の短い親父の事だ、絶対に顔の形が変わるまでボッコボコにされるであろうから、真剣に作戦を練った。

とにかく実家の店が忙しい時間帯である19時~21時を狙う。まさか私がぱちんこを打っているなんて思ってもいないだろう。あれ? 家の中にいない!となっても散歩してたとか言えば何とか誤魔化せる。

そして19時。私はスーッと家から出て100メートル18秒の足で駅前へ。「平和ホール」の1つしかない玄関前までやって来た。ガラス扉に背中をつけて周囲を確認し誰も見てないのを確認して素早く入店。一目散に「汽車ポッポDX」に向かうが、その1歩手前で気になった1台が、私を呼び止めたような気がした。その機種は…。

1990年に発売された旧要件機。西陣の名機「パチンコ大賞」(ALL13)だった。




役物を見ると中にはドル箱を頭の上で持ったまま立っているちょび髭のオヤジがいる。そしてVゾーン手前には横15縦7粒の赤色の1色ドットがあり、見ていると何やら文字が流れる。

「イラッシャイ イラッシャイ デルヨ デルヨー」

ほんとかよ。

なぜかこの「パチンコ大賞」の設置は汽車ポッポDXの隣に1台だけだった。

よし。今日はこの台を打とう。100円玉を台脇の薄いサンドに入れる。今日は前回儲けた分の1500円までの勝負だ。そう決めていざ実践!

打ち始めながら役物内を見ていると、とても不思議だったのがステージだった。手前にあるVゾーンに入らないと当たらないと思っていた私は奥にもVゾーンがある事に気づいていなかった。当たらないと役物内が少し暗いのだ。


「オヤジのドル箱に玉が入ってそれをオヤジがVゾーンめがけてドサーっとやってくれるやつか」と第1妄想。


昔のぱちんこって初めて打つ時、今の時代のように情報がなかったので、打つ前に役物を見て役物の動き、役物内での玉の動きを妄想する事が当たり前にあったし、妄想が楽しかった。

それは開発者の遊び心が伝わる物だったからだと私は思っている。それと役物が小さかった事もあり、中が狭かった。狭いからこそイレギュラー入賞ではなく、マグレの当たりが起きる確率が高いと錯覚してしまう人間の心理を突いた、考えたサイズなのかと今でも考えさせられる。

打ち始めながら盤面を舐めるように見てみる。とにかく羽根が小さく感じる。そして1チャッカー入賞するとワンテンポ置いて「…チーン!」と短い羽根が開く。

しかし、拾わない。「汽車ポッポDX」が初打ちの私からすれば、開閉時間も短く感じる。これがぱちんこをして初めて難しいと思った瞬間だった。とても当たる気がしないのだ。

そして、私の勘は的中する。まぁ今考えれば店主のおばちゃんの地獄調整では、なかなかチャンスが巡っては来ない。前日勝った1500円はあっという間になくなった。役物内のちょび髭オヤジが、私を小馬鹿にしているようにも感じる。

「続行だ!」と当てるまで諦められない私は千円札を両替しにカウンター前の大きな両替機へ。カウンターにはおばちゃんの姿はない。

着席して玉を両手でサンドから取る。そして打つも1度も1チャッカーにすら入らず100円玉が10枚なくなったのを記憶している。

「昨日あんなに簡単に当たったのに…」

私は涙目になるが、悔しさを押し殺しながら打ち続けた。こんなに簡単に次々と100円がなくなるなんて。そして、また千円札を両替しては打つ。開いても拾わずあっという間に3000円がなくなった…。

役内のオヤジが笑いながら帰れと言ってるようにも感じてきた。全身の力がスーッと抜けて涙がこぼれた。しばらくの間ぱちんこはやめよう。そう思っていたら店主のおばちゃんがやって来た。

「ぱちんこしに来ちゃダメでしょ! 終わり終わり!」

1度も当たらず自棄になっていた私はタイミング良くおばちゃんに「D-51」の事を聞く事に成功したのだ。

「入り口からすぐ右列にあったSLのぱちんこはどこいったの?」

そう聞くとおばちゃんは普通に教えてくれた。古くなったから新しい台と交換した。でもとても人気があった台だった。「D-51」って名前の台だった。

「他の店に行ったらひょっとして『D-51』が設置してる所ってあるの?」と最後の質問に
「小さなお店ならひょっとしたらあるかもね」との回答。この回答が人を疑う事を知らない私の「D-51」探しに火をつけた。

世間は200台設置規模のホールに遊びに行く中、私は「D-51」探しをするために小さなホール、小さなホールと探していろんな機種と出会っていく事になる。

私は大人になってパチンコ店で働き、店長職を経験して後に「夜だけパチンコ店で働いて」現在ではレトロパチンコとレトロパチスロを扱う仕事をしているが、今考えれば12歳で人生が決まっていたのかもしれない。  

つづく


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ぱちんこ回想記 第1玉 なぜぱちんこする人生に…。

パチンコ日報を御愛読の皆様初めまして。みさお般若と申します。

2025年11月14日に癌宣告され、いつどうなるか分からない現在46歳。一風変わったこれまでのぱちんこ人生を書き綴りたいと思います。

ぱちんこ初打ちから最終話までいろんな機種の思い出を皆さんと振り返り、皆さんの中にある思い出も引き出せたらと思います。

なにしろ中卒で全く勉強もした事の無い人間の文章ですので、お見苦しい文章ですが、小さな脳みそフル回転させて一生懸命慣れない手つきでキーボードを打ちます。最後まで書けるかお約束出来ませんが、末永くお付き合いいただければと思います。宜しくお願いします。

……………………………………………………………………………….

私は1979年に宮城県岩沼市で生まれ、5才まで岩沼市で育つ。幼少期の頃から少し変わった人間で、初めて行方不明になったのは3才の時だった。親の目を盗んでは自宅の窓から脱走し、約1キロ先の日本国有鉄道駅(現在JR駅)までせっせと歩き、脱走してまでも見たかったものは「汽車」だった。


父が岩沼市の「おくに寿司」という店で修業していたので、私が自宅から脱走するとお店の人達も総出で探す一大イベントに。家ではプラレールとトミカで遊ぶ毎日だったが、やはり実物の汽車の迫力は凄いと子供ながらに感じていた。しかし汽車が好きなために、このあと死ぬまで終わりのないの無いぱちんこ人生のレールを歩き続ける事になるなんて思っても見なかった。

そして6歳になろうとしていた頃、父がふるさとである宮城県栗原郡(現栗原市)で寿司店を開業するため、岩沼市を離れることに。新しい住まいから120メートルの所に、またしても日本国有鉄道駅があって駅前には商店がいっぱい並んでおり、その中には人生を大きく決める設置台数80台弱のパチンコ店「パチンコ平和」があった。

photo 高橋賢多 平和はその後チャンスに 

当時、駅前は活気が凄く、電車が到着すると人で溢れるくらいの町だった。現在は人口4000人ちょっとの町なのでそんな面影はどこにも残っていないが…。

そんな活気のある駅前で父は店を始めて、連日お客さんが来店する忙しいお店だった。父は昼休憩になると駅前のパチンコ店「平和」に遊びに行くのが日課だった。

母と自宅に居ると夕方からの予約や出前の電話が鳴る。あまりにも予約が殺到すると母から「平和へお父さんを呼びに行って来て」と言われ、子供ながらに大人しか入っていけない空間に入るドキドキ感が沸きあがってきた。

店内はチンジャラと賑やかで楽しそうな雰囲気の中、まるで遊園地に行くような気持ちでお店の入口へ。まだ体も小さかった私の前には観音開きの二枚のガラスのドアはとても大きく見えた。両手で力いっぱいドアを押しながら開けて進むと、店内の木の床の油の匂いが鼻に入ってくる。それは線路の匂いととても似ていた。

多分嫌いな人が多い匂いだろう。

でも私には「いい匂い!」

入口から真正面の島の奥にパチンコを打つ父の姿があった。

その時だった。

「ポーッ!シュポポポポポ!」と汽車の音が右耳に入ってきた。

振り向くと1列設置されていたのは1984年登場の西陣の「D-51」。パッと見たD-51の役物の薄い羽根の形、セル中央下にデザインされている線路。子供ながらに凄く衝撃的な数秒間だった。



「うわー!汽車だ!カッコいいなぁー!」

この年齢でぱちんこ台を見てカッコいいと思った自分。父を呼びに入ったホールで偶然にも汽車が好きな子供が汽車をモチーフにした台を見てしまったことが、私がぱちんこをする理由が決定してしまった瞬間だった。

まだ小学生にもならない私は、「D-51」を見たいがために「ホールへ行って父を呼んできて」と母に言われるのが待ち遠しくてたまらなかった。


日に日に「見たい」という思いから「打ってみたい」に変わり、羽根の開閉音や大当たり中の音を口ずさむまでに。勿論羽根物のゲーム性なんてのは分からない。ジャラジャラと玉の流れる音、チリーンと鳴る賞球ベルの音と共に、賑やかな店内に流れる軍艦マーチや演歌。店内に2回ほど入っただけでぱちんこの虜になってしまった。

やがて父は駅前の「平和ホール」に遊びに行かなくなる。大人になってから事情を聞いたのだが自営の寿司店も忙しく、あまり興味も無くなったんだとか。

私は小学生になり学校から下校する際には必ず「平和ホール」の前を通る。以前より店内から聞こえていたジャラジャラと聞こえてきた玉の音は、月日が経つにつれて静かになっていった。

冬になると日が沈むのも早まり、暗くなると「平和ホール」のネオンが静かに寂しく電球がリレーしていた。小学4年生になり少年野球を始めてから、練習を終えて帰宅する際、ホールの入口から何度か中を覗いたが、店内は閑散としており以前のような活気はなくなっていた。

私はぱちんこが打てる年齢になるのを指折り数えた。「平和ホール」の活気がなくなっても「D-51」に対する想いと初打ちは「平和ホールで!」という想いが変わることはなかった。

やがて中学生になる。すぐに高校生や車の免許を持っている先輩と遊ぶようになり、違反制服を身にまといタバコを覚え、マセていた私は6月に早くも年上の彼女ができた。

人生で初カノである。部活は野球だったが行ったり行かなかったりするようになる。夜は家を抜け出しては先輩の車に乗せられてドライブに行ったりたむろしたりする日々を送くる。悪い事をしている事に段々と麻痺していく。そんな初めてできた彼女に7月7日に仙台七夕に行こうとデートの予定を立てられた。仙台七夕に行ったことのある人ならお分かりだが、仙台七夕は8月である。

そんな事も知らずに7月7日のド平日の午前10時。学校をサボって彼女と待ち合わせ。しかし時間を過ぎても彼女は来ない。田舎の電車は1時間に1本。1本遅れると1時間待たないといけない。待ってるうちに10時台の電車は行ってしまった。

「なんだよあのクソ女!」

凄く楽しみにしていた女子との人生初デート。待たせられた事によってデートに行く気持ちも冷めてしまう。そして駅前にいた私の視界に入ってしまったのが「平和ホール」だった。

待っていても来ない。デートのためにお金は少し持っていたのでぱちんこをしようと思い、入ってみることにした。結局18歳までなんて待てなかった。入口のガラス扉には18歳未満入店禁止のシールがデカデカと貼ってある。そして何よりも「D-51」との再会にドキドキしながらいざ入店だ!

入ってすぐに目の前の島の右列に、お目当ての「D-51」はない。さらに、左列にあった「ゼロタイガー」もない。しかも羽根物でもなくセブン機が設置されていた。3島しかない店内の設置機種を見て回るも「D-51」はなかった。しかし、運命の悪戯か同じ汽車をモチーフにした平和の「汽車ポッポDX」が4台設置されていた。その盤面を見てもの凄く悩んだ。


「記憶違いであの時見たのはこれだったのか?」

多分5分くらいは台の前で悩んでいた。でも羽根の形は違うしセル中央下に描かれていた線路と左上に描かれていたメーテル風の女性の姿もない。

かなりガッカリした。

しかし、せっかくだし「人生初のぱちんこは汽車で!」と思い財布から100円玉を3枚取り出し、サンドに100円玉を1枚投入。25発の銀玉を両手で取り、上皿に流していざ実戦!

どこを狙って打つなんてことも分からずも、1発2発と玉が飛んでいく事に感動していた。しかし100円25発では何も起きなかったが、忘れもしない200円目。初めて入賞したのは2チャッカー。入った瞬間に「D-51」とは違う開閉音にガッカリしたが、2回目の羽根が開いた時に2個拾ったうちの1個が役物中央から王道ルートを通り、私の目の前にあるVゾーンに入った。

その拾ってからVゾーンに入るまで今でも鮮明に覚えているが、もの凄くスローモーションに見えたものだ。盤面全体がピカピカと光り、台のスピーカーから流れてきた音は童謡の汽車ポッポ。やはりこれは「D-51」ではないと分かったが、これもこれでヨシと思えた。

photo高橋賢多 その時の台番は22番台だった 
1R中に1個Vに入らないとパンクすることが分かったのはまだ先の話。ラウンド間も勿論打ちっぱなし。キラキラ光る役物内の玉の動きに一喜一憂しながら青色の長方形の500個箱に慣れない手つきで銀玉を移す。今でも覚えているが途中から音も何も聞こえなくなっていた。完全に自分の世界に入り浸っていた。ふと気づくと人生初の大当たりは終わっていた。

何だか大人になった気がした。カッコつけて吸い始めたロングピースを咥えて火をつける。

持ち玉で遊技続行すると今度は大当たり後1開閉目は1チャッカーから拾い、今度はスローモーションに見えることなく役物中央奥から高速でVゾーンに入賞した。

かなりの興奮状態だった。

「ぱちんこってこんなに簡単なのか!」

しかし、大当たりはすぐに終わってしまう。今考えれば1Rか2Rパンクだったのだろう。デートのことなんてすっかり忘れていたのでもっと打ちたかったが、やはり平日の昼間から12歳の中学生がホールにいて警察なんかが来たら…。なんて思うとやはりビビリが勝ってしまう。と、同時に店主のおばちゃんが苦笑いしながら近づいてきた。

「親に怒られるよ!もう終わりね!」と小さな箱を持って行かれ、カウンターに案内される。ジェットカウンターに玉を流してもらう。800個ちょっとだったのを記憶している。

「はい!1750円ね!」と手渡される(笑)

父が文鎮を渡されて外のタバコ屋で換金しているのを見ていた私は、どうしても文鎮を渡して欲しかったので少しガッカリしたのを覚えてる。しかし、12歳の1750円は大分デカい! 「D-51」の事を聞きたかったが、おばちゃんの表情はやや不機嫌だったため、聞くことは出来なかった。

18歳未満の小僧がお店から出る時、おばちゃんも大分冷や冷やしていた。おばちゃんが店の外に誰も居ないか確認してくれてタイミング良くエスケープ。おばちゃんの姿はまるでガソリンスタンドの店員さんがお客さんの車を道路に出す時の交通誘導そのものだった。

でも振り返ると「もう来るんじゃねーぞクソガキ!」と顔が言っていた。

あ、そうだ。俺待ち合わせしてたんだったわ、と思い出して駅の中に行くと彼女が来ていた。

「ちょっと!遅いんだけど!」と言われ、「どっちがだよ!」と心の中で怒鳴ったが、初めてぱちんこを打って当たった余韻に浸っていた私は、待たせられた事などどうでも良かった。

その日予定していたデートは中止。7月7日いろんな事で大人になった1日だった。そして平和ホールに「D-51」がなくなっていた事で皆とは少し逆を進む、いや大分変わったぱちんこ人生を歩む事になるのだった。

つづく


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